子弟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:06 UTC 版)
伴馬には2人の弟があった。長弟が櫻間金記(1847年-1915年)で、伴馬と同様に中村平蔵に学んだ。伴馬は各地に稽古場を作ったが、これは専ら金記に任されていた。伴馬とは対照的に理詰めの性格で、役者としては兄の影に隠れる形で大成できなかったものの、甥・道雄は金記から多くのことを学んだと述懐している。次弟が櫻間林太郎(?-1922年)で、伴馬・金記が熊本を離れてからは、同地に残って能役者としての奉仕を続けた。才気はあったが稽古には不熱心で、伴馬は「天分は一等豊かですが勉強しませんでしたから」と慨嘆していたという。この林太郎の子が櫻間道雄である。 1892年(明治25年)、天然痘の流行により妻、そして22歳の長男・三八を相次いで亡くす。特に三八は、後継者として育て上げ、「流石は櫻間の伜」と将来を嘱望されていただけに落胆も大きく、一時は熊本に帰ろうとしたが、白井競ら周囲の懸命の説得にようやく思い留まった。 次男・金太郎(初名金次、のち櫻間弓川)は伴馬54歳の時の子であったが、能の将来に悲観的だった伴馬は、弓川が15歳になると、本人が嫌がるのを無視して商人の道に進ませた。しかし弓川は何としても父の芸を学びたかったため、旧主である細川家の家令たちに頼んで伴馬を説得してもらい、ようやく伴馬は本格的に指導を与えるようになった。 また池内信嘉によれば伴馬は「若い女に接してゐるくらゐ身体の養生になることはない」と豪語し、はるかに年下の妾を抱えていたという。
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子弟
「子弟」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は徳をもって子弟を感化した
- 彼の子弟は皆彼の感化を受けて活動した
- 彼は高風をもって子弟を感化した
- 厳格もって子弟に臨む
- 良家の子弟
- 子弟の教育
- 名門の子弟だ
- 宮中で奉仕する貴族の子弟
- 武士の子弟が初めて鎧を着ること
- 親兄弟と離ればなれにり,中国に残留した日本人子弟
- 江戸時代,諸藩で子弟の教育のために設けた学校
- 江戸時代,藩の子弟の教育や藩政の顧問を勤めた儒学者
- 昔の,百姓の子弟向けの教科書
- 子弟に分け与える扶持米
- 英国で,上流階級子弟のための私立中学校
- 成章高校は江戸時代に武士の子弟のための公立校である「藩校」として創立された。
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