子役、BOYS AND MENとして
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「TENKI」の記事における「子役、BOYS AND MENとして」の解説
3歳の頃に名古屋の芸能事務所セントラルジャパンに入所した。名古屋の劇団に入り、演技レッスンも受けていた。幼いときからアーティストになりたいという気持ちがあり、子役モデルの傍ら、ダンスパフォーマンスユニットを結成して歌やダンスの活動をしていた。ユニットのメンバーには、のちに一緒にBOYS AND MENの初期メンバーとなる平野紫耀と平松賢人がいた。 2010年、平野と平松、ほかに当時同じセントラルジャパン所属であった田中俊介らとともに、BOYS AND MENの前身プロジェクト『IKEMEN PROJECT』にエントリー。4月に開催された第1回公開オーディションに参加して、BOYS AND MENの初期メンバーとなる。中学生であったことから活動はやや限られていた。2012年に派生ユニット・チームSのメンバーとなり、常設劇場でのライブ・イベントを中心に活動する。また、個人では2011年から2年間『中学生日記』に生徒役として出演した。活動を続けていくなかで「前に出られない」といった悩みを抱えて、何か特技を身につけたいと考えるようになり、料理を得意とする小林豊の影響もあり、料理を学ぶ高校に進む道を選んだ。 高校に入学した2013年4月に、学業に専念するために3年間BOYS AND MENの活動を休止することを個人ブログで報告した。復帰の意思があることを表してはいたが、BOYS AND MENの公式サイトから清水のプロフィールは消えて、以降のBOYS AND MENは清水を含まない人数(13人→11人)を公言する。2014年春に、事務所の誘いでBOYS AND MENの舞台『ホワイト☆タイツ』再演に出演することになり、その際に「現在は学業専念中」であるとBOYS AND MENサイドから説明された。このときにBOYS AND MENのプロデューサーである谷口誠治から、「いつでも戻って来いよ」と言われたという。この頃からBOYS AND MENが売れ始めて、もとから料理の仕事に就くつもりで進学したわけではなくグループと芸能活動に戻りたかった清水は焦りを感じていた。清水の通っていた高校では卒業後に料理の道に進まないことは前代未聞であったといい、進路をめぐって学校を辞めたいと申し出たこともあった。家族や学校と話し合い、学校の理解を得て、料理の勉強と芸能活動復帰に向けたレッスンとを両立する。所属ユニットのチームSは、自身の休業中に消失した。
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