ガチンコとは?

ガチンコ

格闘技などにおける正面からのぶつかり合いを意味する語。真剣勝負といった意味でも用いられる。

ガチンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/20 00:10 UTC 版)

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ガチンコは、大相撲プロレスにおける「真剣勝負」を意味する隠語である。

同義語はガチシュートセメントピストル。反対語は大相撲においては「注射」、プロレスにおいては「ケーフェイ」、「ワーク」などと呼ばれる。

語源・用例

ガチンコ
本来は相撲界の隠語で、語源は力士同士が激しく立合いを行った際、「ガチン!」と音がするところから、真剣勝負を表す隠語として使用されるようになった。八百長とは縁のない力士のことを、俗に「ガチンコ力士」と呼ぶ。
1950年代に力道山が角界からプロレス界に身を投じて以降、大相撲の慣習・文化が多数取り入れられた日本プロレス界においても、同様の意味で用いられるようになった。
セメント
ガチンコと同義。語の由来はセメントが「ガチガチ」に硬いことからなどとされているが定かではない。
シューティング・サイン
シュート
アメリカで誕生したプロレスの隠語であり、カーニバルの射的にその由来がある。シュートを表すジェスチャーである人差し指親指を立てたハンドサインは「シュート・サイン」、または「シューティング・サイン」と呼ばれ、即ち拳銃を模したものである。日本のプロレス界でも1980年代後半から1990年代にかけてこの用語が使われ始め、真剣勝負を意味するガチンコやセメントとの類語・同意語として広く普及した。なお、シュートを行うレスラーを「シューター」と呼ぶ。かつてダニー・ホッジが「キレると何をするかわからない」という悪癖から稀代のシューターとしてレスラーの間で恐れられていた。用語の使い分けとしては、試合内容についてはガチンコ、リング外での本気の仕掛けをシュートと呼ぶ場面がしばしば見られるが、明確には使い分けられていない。アメリカではリング内外どちらもシュートと表現する。語句としては「シュートマッチ(セメントマッチ)」「シュート(セメント)を仕掛ける」などが一般的用法である。
ピストル
女子プロレスではピストルと呼ぶのが一般的である。これは全日本女子プロレス創始者である松永高司が提唱したものである。

概要

相撲

近代において相撲はスポーツであり、本場所での取り組みはすべて真剣勝負、つまりガチンコであることが建前上は当然とみなされている。これに対して、地方巡業などの本場所以外での花相撲ではあえてガチンコをとらず、無気力相撲ともとれる取り組みや地元出身力士に花を持たせるような取り組みが度々行われている。これは花相撲が興行的な側面が強いイベントであり勝敗も番付に影響しないこと、相撲がもともと過酷な格闘技であること、などの理由がある。昭和前期の大関名寄岩には「花相撲で部屋の横綱である双葉山に勝って師匠に怒られた」という逸話がある。

プロレス

1920年代にエド・ルイスらが「トラスト」と呼ばれるプロレスラーの組合を結成して以降、プロレスはブックと呼ばれる事前の打ち合わせに基づいて試合が行われるようになった。しかしながら選手間の人間関係の悪化などの理由により、しばしばその打ち合わせを無視して試合が進行する場合がある。このような試合をガチンコやシュートと呼ぶ。この隠語の発祥の地であるアメリカでは、リング内の真剣勝負のみならず、リング外でのストーリー破りもシュートと呼んでいる。また、レスラーは試合をファンによる乱入により妨害された場合には、乱入者に容赦ない攻撃を加えることがあるが、アメリカではこれもシュートと呼ばれる。日本ではリング内はガチンコ、リング外はシュートと呼んでいたが、リング内での真剣勝負もシュートと呼ばれる機会が増えている。

シュートは選手の格やマッチメイカーによって試合の勝敗をあらかじめ決めることなく、両者の実力によって決着を着ける意としても使用されることがあり、佐山聡が創設した総合格闘技である修斗及び立ち技格闘技のシュートボクシングの由来となっている。

「女子プロレス終わらない夢 全日本女子プロレス元会長 松永高司」によると全女の試合は基本的にシュート(ピストル)で行われていた。また、デビル雅美も「kamipro」146号誌上において「タイトル戦はシュートだった」と語っている。プロレスにおける実力主義についてはストロングスタイルも参照。

ただし、シュートという概念はそれ自体がアングルとして用いられることもあり、上記の試合についてそのような見方をする人も少なくない。このアングルをあたかもシュートであるかのように見せる手法は、海外では「ワークド・シュートWorked shoot)」と呼ばれストーリーを盛り上げる演出としてポピュラーなもののひとつである。

