南洋庁立の病院
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1922年(大正11年)の南洋庁発足と同時に下記の7ヶ所に南洋庁医院が設置され、医長、医官、医員、薬剤員、看護師及び産婆が置かれ、現地人や日本人の診療にあたった。医長、医官、医員を含めた医師は1939年時点でサイパン医院5人、パラオ医院6人、ヤップ医院2人、トラック医院3人、ポナペ医院3人、ヤルート医院3人、アンガウル医院2人の規模であった。 また、本国から遠いドイツの植民地下では蔑ろにされていた、南洋諸島における疫学調査や地方病の調査研究なども積極的に行われていた。独自に南洋庁警務課によって「南洋群島地方病調査医学論文集」(第1-5輯(集))が1933-1939年間に刊行されており、岡谷昇、長崎協三、藤井保や各島の医院に飛び石勤務していた鮫島宗雄医学博士らが広義にミクロネシア人、狭義にマーシャル人等各島嶼区域原住民における医学的、疫学的、人類学的な調査結果を報告している。 なお、トラック医院とトラック島で発生したトラック事件(海軍生体解剖事件)(トラック島海軍第四病院)とは全く関係がない。 サイパン医院 パラオ医院 ヤップ医院 トラック医院 ポナペ医院 ヤルート医院 アンガウル医院 サイパン医院 パラオ医院 トラック島医院における診察(1930年頃) ポナペ医院 ヤルート医院
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