けい‐こ【稽古】
稽古(けいこ)
稽古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/07 14:45 UTC 版)
稽古(けいこ)とは、広く芸道に共通して使われる、主に練習を指す言葉である。
- ^
孔子. 尚書/堯典. - ウィキソース.
- ^ 南谷直利、北野与一 「稽古」及び「練習」の語誌的研究 北陸大学 紀要, 2002
- ^ a b c 西平直『稽古の思想』 春秋社 2019年 ISBN 978-4-393-31303-9 pp.18-24,49-52,
- ^ 小笠原敬承斎 『武家の躾 子供の礼儀作法』 光文社新書 2016年 pp.187 - 188.
- ^ 鍋に熱燗2本注いだ北の湖さん ぼそりと「下積みが…」 朝日新聞DIGITAL 2020年9月26日 11時00分 (2020年10月12日閲覧)
- ^ 『大相撲中継』2017年11月18日号 p8
- ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)p.106
- ^ コトバンク-出稽古
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年6月号70頁
- 1 稽古とは
- 2 稽古の概要
- 3 演劇における稽古
- 4 注
稽古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:15 UTC 版)
門下に多くの俊英を生んだ九郎であったが、その稽古が厳しかったことは夙に名高い。6歳年下で、九郎の片腕役を務めた松本金太郎は「なにしろこの老人をぶんなぐるんですからね」と周囲に師匠自慢半分こぼしていたという。 野口兼資によれば、その稽古は理屈などは一切抜きで、まず一度は自分でやってみせ、それから出来るまで何度も弟子に繰り返させる、というものであり、兼資らは一心に九郎の芸を真似ることに努めたという。そして九郎が「ちつとは自分の考へも入れてやつて見ろ」と促すので、実際に弟子が自分なりの工夫をして演じると、「考へてやれといつたとてあれは何だ、あんな変なことをやる奴があるか」と叱られる、といった具合であった。対して上手く出来た際には決まって、「まあ、あれぐらいなら他流の人が見ても恥かしくはないよ」という言い方で賞めたという。 近藤乾三は、九郎の「せめて下手になれ」という言葉を繰り返し語っている。
※この「稽古」の解説は、「宝生九郎知栄」の解説の一部です。
「稽古」を含む「宝生九郎知栄」の記事については、「宝生九郎知栄」の概要を参照ください。
稽古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:06 UTC 版)
伴馬の稽古が厳しかったことは、弟子たちが口を揃えて語るところである。甥の道雄によれば伴馬の教え方はひたすらに実地的なもので、理屈は一切抜きであった。 その厳しさは子方(子役)相手でも変わらず、後の喜多流宗家・喜多実は、幼い頃「七騎落」の子方として借りられた際、何の容赦もなく叱りつけてくる伴馬の気迫に、思わず縮み上がるとともに悔しさを覚えたという。もっともこれが災いすることもあって、「安宅」の稽古中、子方を厳しく叱ったあまりにその父親が怒ってその子を連れて帰ってしまい、弱って姉婿に「白髪頭でもよいからお前やれ」と頼む、というようなこともあった。 稽古・習道論としては、「芸の向上は瓢箪の如し」が持論であった。つまり、最初のうちは自らの不足が解るので、その空洞を埋めるように稽古に励むことが出来るが、それが満たされてくると安心・慢心が起こってくる。それを脱するのはちょうど瓢箪の狭い節を抜けるように難しいことで、それには良き師の教導が欠かすことが出来ない。そうしてその節を抜け出すと、今度はまた広いところに出て、自らの不足に気付かされる。そこで再び稽古に励むが、また節に近づくと安心してしまう。伴馬は芸の進歩とはその連続であると考えており、かつその形は「瓢箪の小さいのから大きいのを順々に継ぎ合した」ような具合で、節を抜けるたびにその空洞はどんどん大きくなっていく、即ち自分の不足を感じることがどんどん増していき、次第に慢心からも遠ざかっていくことができるのだという。
※この「稽古」の解説は、「櫻間伴馬」の解説の一部です。
「稽古」を含む「櫻間伴馬」の記事については、「櫻間伴馬」の概要を参照ください。
稽古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 03:54 UTC 版)
幼少期の厳しい稽古については前述の通りであるが、その後若くして師を失った左近は、宗家に伝わる数々の伝書類を研究しながら、独学によってその芸を完成させることとなった。実弟・片山博通も「先生の芸は徹頭徹尾、頭から割り出したものであつた」と回想している。 成人後は舞台に立って稽古をすることは全くといっていいほどなく、藤波紫雪は、「多分、床に入られてから、あれこれ考え、工夫考案して居られたものと思います。…(中略)…お若い時によほどしっかり叩き込んでおありになったのでしょう」と語っている。
※この「稽古」の解説は、「観世元滋」の解説の一部です。
「稽古」を含む「観世元滋」の記事については、「観世元滋」の概要を参照ください。
稽古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 15:54 UTC 版)
稽古には「温故知新」と「武道不易」という考えが導入されているという。この武門の稽古は、創始者が1970年代に、「柳生の柔術」の経験や山間めぐりをした時期に日本国の武術の稽古と楊式太極拳の稽古の融合をはかった結果であろうとみられている(朝日新聞2009年3月「筑波山の達人」から)。技と稽古は以下のものが行われている。 81式大架型 - 基礎門、中門、全門の三門にわけて、それぞれの健康門、武道門。 99式小架型 - 基礎門、中門、全門の三門にわけて、それぞれの健康門、武道門。 13式刀 54式剣 15式棍 槍 - 単人法、双人法、双人円法、双人動歩四槍法 弓 - 彎弓法 対練手 - 単推手、双推手、四正推手、四隅推手、90式散手対打、連続散手、自由散打
※この「稽古」の解説は、「内神道」の解説の一部です。
「稽古」を含む「内神道」の記事については、「内神道」の概要を参照ください。
「稽古」の例文・使い方・用例・文例
- 稽古をさぼり続けていたらダンスを覚えられないよ
- いつもは週一で剣道の稽古に通う人も、夏の間は週二で通う人が多い。
- お稽古の準備をして、カメラをセットしておいて下さい。
- 私は昨日合気道の稽古に行った。
- あなたは金曜日に相撲の稽古を見たいですか?
- 私は17時から合気道の稽古に行きます。
- 私は13年剣道を稽古しました。
- 彼女は稽古を休んだ。
- 彼らはけんかをしているのではなく、劇の稽古をしているところだ。
- 稽古場の真ん中の踊り子は今にも踊り始めようとしています。
- 私は 3 年間柔道を稽古した.
- 僕はそのアメリカ婦人を稽古台にして会話の練習をした.
- 本番のつもりで立ち稽古しようぜ.
- 家内は今琴の出稽古に行っています.
- なまじっかなお稽古なら始めからやらない方がいい.
- 稽古はあしたから始まる
- 子どもの稽古は遊び半分だ
- 今算盤を稽古しています
- 稽古が始まるまでにはできます
- 自転車の稽古中
稽古と同じ種類の言葉
品詞の分類
- >> 「稽古」を含む用語の索引
- 稽古のページへのリンク