有名なシュート事件

セメントマッチ

1925年のウェイン・マンvsスタニスラウス・ズビスコ
「マッチメイク破り」としては史上最古の例と伝わる。マンが勝つ筋書きになっていたところズビスコが「ブック破り」を行い、シュートの実力で劣るマンを一方的に攻め、フォールしてしまった。旧NWAの世界タイトルマッチの体で行われた試合での出来事であったためズビスコは関係者から危険人物とみなされるようになったが、一方で事情を知らない一般のファンからは多大な人気を集めた。この反省を活かして旧NWAはシュートに対応できる実力者を王者にするようになったと言われている[1]
1954年12月22日の力道山木村政彦
予定では引き分けで終わるはずであり、試合も途中までは相互に技を掛け合う普通のプロレスとして進行していたが、木村の蹴りが力道山の金的に入ったように見える場面の直後、力道山は豹変し、突然本気のパンチを浴びせる「ブック破り」を行うと、困惑する木村を一方的に打ちのめした。成り行きに多くの謎があり、その後も両者の間に禍根を残したことから、多くの作品の題材とされた。
1976年6月26日のアントニオ猪木モハメド・アリ
当時のプロボクシング世界ヘビー級王者であったモハメド・アリが「俺に挑戦する奴はいないのか。相手はレスラーでも誰でもいい」というリップサービスを行い、それに猪木が呼応したことに端を発する。後日実現した試合では双方が終始相手のスタイルに付き合わず、「世紀の凡戦」と痛烈な酷評を浴びた。
しかし近年になって、事前に交わされた契約交渉の段階から既に激しい摩擦があったことが関係者の口から明らかになっている。また、試合中猪木に執拗に脚部を蹴り続けられたアリは血栓症を発症、帰国後治療のため入院を余儀なくされた。
結果としてこの対戦によって猪木は多額の負債を背負うことになり、アリは前述の血栓症が原因ともいわれる体調不良からスケジュールを狂わせるなど、両者共に決して実り多きものとはならなかった。
1976年8月7日、ウィレム・ルスカVSイワン・ゴメス
新日本プロレスのブラジル遠征で行われたこの一戦はセメント試合に発展しバーリトゥード戦と化する。
同年の2月にアントニオ猪木と激闘の末、敗れたルスカは再戦を迫っているという体裁で新日本のブラジル遠征に参加。遠征初日のリオデジャネイロ市マラカナン体育館に約7000人の大観衆を集めた大会。メーンでのカードとしてそこで組まれたのがこの一戦。
ゴメスはもとはカーウソン・グレイシーからグレイシー柔術を学び、1974年12月に新日本がブラジル遠征した際に王者と称して新日本に接触を試みる。お互いの寝技関節技に関し、自分らと違う技があること、知らない技があることに興味を持ち、猪木に弟子入りをするかたちで同年から約2年間、留学生というかたちで新日本でプロレス修行を積み、ブラジルでバーリトゥード王者に君臨。当時バーリトゥードはレスリングや柔術をベースにして素手で戦う実戦的格闘技を称していた。UFCなどにより知られる前は専門誌でも「バリツーズ」などと表記されていた[2]
ルスカが後年この試合に触れたときは3分程度でKO勝ちしたとの認識も加味して意外にも印象が薄かったらしく、うろ覚えのようだった。また試合に先立ちアントニオ猪木からはできれば試合時間を長くしたほうがよいというアドバイスを受け、じっくりといくつもりであったようである。[3]
しかしのっけからのゴメスのパンチ攻撃に、ルスカがそういうことかと顔面に右ストレートを叩き込みはじめる大荒れの様相となる。そのルスカのゴメスへの顔面への鉄拳攻撃で、ゴメスが右目尻から大流血。ゴメスが寝技にもちこみルスカをフロントネックロックで捕らえるが、ルスカもゴメスの体に乗っかる。かくしてプロレス興行の場で、柔道出身者対柔術出身者のバーリトゥード形式での異種格闘技戦となった。
結局エプロンサイドでゴメスがルスカの背後に回ってスリーパーをかけ、そのままゴメスがエプロンサイドでルスカの首をずっと絞め続けた。このため、9分03秒でエプロンカウントアウトの裁定が下された。体がリングから出ていたことでゴメスのエプロン位置における10カウントでのリングアウト負けと判定されたのである。ただしこれはもっぱらレフェリーが壮絶な試合を終わらせるための処置だとされている。
地元の英雄の敗退とプロレス流の不可解な裁定に観衆は激怒していたが、納得のいかないゴメスと観客を猪木が入ってきて収めている。
この結果リオデジャネイロ市体育協会が、レフェリーを務めたミスター高橋とルスカに対し「ブラジル国内でのあらゆるスポーツに永久出場停止」という処分を下したとされる。なおゴメスは9針を縫う重傷を負っている。
一方のルスカはこの後猪木からポケットマネーの小遣いまで支給され、観光旅行を楽しんだという。[3]
白夜ムック「マット界スキャンダル『機密文書』」(白夜書房、2005年 ISBN 978-4861910425)では、ライターの渋澤恵介はルスカの優勢勝ちといった内容だったとし、注釈で「そのまま試合が続けばダメージが大きいゴメスをルスカが破った可能性が高い」と記している。
月刊プロレス 1976年10月号 によると、遠征ではこのほか2大会が行われ、ゴメスにはその後ストロング小林木戸修と対戦。いずれもどうしても勝ちたいゴメスはセメントを仕掛け勝利している。
1976年10月9日のアントニオ猪木対パク・ソン
1976年12月12日のアントニオ猪木対アクラム・ペールワン
アントニオ猪木が行ったパキスタン遠征(前述のアリ戦で背負った多額の負債返済のためといわれている)で起きた、当地で英雄と称えられていたレスラー、アクラム・ペールワンとの対戦とそれに纏わる事件。全くのノールール・マッチであったとされ、それについては当時猪木に同行した藤原喜明ミスター高橋など複数の関係者が明言している。なお、この「ノールール勧告」は試合の数時間前に初めてペールワン陣営から突き付けられたという。単なる海外でのプロレス興行と思い込んでいた猪木陣営にとっては、この一方的な「潰し予告」ともいえる要求は全く不測の事態だった。
試合は両者が噛み付きや目突き(ペールワンは片目を失明したといわれている)などを応酬する凄惨なものになり、最終的には猪木がペールワンの腕をアームロックで脱臼させ勝利を収めた。勝利の瞬間、猪木は「折ったぞー!」と雄叫びをあげ、リング上でもみ合う両陣営の関係者を押しのけるように両腕を高々と振り上げた。このことについてミスター高橋は自著の中で「リング上で叫ぶ猪木の表情は、すでに正気のものではなかった」と述懐している。また、猪木のセコンドについていた藤原の弁によれば、ペールワンの勝利を信じて熱狂的な声援を送っていた観衆が一気に静まり返るのを感じ「もう俺たちは日本に帰れない」と絶望さえ覚えたという。猪木本人は興奮のあまりほとんど記憶がないとのことだが、ふと我に帰った瞬間ライフルを携えた兵士の姿が目に入り、急に恐ろしくなったと『リングの魂』内の談話で述べている。
試合後の猪木は憔悴しきった様子で「あいつ、(アームロックが極まっても)参ったしないから…」と語り、終始表情は曇ったままであった。
なお猪木は引退後、この試合が収録されたDVDの中で当時のことを解説している。ペールワンの腕を脱臼させたことについては、「僕はレフェリーに『折れるぞ。試合は終わりだ』と言ったんですが試合を止めないし、相手(ペールワン)もギブアップしない。それで思い切って力を入れたら、腕がバキバキと音を立てて折れてしまった」と述べており、あくまで事態を終息させるための最終手段だったという。その一方でペールワンに仕掛けた目突きのように見える行為は「フェイスロックを極める際の流れがそう見えるだけで、反則(目突き)ではない」としている。
この試合の結末が影響してか、ペールワンの兄であるアスラムと猪木が対戦する予定だった第2戦は中止になった。
1986年4月29日の前田日明アンドレ・ザ・ジャイアント
第一次UWFの崩壊後新日本プロレスに復帰した前田と、アンドレの対戦で起こったシュートマッチ。試合開始からアンドレは全くプロレスに付き合わず、前田がタックルに来ると巨体を被せて押し潰そうとした。その様子に異変を感じた前田は試合途中から距離をとっての打撃に終始。この時点で前田はアンドレのセコンドに付いていた若松市政に「若松さん、(アンドレに止めるよう)言ってくださいよ」と言っていたといわれている。前田は自著『パワー・オブ・ドリーム』(角川文庫)で当時の状況を記しており、それによれば前田がセコンドに付いていた星野勘太郎に「本当にやりますよ。いいんですか」と尋ねたところ、星野は困惑した様子で「俺に訊くなよ」と答えたという。
異様な膠着状態が続く中、観客からブーイングが起こり始め、リングサイドには試合に関係のない猪木が現れる。リング中央から動かないアンドレに対し、前田は膝頭に危険な蹴りを連発。最終的にアンドレはリングに寝転がったまま起き上がらなくなり、戦意喪失とみなされ試合終了。困惑した前田がセコンドに対し事情の説明を求めるという不可解な結末に終わった。前述の前田の自著には、アンドレはマット上に寝転んだ後に制するかのように両手を広げながら「It Is Not My Business」(俺が仕組んだことじゃない)と言ったという記述がある。
シュートマッチ強行への経緯については諸説あり、当時の関係者の証言も断片的なものに留まり、また当事者のアンドレが故人となった現在では真相は不明。当時マッチメイクを担当していたミスター高橋も自著の中で、特に新日サイドから指示されたことはなく、試合後もアンドレは何も答えてくれず、困惑するしかなかったと当時の胸中を明かしている。この試合について見解を表明しているのは当事者の一人である前田と、新日サイド側では現時点に於いての唯一の証言者であるミスター高橋のみと非常に少ない。前田は「新日サイドによる組織的な『潰し』」という説を唱えており、対して高橋は「UWFスタイル、特にキック攻撃を嫌悪していたアンドレが個人的感情から起こした行動」としている。アンドレも晩年、この試合について「前田はキックが好きだと聞いていた。だから好きなだけ蹴らせてやっただけさ」という旨の発言を残しており、何らかの思惑があったことを示唆している。
なお、この試合の様子はテレビ収録大会にもかかわらず、後日、全国ネットで放映された録画中継で、この試合のみが何の説明さえもなく放送されなかったことから『内容が危険であるという理由で放送されなかった』のではないかとファンの間で噂されていた。しかし、テレビ朝日の関係者によれば当時のスタッフから「試合が成立しておらず、つまらない」という声があり(セメントとわかってなかった?)、放映するコンテンツとして品質不足と判断されたためだという。この試合はお蔵入りの状態が続き、流出物のビデオが出回るのみであったが、近年になってDVD化されるなどようやく“封印”が解かれた。
その一方で、この試合の翌日に発行された東京スポーツは、試合の一部始終を詳報。1面トップかつ写真入りで大きく扱った。「大巨人、ナゾの試合拒否」などの見出しを付け、この試合を「異常事態」と捉えた報道になっていた。
1987年7月18日の神取忍ジャッキー佐藤
ジャパン女子プロレスでプロレスデビュー間もない頃の神取忍が、同団体のエース格だったジャッキー佐藤との試合でシュートを仕掛けた。諸説あるが、両者の意見の食い違いが主な原因とされている。なお、この試合前に神取は「今日はジャッキーさんを30秒で倒す」「あっという間に終わらせたらお客さんに申し訳ないから、初めの5分はジャッキーさんに合わせる。だから5分30秒かな」とシュート予告ともとれる発言をしていた。
試合開始から数分後、神取が突然ジャッキーの顔面を次々と殴打し始め、ジャッキーは防戦一方に陥る。この際、異変に気付いたリングサイドのレスラーたちから「神取、何をやってるんだ」「やめろ」と怒声が上がったという。さらに神取は戦意喪失状態のジャッキーをアキレス腱固め袈裟固めなどで執拗に攻め立て、最後はチキンウィングアームロックギブアップを奪った。なお、これはジャッキーが喫した生涯唯一のギブアップ負けである。後に神取はこの際のことを「関節技は全部本気で極めにいった」と明言している。試合終了後のジャッキーの顔面は無残に腫れ上がり、極められた腕は脱臼していた。ジャッキーはこの試合から程なくして引退しており、神取戦における惨敗が要因のひとつという評もある。
後年、神取はインタビュー内でこの試合について「ジャッキーさんの心を折るために仕掛けた」と語る一方、喧嘩マッチとして語り継がれていることに関しては「あの試合は喧嘩じゃない」と述べている。また、最盛期のジャッキーを知る北斗晶は恐ろしい性格であるジャッキーを恐怖に追い込んだ神取は相当強いと感じたそうである。
1991年4月1日の北尾光司ジョン・テンタ
SWS神戸大会で北尾が全くテンタと手を合わせようとせず、目潰しの構えをとるなどして威嚇した事件。結果としては何事も起きず未遂に終わっている(裁定は北尾の反則負け)。だがその直後に解説席のマイクを奪った北尾が「この八百長野郎!八百長ばっかりやりやがって」「お前ら、こんな試合見て面白いのか!」と暴言を発した。この発言を翌日のスポーツ紙は問題視する形で報道、すぐにプロレス業界全体を巻き込む大問題へと発展した。この試合の2日前(同年3月30日)にも北尾とテンタは東京ドーム大会でのシングルマッチで対戦しているが、北尾はフォール負けし、自身の試合が終わると、大会の全カード終了を待たずして会場から去ってしまう事件を起こしている。「八百長」事件後の一部週刊誌では、この試合で、相撲時代の番付では遥かに上だった自分が、テンタ相手に「負け役」をやらされたという不満が募っていた事も事件の引き金になったのではないかと指摘されている。北尾本人は神戸大会の試合直後、周囲に対し満足気な態度で「どうだ、盛り上がっただろう?」と話しているなど、重大なトラブルを引き起こしたとは思っていなかった様子だが、プロレス界全体を巻き込んだ影響の大きさから、北尾はこの試合を最後にSWSを解雇されている。この事件から数年後にWARで再戦が行われたが、総合格闘家に転向していた(当時PRIDEにも参戦している)北尾は終始いきり立った様子で試合を進め、格闘技然とした展開となってしまい呆気ない幕切れとなった。
1993年のジェンヌゆかり遠藤美月
当時団体のキャラクター路線で一定の人気を得ていたLLPW(現:LLPW-X)で宝塚風のキャラクターで再デビュー戦となったジェンヌゆかりに対し遠藤が試合途中からシュートを仕掛け一方的にジェンヌを蹴り上げる事態に発展、明らかにジェンヌに戦意損失の意思が見えても遠藤の攻撃は収まらず完勝に終わる。遠藤が日頃から団体のエンターテイメント路線に反発していたのに対し、同じ格闘技路線のジェンヌがキャラクターレスラーに転向する意向を受け入れた事による制裁と思われる。しかもこの企画はテレビ番組のコラボレーションで作られた事により、当日セコンドに立っていた番組出演者と遠藤が一触即発となる事態となってしまった。
1993年の北斗晶神取忍横浜アリーナ両国国技館)
この試合は初めからシュートと公言していたせいかセメントマッチの中でも女子プロレス史における伝説の名勝負となった珍しい例である。
1999年1月4日の小川直也橋本真也
ライバル抗争を繰り広げられていた橋本真也に対し、小川直也が執拗な顔面へのパンチ(プロレスで顔面パンチは反則行為である)や、倒れた橋本の頭部を思い切り踏みつけるなどの攻撃を繰り返した試合。橋本も小川に対して反則技である脊椎への攻撃を仕掛けるなど報復を行った。
一方的に攻撃を受け続けた橋本はKO(裁定は無効試合)され、直後に小川が挑発的な言動を行ったことから場内は騒然となった。これにより試合後、両選手のセコンド同士による大規模な乱闘が発生。小川のセコンドをしていた村上和成は、飯塚高史に顔面を踏まれ一時昏睡状態に陥るほどの大怪我を負う。さらに事態は紛糾し、当時の現場監督の長州力が小川に詰め寄り怒声を上げる姿がテレビで放映された。この際に長州は小川に対して「これ(シュートで橋本を潰す行為)がお前のやり方か!」と繰り返した。また、橋本がKOされた際にゴングを鳴らしたのはリングアナの田中秀和の独断によるものである(「何とか収拾を付けたかった」と本人が後に語っている)。
なお橋本は試合後の検査で鼻骨を骨折していたことが判明、長期離脱を余儀なくされた。
2000年8月5日のプロレスリング・ノア旗揚げ戦での垣原賢人大森隆男
垣原賢人がオープンフィンガーグローブを着用して登場、対戦相手の大森隆男を一方的に叩きのめした試合。直後に垣原はノアを退団してしまい、原因や経緯など多くが不明のままである。なお垣原が引退直前にインタビューで語ったところによれば、試合後大森から「悪いけど僕にはああいうのは出来ない」と言われたことに自信を失い、退団を考えるようになったという。
2004年11月4日ダニエル・ピューダーカート・アングル
2004年10月、WWEの第4回タフイナフチャレンジで優勝し、WWEとの契約を獲得したダニエル・ピューダーは、11月4日、スマックダウンにおいてカート・アングルと対戦した。この際ピューダーはアングルにシュートを仕掛け、ガードポジションからのキーロックダブルリストロック)を極めるも、異変に気づいたレフェリーがピューダーの肩がマットに着いていると判断し素早く3カウント、ピューダーのピンフォール負けを宣言した[4]。ピューダーは2005年9月、WWEのコスト削減を理由に解雇され、総合格闘家へ転向した。
2011年4月28日IGFのチャンピオンシップトーナメント一回戦として行われたジェロム・レ・バンナ鈴川真一
K-1ファイターのバンナが、元幕内力士の鈴川の、張り手やタックルを全てかわしパンチやキックで計六回のダウンを奪い、最後は右フックで鈴川を失神させてKO勝ちした試合。この試合はバンナ側の要求と鈴川側の要求が合わず、KO、ギブアップのみにより勝敗の決まる異種格闘技ルールで行われた。
2015年2月22日の世IV虎安川惡斗
スターダム後楽園ホール大会のメインイベントで行われたワールド・オブ・スターダム王座のタイトルマッチで、王者の世IV虎に対し、挑戦者の安川が顔面付近を殴ったことに激昂した世IV虎が、安川の顔面を拳打で執拗に攻撃し、安川が闘う意思を見せていたためレフリーは試合を止めず、危険と判断した安川のセコンドを務めた木村響子がタオルを投入し、世IV虎のTKO勝ちとなった試合。試合後に安川は都内の病院に救急搬送され、頬骨、鼻骨、左眼窩(か)底骨折、両目の網膜しんとう症の診断が下された。後日、この試合は世IV虎のTKO勝利から無効試合に変更され、顔面への過剰な反則攻撃を行った世IV虎はタイトル剥奪及び無期限出場停止の処分を受けた後、自ら引退した(なお、後に他団体で復帰した)。負傷した安川も、復帰をしたものの怪我の回復がおもわしくなく、ドクターストップがかかり引退となり、両者ともに後味の悪い幕切れとなった。この試合に関しては、世IV虎の行為はもとより、明らかに実力差のあった選手同士に対してタイトルマッチを組んだスターダムに対しての批判や、危険な状態になっていたにもかかわらず、試合を止めなかったレフェリーの和田京平に対しての批判も起こり、顔面を負傷した直後の安川の写真が週刊プロレスの表紙になった。また、後日フロントによる聞き取り調査で「入団当初から両者は仲が悪く、今回の挑戦や映画など最近の安川の抜擢が非常に面白くないことを世Ⅳ虎が漏らしていた」と言う事が解り「仕事に身勝手な私情を持ち込みレスラーは元より一社会人としても問題がある」と糾弾され、社会的に問題視される事態となった。

ストーリー破り

カーテンコール事件
1996年5月19日、WWFの興行でバックステージの派閥グループクリックのメンバーが行ったストーリー破り。この事件当時スコット・ホールケビン・ナッシュWWFを離れてライバル団体のWCWに移籍することが決まっていた。この日のメインイベントで、ベビーフェイスのショーン・マイケルズは、ヒールのナッシュとのケージマッチを戦った。試合が終わるとすぐに、リングに上がったホールはマイケルズを抱擁した。ここまでは、両者ともにベビーフェイスであったため問題がなかった。しかしその後、マイケルズはリング上に横たわっていたナッシュにキスし、アンダーカードでヒールとして試合をしたハンター・ハースト・ヘルムスリー(トリプルH)もリングにやってきてマイケルズやホールとハグを交わした。最終的には敗れてマットに倒れていたナッシュも加わり、4人で観客に向けて "カーテンコール" を行った。
彼らのカーテンコールの行動は、当時、ベビーフェイスとヒールの関係は現実のもので彼らはリングの外においても友人ではないという幻想を維持したいと考えていたWWF首脳陣を憤慨させた。さらにWWF経営陣は、この興行をカメラで撮影していたファンがいたことを予期していなかった。この撮影テープは、翌年の1997年10月6日のロウ・イズ・ウォーで、マイケルズとヘルムスリーが、ビンス・マクマホンを怒らせる意図でストーリーライン上で使用された。マイケルズは当時WWF王者で、団体のトップスターの1人であったために罰せられなかった。ホールとナッシュはすぐにWCWに去ったため、残ったヘルムスリー1人だけに罰が下され、メインイベントのタイトルマッチを外されて前座の試合でジョバー役を回されるようになった。しかし彼は、この5ヶ月後にはWWF・IC王座を手に入れる。
モントリオール事件
1997年11月9日のWWFの特番サバイバー・シリーズでのブレット・ハート対ショーン・マイケルズのWWF王座を賭けた試合で起こったストーリー破り。通常セメントマッチ及びストーリー破りは試合中にレスラーが行うものであるが、当事件は「団体側による」ストーリー破り(スキャンダルに巻き込むことでストイックなブレットの商品価値を落とそうとたくらんだ)という点が特徴。事件の衝撃は大きく、絶対的な悪名を得たチェアマンのビンス・マクマホンとそれには歯向かう荒くれ者スティーブ・オースチンの抗争をはじめとするアティテュード路線がさらに推し進められることとなり、後のアメリカプロレス史に大きな影響を与えた。

脚注

  1. ^ ミスター高橋『知らなきゃよかった プロレス界の残念な伝説』宝島社、2018年。ISBN 9784800289216 pp.206-207
  2. ^ PROWESTLING ALBUM2 アントニオ猪木格闘技世界一決定戦. ベースボールマガジン社. (1986年10月). 
  3. ^ a b 別冊宝島EX//格闘技死闘読本 「最強」を求めた愚か者たちの、荒ぶる魂の伝説!. 宝島社. (1994). ASIN B00K24HZES. 
  4. ^ PUDER WANTS REAL FIGHT WITH KURT ANGLE - mmaweekly.com、2006年10月26日、2010年5月23日閲覧。

関連項目


ガチンコ!

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ガチンコ!
ジャンル バラエティ番組リアリティ番組
出演者 TOKIO ほか
製作
プロデューサー 合田隆信、吉田裕二
制作 TBS
放送
放送国・地域 日本の旗 日本
放送期間 1999年4月13日 - 2003年7月29日
放送時間 毎週火曜 21:00 - 21:54
放送分 54分

ガチンコ!』は、TBS系列1999年4月13日から2003年7月29日まで放送されたバラエティ番組リアリティ番組である。

概要

1999年の春改編で『うたばん』が木曜夜8時枠に移動し、木曜夜8時の毎日放送制作枠が水曜夜7時枠に移動したことを受け、それらの枠と入れ替わる形で放送を開始した。

番組開始当初はTOKIOのメンバーが司会となり、様々な社会問題に体当たりし、「世の中のためになろう」というコンセプトで色々な職人プロを養成するという企画を行っていた[注 1]。主に不良少年を集めてプロボクサーをスパルタ風に育成するという建前の「ガチンコ・ファイトクラブ」シリーズが始まった2000年頃から番組の方向性が固まり、ナレーター垂木勉(番組開始当初から担当していた)による「と、その時!」や「一体どうなってしまうのか!?」などの独特のナレーションテロップの数々、参加者の不良達による罵声やつかみ合いが頻繁に始まりすぐに乱闘騒ぎへと発展する描写が視聴者に受け、真剣勝負を意味する相撲界の隠語である「ガチンコ」という言葉が広く知れ渡るようになった[注 2]。しかし、人気番組であり高視聴率を記録し続けた反面、暴力的な場面も多く倫理的に問題があるとして苦情が寄せられたり、出演者の品の無い態度や言葉遣いなどから低俗番組と批判されたりすることも多かった。また、出演者のセリフはつたない発音であることが多く、過激な演出と相まってやらせ番組として広く認識されることになった。「ファイトクラブ」「ラーメン道」など人気コーナーはシリーズ・派生化されることもあった。スタッフが『学校へ行こう!』と一部共通であり、ドッキリ企画や末期の旅企画など企画の流用もあった。

深夜番組では一般的だった番組ロゴの常時表示をはじめてゴールデンタイムに取り入れたのもこの番組である。 番組ロゴの表示位置は画面左上。

また、当番組のBGMの大半がヘヴィメタルばかりだったためか、ヘヴィメタル専門誌『BURRN!』の編集長である広瀬和生に「マニア向けの楽曲ばかり流れる、良くも悪くもとんでもない番組だ」と評されたこともあった。劇中BGMは番組の公式サイトで毎回楽曲リストを掲載していた[1]。BGMの中にはTOKIOに楽曲を提供したことのある清水昭男が在籍しているANTHEM楽曲が流れる事もあった[2][3]

出演者

  • TOKIO(メインパーソナリティー)
途中からはほぼ城島茂国分太一山口達也のみの出演となる。これは、松岡昌宏長瀬智也の2人がいずれも同時期にドラマの出演が重なっており、ガチンコ出演へのスケジュール確保が極めて困難だったためである。
番組初期から出演。主に「ガチンコ晩餐会」「ガチンコモザイクLOVERS」「ガチンコバリバリ伝説」に出演していた。途中降板。
番組初期から半年間出演した後、降板。

主なコーナー・企画

バラエティ系

一日一善隊
視聴者の悩み事を解決させるコーナー。タイトル通り、基本的に丸一日以内に完結する内容の、単発企画。漫画家の江川達也が出演していた漫画家志望者(実際はデビュー済みの成年漫画家で、ロケ直前まで内容を聞かされず、やらせ演技を強要された)にアシスタント体験及びアドバイスする企画は、このコーナーの一つ。
お水の鉄人
キャバ嬢2人が対決を行うコーナー。3週勝ち抜けば「お水の鉄人」となるが、2週勝ち抜いた挑戦者が鉄人を賭けた対決に敗れ、さらに鉄人を阻止した挑戦者も別の参加者に敗れ、このコーナーは終了した。
献血キャンペーン
初期の企画。城島・長瀬・さとう珠緒輪島功一江頭2:50らが献血の大切さを訴えるコーナー。
包丁道(講師:平野寿将
初の料理系の企画。優勝者は、京懐石の料理店「下鴨茶寮」への入店が認められる。講師の平野以外に、日本料理界の第一人者である小倉久米雄、「下鴨茶寮」の料理長が審査員として参加した。
準決勝の審査中に参加者の1人が倒れ、病院に運ばれるトラブルが発生した。その審査は中断し、再度再戦することを決めたが、結局本人の意思で辞退することになった。
講師陣はあくまで参加者の料理・技術・技量に対してのみ批評のみを行い、参加者の人格を罵倒する等は一切行わない・駄目な料理には酷評する一方で、しっかりとした料理には高評価を与える・参加者のやる気、熱意を認めるなど大人の対応をし、また参加者もそれらの批評に対して反抗する素振りを一切見せなかったことから、同じ料理系企画でも後のラーメン道に見られるような講師や参加者同士の衝突等は一切無かった。
このため、やらせの企画が多かった当番組で、数少ない「ガチンコ」の企画であったと言えるものの、故に盛り上がりに欠けたことから、その後番組側では講師の人選や参加者の仕込みを露骨に行うことになる。
火の玉イレブン(コーチ:松木安太郎
サッカー選手を育成する企画というよりもギャグ的要素の多いコーナー。
出演した選手に「国体」「熱血」「バイト」「モヤシ」「ちゃんこ」などといったニックネームをつけるなど松木らしさが随所に表れていた。totoカップ東日本大会準優勝。国分は当時totoのイメージキャラクターだった。
ダイエット学院、ダイエット学院・レディース(講師:田中良
ダイエット学院シリーズは当初肥満体だった山口の体質改善を目的としたコーナーだったが、のち「レディース」と銘打ち女性向けに変更された。田中の毒舌、罵倒ぶりに批判は集まったが、ダイエットというプロスポーツなどに比べて真剣度の低い企画であったため、あまり問題視されなかった。
玉の輿学院・芸能人玉の輿学院
公募された女性(実際には売れないタレントの仕込みが大半であった)を対象とし、所謂富裕層や芸能人との合コンやゲームをブッキングするコーナー。誕生したカップルは一組もなかった。元ミスコンや素人名義で参加したタレントなどの他には、いちご姫きこうでんみさといったアキバ系電波アイドルも混じっていた。
ドッキリクラブ
芸能人をドッキリにはめる企画。いつもここからダンディ坂野山田花子中川家やるせなす石井康太など多彩な人物を罠にかけた。またドッキリの仕掛け人として呼び出され、本当はその人をターゲットとする逆ドッキリも行われた。そして、ドッキリをメインとしたスペシャルも放送され、DonDokoDon山口智充山咲トオルなどがターゲットになった。元々は2002年10月1日に特番「TOKIO!史上最大ドッキリウォーズ〜エピソードI〜」として放送されたものが、2003年4月1日放送の第2弾が「ガチンコ!史上最強のドッキリウォーズII!!桜満開バカ全開SP」となり、その後「ドッキリクラブ」としてレギュラーのコーナーになったものである。
モザイクLOVERS
2回で終了。
日本一モテない男
テーマ曲としてTOKIOの「Neighbor」が使われた。真面目に恋愛を成就させるよりも、男性参加者を笑い者、晒し者にするいじめ、ギャグ的要素が主であったため、結局カップルは誕生しなかった。コウメ太夫が本名の赤井貴で出演、全身赤で統一されたファッションで「レッド」と呼ばれていた。このコーナー中に、国分が恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』を誹謗中傷する発言をしたため、ゲームファンから大きく反感を買った[要出典]
晩餐会
カップルがレストランで食事をしながら本音を打ち明けるコーナー。特別編として「バトルロワイヤル」(この企画で関係がこじれたカップルに相手を考え直すための企画)、「突入せよ」があった(だまされている男の救済のための企画)。出演者による公序良俗に反する発言がBPOで問題になった。
鉄人トラベル(1/10、食いだおれスペシャル)
道行く人に所持金をたずね、その1/10の金額をもらって(金額は番組から支給される)目的地まで移動する。もらった金額は次の移動までに使いきらなければならない。後に移動手段をタクシーのみとするルールが加えられた。食いだおれスペシャルでは飲食店で料理を1人前ずつ食べ、その代金と同じ額の金額で移動する(チャレンジャーはできるだけ高く、量の少ないものを選ぶことが重要であった)。やらせ発覚により、ドキュメント系企画が続行出来なくなったことから開始したつなぎ企画であったため、結局打ち切りまで続けざるを得なかった。
TOKIOオヤジNo.1決定戦
TOKIOの体質改善(体力測定・肌年齢の検診)を目的としたコーナー。

ドキュメント系

メイン企画

ファイトクラブシリーズ(コーチ:竹原慎二
本番組を象徴する企画として一世風靡したともいうべきコーナー。全コーナー中最多の5シーズンに渡って放映された。荒れる不良達をボクシングプロテストの合格までをサポートし、実際に数人のプロボクサーを誕生させた(プロテストに合格したクラブ生の試合が、前座ではあったがテレビ放送された)。収録以外のトレーニングは沖ボクシングジムで行っていた(同ジムは翌2004年に閉鎖)。タイトルは開始当時に公開されていたブラッド・ピットの主演映画『ファイト・クラブ』から[注 3]
各シリーズの初回は国分・長瀬のどちらか一方(第2シリーズは国分、第3・4シリーズは長瀬)がスタッフと方針について会議をしているときに、もう一方がチアリーダーとともに現れ、オープニングのコールをする。あらすじで起用されていたBGMはアンスラックスの『King Size』。
放送期間中に3期生A、5期生Tが傷害事件に関与していたとして逮捕され、番組を降板した[注 4]。また、4期生Tも番組途中で何の説明もなく脱退した(Tは脱退後、週刊誌に番組のやらせがあったことを告白。後に2006年に詐欺罪、2008年に恐喝罪で逮捕されている)。
また、番組終了後にも5期生Kが2005年に車内から散水車に向けてエアガンを撃ったとする器物損壊の容疑で逮捕・起訴された[4]。更にKは2015年5月にも犯人蔵匿罪により、またしても逮捕・起訴された[5]
また、2010年4月には3期生Kが飲食店従業員を殴打したとする傷害容疑[6]で、更に2014年6月24日にも詐欺容疑で逮捕・起訴されている[7]
特別コーチとして畑山隆則(全シリーズ)、辰吉丈一郎(第3シリーズ以外)、坂本博之(第3シリーズのみ)、佐藤修大嶋宏成(何れも第5シリーズのみ)が参加したことがある。二期生でプロボクサーとなった斉藤一平は現在、俳優となっている。
漫才道(講師:オール巨人
芸人養成企画。「やらせを絶対にしない、演出も極力控えること」を条件にオール巨人が講師を引き受けた。後に有名になった山里亮太(のち「南海キャンディーズ」として活動)、「ナイツ」、「レギュラー」などが出演していた。また、ザ・プラン9ヤナギブソンが同期の藪田真宏とお笑いコンビ「君と僕」で、お笑いコンビ「烏龍パーク」なども参加していた。
最初に、このコーナーに参加するにあたってオール巨人より、「一番になったコンビ以外は漫才の世界から足を洗うように」という言葉があったが、このコーナー終了後にレギュラーや天津はブレイクし、その後も活動を継続している。
1度目の収録にて集まった芸人達に挨拶をした際、席を立たなかったことに加えて酷い言葉遣いや態度を取った芸人に対して巨人は「弟子やったらな、もうパンパンやな」と発言した。しかしその後、2回目の収録にて巨人が「ある番組を見ていた際に1度目の収録に出演していた態度の悪い芸人が出演しており、その番組では真面目な好青年であった」と説明する様子が放送された。これを見た巨人は番組側が仕込んだやらせと確信して、2回目の収録直前に番組スタッフに問い詰める事態となった[注 5]。本人はこれを機に番組を降板したかったが、1度目の収録が行われた以上そういうわけにもいかず、今後は自分の好きにさせて貰い、やらせを絶対にしないことを条件にその後も講師を続けた。しかし、実際にはその後も番組側が初回の収録ほど露骨ではなかったものの、巨人に気付かれない範囲でやらせを行い、巨人自身も後輩芸人にビンタをするなどの仕込みを要求され、スタッフに激怒することがあった。また、そのために番組スタッフは他の企画ほど露骨なやらせ・仕込みを行えず、テレビ的な盛り上がりに欠けたという理由で参加芸人に対し、露骨な嫌味・当てつけを行っていた(後程)。
大検ハイスクール(講師:大和龍門
短期間で大学入学資格検定の合格を目指す不良などの問題児を取り上げた企画。全寮制で大和が講師(生活指導)として抜擢された他、複数の塾講師も招かれた。勉学に励む内容であったが、番組内でクローズアップしたのは生徒間の問題や大和との衝突がほとんどである。最終的には全員不合格という結果で幕を下ろした。
大検に出演したNが「やればできる」、「やっても無駄だということは絶対にない」などの言葉を残している。内気な性格から寮生Sにいじめられた後、寮を脱走し自宅に引篭もってしまったこともあったが、大和が強制的に連れ戻し、Nは最後までこの予備校に通い続けた。番組の最終回スペシャルで出演し、中学・高校時代のいじめの経験等を語り「夢は新聞配達をしながら記者になることです」と決意表明をした。
BE-BOP予備校(講師:大和龍門)
大検ハイスクールと同じ、短期間で大学合格を目指す不良などの問題児を取り上げた企画。大検ハイスクールと同様、複数の塾講師や学習指導者も招かれたものの、番組内でクローズアップしたのは生徒間の問題や大和との衝突がほとんどである。最終的には、3人の大学合格者を出した。
大和の「全員志望校1本だよ!滑り止めなし!!」の方針に不服を訴えた2人を除く多くのメンバーが離脱した。最終回には全員集合したが、ほぼ全員が志望校1校しか受験しなかった。なお残った2人のうち塾生Wは大学に合格し、もう1人の塾生Kも中卒であったため、模擬試験という形ではあったものの合格している。2008年10月30日、塾生として出演していたMが、振り込め詐欺の罪で逮捕された(Mは現在も容疑を否認している)。
大和が「宇宙の果てまで追いかける!!」と離脱・脱走を許さない方針を示していたが、途中で2人が離脱し最終的には13人から11人になっていた[注 6]
大和の行為が教育上不適切という理由でPTAから抗議が殺到した。その後に「大和龍門大苦情SP」という、不良と大人、大学生達が大和を批判する企画が行われた(後程)。
大和の「お前らホームラン級の馬鹿だな!」「『いただきます』が言えなかったからよ、メシ喰うな!!」「どいつもこいつも馬鹿ばかり[注 7]」といった独特の発言が特徴。
女子プロ学院(コーチ:神取忍、特別コーチ:風間ルミ
3ヶ月で女子プロレスデビューを目指すコーナー。LLPWでプロレスデビューできるのは優勝者のみと説明されていた。33人から最終的に5人が残り、神取との10分1本勝負の試合形式のスパーリングで最終選考が行われ、唯一の既婚者だった大畠春美が合格した(LLPWインタビューページ)。大畠は2001年にデビューしたものの、契約違反を再三繰り返し同年11月に契約解除されている。LLPWは「事前連絡もなくイベントに不参加する等が続き、各関係者の方々にこれ以上のご迷惑をおかけする事はできないという理由から、やむなく契約解除に至りました。」と発表している。その後、本来ならデビューできないはずの落選者の一人・桑田真理が練習生を経てLLPWでデビューしているが、それについては何の説明もされていない(2004年引退)。あらすじで起用されていたBGMはSquealerの『End of the world』。
ラーメン道シリーズ(講師:佐野実
志望者の中からラーメン店主を育成するコーナー。3人の合格者を輩出し、第1シリーズは渋谷、第3シリーズはラ チッタデッラにラーメン店を開店、第2シリーズでは佐野の「支那そばや」の暖簾分けをした。講師の佐野以外に特別講師として、大阪府門真市のたこ焼きチェーン「ひっぱりだこ」の社長である揚野雅史(第3シリーズのみ)が参加した。
第3シリーズでは椅子に座ったままスタッフ二人に担がれた3期生の藤井英次が「神輿やないねんから!」や、佐野にしがみつきながら「オレはラーメンに胡椒はかけませんけど、命は懸けられるんです!」と発したやりとりや、何を思ったのか冷水を体に浴びせるなどの奇行をした。なお、藤井は現在、滋賀県大津市で「支那そば 天下ご麺」を経営している(毎日放送制作の「水野真紀の魔法のレストランR」で当時の映像と共に紹介された)。また、第2シリーズでも2期生の今泉真一郎(後にラーメン道IIの優勝者)が「です」、「今までの私(過去)は死んだんです」など佐野を極端に尊敬する台詞を発した。また、第2シリーズの1回目で、オーディション前に弟子(本コーナーの塾生ではない)が経営していた店(暖簾分けした別の「支那そばや」)を訪問した際、山口・国分と塾生候補者達が居る前で弟子を厨房裏で説教する行動が放送された。

その他の企画

ビジネス学院
最初のドキュメント(学院もの)企画。定職を持たず、働こうとしなかった人たちを立派な社会人として就職させる企画。いわゆる不良の仕込みはこの当時からあったが、講師がしっかりした大人であったためいまいち盛り上がらなかった。この反省から番組は、その分野の実績よりも言動のインパクト重視の講師の人選をすることとなる。
女優学院(監督:井筒和幸
映画女優を育成する企画。アイドル学院同様、既に女優として活動している無名女優も素人と偽って参加させられていた。井筒監督の毒舌は大きなインパクトがあり、井筒監督はコメンテーターなどで人気になる。
アイドル学院(講師:森岡利行
文字通りのアイドル育成企画。の指導を笠木新一が、ダンス・振付の指導を小野恵子が担当した。オーディションは真ん中に円形のステージがある部屋に行き、100人程度の男性の前で何かをする(何をするかの指定はない、自己紹介なし)形だった。優勝者は1日だけ日本武道館でアイドルとして活動できる。
歌の指導を担当した笠木が、学院生のあまりのレベルの低さに「もう降りる!!」と激怒したが、学院生が必死に練習したため降板は食い止められたという筋書き。
バリバリ伝説(コーチ:藤本泰東)
鈴鹿8耐を目標にバイクレーサーを育てる企画。第1回目の放送ではコーチの藤本は登場せず、オーディション会場にて一部の過激な候補生(ほとんどが特攻服を着用した暴走族風の参加者であった)が城島・山口と激しくいがみ合う様子が見られた。
男どアホウ大リーグ(コーチ:池田豪
メジャーリーガーの育成企画。初回放送で候補者の目の前で池田が「日本球界の落ちこぼれ」と罵倒してスタートした。その後も甲子園優勝経験のある候補者に対して「メジャーリーグの試合見たことある?」と挑発し、140km/hのストレートを投げる投手にも「140km/h、打ちごろ」と厳しい罵倒を繰り返した。最も有力視された候補生でさえ、最終的には現地のアカデミー止まりに終わった。候補生が、プロ野球OBの川口和久駒田徳広と対決する審査があった他、特別コーチとして、当時現役メジャーリーガーの吉井理人が参加したことがあった。結果は、マイナー契約も含めて誰一人メジャーリーグの球団との契約を取れなかったが、高校中退の17歳の青年がフロリダ・マーリンズの練習生として呼ばれた(その後の消息は不明である)。

トークバトル系

トーククラブ(出演者:神取忍、佐野実、オール巨人、大和龍門、竹原慎二)
ファイトTV24・やればできるさ!』内の企画。当番組の名物講師陣達が、会場に集められた若者達(ほとんどが暴走族風、チーマー風の参加者であった)と討論とは名ばかりの罵詈雑言・口喧嘩合戦を繰り広げた。生放送であったが、放送禁止用語も何度か飛び交った。しかしその後何の謝罪も無かった。その後の第2弾が「ガチンコ!全面抗争SP」でも放送された(第2弾ではオール巨人のみ不参加。変わってTOKIOからの主張も発表された)。不良達の他にオブザーバーとして良識派の大人達30名も参加となった。また、講師陣が会場に入場した際には良識派の大人達30名以外の参加者が興奮のあまり暴徒化し、収録が一時中断するという事態が見られた。
各講師による主張は以下の通り。
  • 第1弾「討論テーマ:今の若者への怒り」
    • 神取 「お前ら!もっと挑戦しろ!!」
    • 佐野 「お前ら!あきらめが早い!!」
    • オール巨人 「礼儀作法を身につけなさい!!」
    • 大和 「お前ら!サムライじゃねぇ!!」
    • 竹原 「仕事にプライドを持て!!」
  • 第2弾(全面抗争SP)
    • 大和 「お前ら腹切れるのか!?」
    • 神取 「お前ら粋がってんじゃねぇ!!」
    • 佐野 「おいお前ら!甘ったれんじゃねえ!!」
    • 竹原 「お前らいつまでも群れてんじゃねぇ!!」
    • TOKIO(城島・山口・長瀬) 「やればできるさ!!」
大和龍門大苦情(出演者:大和龍門)
「大検ハイスクール」「BE-BOP予備校」での大和の発言・行動が教育上不適切として、不良達と反大和派(大人と大学生達)がそれを糾弾する討論会として2週にわたり放送された。討論では時折、大和の発言や行動に関する話題から外れて反大和派と不良達との激しいいがみ合いが見られた。

頓挫された企画

結婚式、サーフィン、ストリートダンス
次週予告の終わりで参加者を募集していたが、誰も集らなかったのか、結局一度も放送されなかった。

やらせ発覚

「ファイトクラブ」で取材先の責任者である竹原の腰に“台本らしきもの”が挟まれていたという写真週刊誌に掲載されたり、やらせ番組と言われることが多かった。そして2002年7月、写真週刊誌FLASHにこの番組で使われていた“台本”がそっくりそのまま掲載された。数々の物的証拠があがり、各コーナーで一般公募とされていた、素人のはずの出演者が他のバラエティ番組にも出演していた事から、多くの視聴者から「典型的なやらせ番組」と認識されることとなった。また番組終了後に、かつて「ガチンコ!」に出演していた人の何人かが、「台本はあった」「特定の役をやらされた」などと週刊誌[8]でやらせがあったことを証言している。更に、この最終回において、白いパネルに「ガチンコ!は一部ヤラセがありました。」と書かれていたという都市伝説まで広まった。

主にやらせと指摘された内容

ドキュメント企画全体
  • TOKIOと番組スタッフが訪問した時に、講師やTOKIOと塾生、または塾生同士のいがみ合いなどといった何かしらの事態が必ず起こる。
  • TOKIOと各企画の講師とスタッフとカメラマンが合宿等の部屋に潜入する際に、既にカメラクルー等が部屋に入っていた。その為、そこにいる出演者に何らかの指示を与えているのではないかとネット上で疑問を呈するコメントがあった。
ファイトクラブシリーズ
  • どんなに興奮しても国分・長瀬・番組スタッフにはほとんど手は出さない(ただし、威嚇をしていたことはある)[注 8]。その為、竹原などコーチや候補生との乱闘が起こることに対して、同じ場所にいる国分・長瀬との乱闘は起きていない。撮影しているカメラマンやスタッフ等にも手を出していない[注 9]
  • コーチである竹原や特別コーチとして出演した畑山に対してはしばしば乱闘を起こしたり、悪態を突いていた候補生だったが、畑山と同じく特別コーチとして出演した辰吉、坂本(第3シーズンのみ)に対してはそういった態度を取らず、乱闘を起こすこともなかった。また、「I」と「IV」で他ジムで練習をすることがあったが、そのジムの練習生やプロボクサーに対しても乱闘を起こすことはなかった。
  • 「II」で二期生の一人が合宿中に脱走したことをめぐり、国分・長瀬が脱走に対して黙認していた二期生の藤野大作を責め、一期生の網野泰寛もこれに加担したが、竹原が藤野の意見を支持し網野だけを叱責した一方、先に言い出したはずの国分に対しては何も言わなかった(しかし、『大検ハイスクール』では受験時期を延期すべきかどうかを巡り衝突した塾生同士を諌めた城島が「確実に11月受けた方がいいって言うのもそれもありやと思うわ」という旨の発言をしたところ、大和から「ここは俺、8月だと思うんですよ」と反論を受けている[注 10])。
  • ファイトクラブ内で対立しているはずの一期生の網野と二期生の斉藤がテレビ朝日系『おネプ!』に「立教大学アームレスリング同好会」のサークル員として一緒に出演していた。同じく番組内では対立しているはずの二期生の斉藤と四期生の梅宮成哲(現:梅宮哲)沖縄の餅つき大会に仲良く招待されていた(当時の琉球新報にも掲載)[注 11]
  • 「II」で、番組内で二期生の藤野と畑山がスパーリングを行う事となった際、予告編の映像では当時の現役世界チャンピオンだった畑山が情け容赦ないパンチで素人同然の藤野を何発も殴打するシーンが写ったが、次の回の放映ではその模様は放送されず、スパーリングの内容も反撃に転じた畑山のわずか一発のパンチでリングに沈む藤野という展開となった(この際、スローモーション映像だった)。
  • 「IV」のオーディションで梅宮の隣に座っていた人物が梅宮に後ろ頭を叩かれ、「なにすんだよ!」と食ってかかり更に梅宮にねじ伏せられたが、反撃に出ようとした直後にダメージを受けているはずのない腹部を押さえて悶絶した。
  • 「IV」のオーディションで、梅宮が同じ候補生達に向かい「まとめてかかってこい!!」と叫ぶや一斉に候補生達が梅宮に襲い掛かったが、このシーンは事前に四期生候補者達(実はただの候補者役の出演者)と打ち合わせされていたものであった。事実、梅宮に飛びかかってきた候補生達は誰一人として梅宮に手を上げていない。この時、同じ四期生となることが決定されていた小谷伸也が先頭に立って梅宮に掴みかかっていたが、単に誰も梅宮に手を上げられない状況であることを見せ付けんがための演出であった。
  • 「V」で、争いを止めに入ったスタッフらしき人物が五期生の権代浩典に台詞を教えているシーンがあった。これ以外にも、番組スタッフが台詞を教えているシーンが存在した。
  • 「V」で、五期生に練習指示を出していたのは四期生の梅宮。同じ四期生が指導するのであればプロテストに落ちた梅宮などではなく、スパーリングで梅宮を圧倒し、なおかつプロボクサー資格を得た白岩誠が行うはず。これはスポーツの世界では、ましてや格闘技であればあまりに不自然な光景である。あからさまにキャラクター色の濃い梅宮を、視聴率稼ぎのために出番を作っていた。
  • 逮捕された五期生Tが番組内ではホストだと公言していたが、逮捕後の報道では実際は芸能プロダクションアルバイターであった。
  • 一期生の網野が、自らのブログ(旧ブログで現在は更新)で「ファイトクラブはやらせである」と語った。
  • 二期生の藤野大作は「やらせと思われたくなかったし、思いのままさせてもらった」と語っている。
大検ハイスクール・BE-BOP予備校
  • オーディションにて、会場の周りで立哨していた警備員らは警備員の服装をした出演者だった。いかにも緊張した場であることをアピールするため、どのカメラにもやたらこの警備員達が映りまくっている(なお、この光景は同種の人間が集まっていた「バリバリ伝説」の初回時には一切見られなかった)。
  • 高校を卒業していないため、本来なら大学受験の出来ないK、T、N、Oの計4名の塾生が参加していた。大和はこの事に対し「お前らホームラン級の馬鹿だな」と発言した(4名の内、Nは後に辞退)。そもそも本来であれば、高卒または大検を取得していなければ、応募自体出来るはずがなく、仮に応募したとしても書類選考の時点で落とすのが自然であり、参加しているのはあり得ないシーンである。
  • 山口がこの企画の3回目の放送で合宿を訪れた際、塾生の合宿生活の中での食事は何日間か経験しているのに対し、大和が恰も合宿生活初日時のように、授業終了時に夕食についての説明を塾生に対して行っていた。大和はこの事に対し、「メシ喰う時に『いただきます』が言えなかったらよ、メシ喰うな!!」と発言した。更に大和が「お前らもメシ喰ったら『ごちそうさま』だからな、それで自分の食器ぐらい自分で片付けろよ!」と塾生に注意したり、それに悪態をつく塾生の行為など合宿生活初日時のようなやり取りが見られた。
ラーメン道シリーズ
  • 「I」でMが一人だけ遅れをとって周りに迷惑をかけたくないという理由で自宅のアパートに引きこもり、佐野がMを連れ戻そうとした際にアパートに鍵がかかっていなかった。そもそも、誰にも顔を合わせたくないのに部屋の鍵をかけていないというのは不自然である。
  • 「III」で(ラーメンの経験者の理由で)オーディションに落ちたN(後にラーメン道IIIの優勝者)、N、藤井の3人の熱意に根負けしてスタッフが会場の場所を教えたという理由で、その3人が次のロケに現れ入室まで許されただけでなく、Nはまるで用意してきてくれと言われていたかのごとくわざわざ自店の暖簾まで持参している。
  • 「III」で落選し、後にラーメン道IIIの優勝者であるNが「一からやりなおす」と言って暖簾を折るシーンがあったが、後日発売された写真週刊誌に屋台と暖簾が写っていた記事があった。そもそも、落とされた者が暖簾を会場に持ち込むなど極めて不自然であり、予め『そこで暖簾を折ってください』という打ち合わせでもなければあり得ないシーンである。
  • 「III」で最終決戦まで残った3期生の石塚和生[注 12]は、番組では「店を何店舗も持つ一流イタリアンシェフ」と紹介されていたが、後に石塚の著書『ありがとう。あなたがいてくれたから!』で「既に自分の店は破産手続きに入っており、別の店で一料理人として働いていたが、番組スタッフが突然店にやって来てスカウトを受けた」「佐野はオーディションの最後で『次回、その覚悟のある奴だけ来い!』と言っていたが、ADが(上記の3人を含め)9人に電話をかけて呼んだ」「ロケの際は、毎回TBSに集合してから事前打ち合わせを行い、そこからロケバスで向かっていた」「あらかじめストーリーは用意されていた」などと告白している。
その他の企画
  • 「アイドル学院」の講師笠木が、学院生のレベルが低いとして辞意を表明する場面。
  • 「バリバリ伝説」において、初回放送に有名なレーサー暴走族風の素人として参加した件。初回のオーディションに国際A級ライセンスを所有しているレーサーが参加し当選。しかし、なぜかそのレーサーは2回目以降登場せず。番組スポンサーもホンダからヤマハに替わった。最終的にはそのレーサーではないがレース経験のある2名で番組が進み鈴鹿8耐への出場枠を獲得した。そのような醜態を繰り返したためほぼ全てのバイクファンから反感を買われ、鈴鹿8耐において番組は一般抽選による応援席を用意したが、応募者はほぼゼロだった。そして、バイク関係のメディアからも好意的に扱われることは無かった。なお、スポンサー変更時に新しいメンバーとして召集され、8耐に出場した(無論暴走族風の容姿や言動を強制させられていた)。レーサーには、現在も現役レーサーである浜口喜博がいた。
  • 「一日一善隊」において、成年向け漫画家の舞登志郎が江川達也の作品をほとんど読んだことが無いにも関わらず、江川に憧れる芽の出ない漫画家志望者と偽らされて企画に参加させられていた。舞登は当時既に商業誌デビューを果たしており、成年向けの単行本も出していたが、このことは伏せられていた。その後、その様子を舞登によって詳細に漫画化され、やらせの証拠の一つとなった。
  • 「ビジネス学院」で講義を受けた生徒がスーツを着て採用面接に赴いた際、受験先企業の面接官が柔らかい口調ながらも生徒に対し、その経歴などを指摘して「親の脛を齧って」などと挑発し、受験した生徒がその発言に対して「そんな言い方は無いんじゃないですかね」「だったら始めから(面接に)呼ばなければ良いじゃないですかね」などと反論するシーンが放送された。現実に、受験者を挑発する「圧迫面接」とよばれる行為が横行していたのは事実だが、取材カメラが入っている中で面接受験者を挑発するような発言を露骨に発したり、それに対して真っ向から反論するのは面接時の遣り取りとしては双方ともあまりにも不自然である(全国にテレビ放送されており、企業のイメージダウンに直接つながる恐れが在るので尚更)。また、面接にはワイシャツは白色もしくは薄い水色の物を着るのが常識であるが、生徒が着ていたのは黒色のワイシャツであり、面接時に着用するにはあまりにも常識から懸け離れている色調だったことからもやらせの可能性が高いと考えられる。

苦情

前提として1990年代から2000年代前半のテレビはドキュメントバラエティリアリティ番組が非常に多かった時期で、当時はTBSに限らず民放全体でやらせや過剰演出が恒常化しており、強硬な苦情が来て初めて番組が娯楽向けの演出であると弁解することが多々あった。本番組に対しても「やらせではないか」というTBSの番組審議会への問題提議やBPOへの苦情があった。

TBSならびに製作担当者はこれらの苦情に対して回答を拒否した。そして、本番組が台本に基づいて演出を施された娯楽番組であることについても明らかにしなかった[9]。その後、後述の通りTBSは開き直り的な姿勢でやらせの事実を一切認めず[10]、証拠隠滅的に番組を終了させ、直後に番組公式サイトも削除した[注 13]。やらせがあった事実そのものを一切認めないというTBSの方針に基づきプロデューサー、総合演出などの主要スタッフに罰則的処分が下される事も無かった。

多く寄せられた苦情

  • ダイエット学院での過酷なダイエット法。
  • 大検ハイスクールで大和が塾生の髪を引っ張った後に水に濡らしたり、塾生達に「喧嘩しろ」と煽った後に腹を蹴る等の暴行。
  • ラーメン道で佐野がスープを捨てる場面。
  • ファイトクラブシリーズでのパワハラ体罰に等しい練習法。
  • 晩餐会での口汚い罵倒合戦。
  • 晩餐会でのカップルの破綻の誘発。および、それを期待するかのようなTOKIOの煽り。
  • 日本一モテない男での参加者の独身男性いじめ。
  • バリバリ伝説での参加者の経歴詐称。
  • 大げさなナレーション原稿。
 ※例えば「予想だにしない光景が!」「思いがけない事態に!」の先のシーンは、誰も驚くことのないような平凡な内容[11]
 ※ファイトクラブIIの予告にて「次週、彼らをどん底に突き落とす!…」とされた次回では、一期生で唯一プロボクサーとなった宮崎太一が登場しただけであった。宮崎が一期生・二期生達とスパーリングを行い、ボクシング経験者である小松崎・箕浦康仁以外を圧倒したが、「どん底に突き落とす」どころか一期生・二期生達に良いきっかけを与えていた。

PTAの評価

「子供とメディアに関する意識調査」内『親が子供に見せたくない番組』(日本PTA全国協議会主催)

  • 2001年度:3位
  • 2002年度:3位

オープニング

多くのシンセサイザーミュージックシーケンサーなどの電子楽器とモニターがある中、エフェクターを触る白衣を着た男性と顔や首に何かをつけているアイマスクをした女性が映り、男性がつまみやボタンを押すと画面がフラッシュ。同時に女性が感電あるいは悶絶した状態が挿入され、男性が電子楽器のスイッチを押した直後にモニターが火花を散って大破。中年女性は怪獣のような野太い声を上げて気絶。そしてタイトルコールとともに破壊されたモニターが何故か修復し、画面には女性の口元を拡大した映像が映る。その後「WE DO THE JUSTICE」とアナウンスされ、CGで描かれたTOKIOのメンバーが表示される(クラフトワーク人間解体」のアルバムジャケットのオマージュ)。「中年女性の持つパワーを最大限に引き出す実験」と説明されている。映像は薮内省吾監督。

放送開始初期は司会のTOKIOの顔がそれぞれアップされ、この番組の目的を語るシーンが冒頭に映るという演出だった。順番は以下の通り。

  • 城島 「我々は...」※背景は青色。
  • 山口 「この深刻な社会状況と...」※背景は水色。
  • 国分 「真剣に格闘し...」※背景は黄色。
  • 松岡 「苦しんでる人々を救う...」※背景は桃色。
  • 長瀬 「正義の集団である。」※背景は橙色。

最終回

  • 2003年に入り、番組自体のマンネリ化とやらせの事実が表面化し出してきたことにより視聴率が下がり気味となったことと、TOKIOのイメージダウンにつながっていったこともあって[注 14]、それまでの「ファイトクラブ」をはじめとした暴力的かつやらせ疑惑のあった企画の一切を打ち切り、グルメ企画を開始するなどのリニューアルを施したが、視聴率はさらに低下した。また、前述の通りTBSがBPOからの質問に対して回答を拒否した上でやらせの事実を一切認めず、番組を同年7月29日をもって放送終了した。
  • 最終回はこれまでの企画を振り返る内容で、2週にわたって放送。各企画の参加者の近況報告なども盛り込まれた。また、ファイトクラブ4期生・梅宮が近況報告しようとした時には会場に居た不良達から挑発や野次が飛び、それを諌めた竹原と不良達との間で一触即発の乱闘騒ぎが起きた。最後は大和の歌で別れを告げた後、開始当初のエンディングテーマである「Yesterday's」が流れるエンドロールがあり、その後「ガチンコ死すとも、ガチ魂死せず」というテロップが出た。その後、最後のメッセージとして赤い幕が降ろされ、モザイクが施されたメッセージが記された白いパネルのようなものが現れてCMに入ったが、CM明けにその白いパネルのメッセージ部分は「ガチンコ!は永遠に不滅だ!」と表記されていた。

番組終了後

  • 漫才道の講師を務めたオール巨人は「やらせはしない、認めない」「漫才師は上下関係がしっかりしているから出演者同士の喧嘩は起きない」ということを番組スタッフに宣言しており、これを聞いた出演者達は実際にトラブルを起こさなかった。しかし番組ディレクター中井康二はそれが気に喰わず、「ハイ、面白くない映像いただきましたー。視聴率が下がると思いますが、放送させていただきまーす」、と(オール巨人には文句が言えないため)若手お笑い芸人達に対し散々嫌味を言っていた。オール巨人は後に出版した自身の著書[12]で「態度の悪い芸人が別番組では真面目な好青年であり、やらせと確信した」「その後もやらせを要求され、激怒した」と記している。
  • 2010年4月からTBSラジオで放送されている水曜JUNK山里亮太の不毛な議論のオープニングトークでは、ガチンコ漫才道の裏側と思い出話がたびたび登場する。それによると、
    • 漫才道の出演者であった山里亮太は、TBSと険悪になることを恐れ、また有名になるきっかけを作ったことから恩義を感じているので「演出」とややはぐらかして本番組にふれている。
    • 足軽エンペラー時代、山里の相方は暴走族のヘッドを務めていた。相方よりも礼儀正しく人間ができていた山里だが、漫才の打ち合わせでは反対に毎回言いたい放題にひどい駄目だしをしていた。そして、ある日ついに相方の我慢が限界に達してしまい、反省会中に壁に拳をぶつけて怒りを露にしてしまう。最終的には相方から自転車を投げつけられるほど憎まれた山里が恐れをなし、以降ギクシャクして解散。解散の別れ際に山里は相方から「山ちゃんは才能あるからさ、絶対辞めんなよ!」と励まされたが、「足軽エンペラーを復活させたら?」とあるリスナーからメールが来ると「相方が俺(山里)との再会を拒絶している」と返していた。
    • 漫才道の優勝商品は「冠特番」と「単独ライブ」だった。しかし、漫才道の企画は視聴率が低く[注 15]番組サイドから邪魔者扱いになっていたため、単独ライブは場所だけを確保して「後はお好きにどうぞ」というスタンスをとり、その結果観客は数人しか来ず、山里の耳に聞こえてきたのはADの寝息だけだった。また冠番組もプライムタイムを約束していたがどんどんずれていき、最終的には放送開始時間は深夜3時すぎだった。
    • その後、南海キャンディーズ結成後に再び特別番組に呼ばれた山里は、控え室を訪ねてきた中井ディレクターから「お前、面白いこと言えんのか?!」と聞かれ「言えます」としどろもどろに返した。中井は「わーってる(分かってる)よ!今のお前なら大丈夫だからよ!!」と言って楽屋を去ったが、このやり取りを見た相方のしずちゃん(山崎静代)は「えらく失礼なディレクターやな」とぼやいたという。山里自身は、当時のことを自分なりに割り切っている様子で、今では中井がいい人だと思えるようになっているし、楽屋から去っていった様子も今思い返すと格好良く見えてくるようにもなった、とも発言している。
  • ファイトクラブのコーチであった竹原は「やらせは一切無い」と反論し、台本とやらせの存在自体を完全に否定している。

エンディングテーマ

全てTOKIOの楽曲。

この番組により登場した有名人など

  • 網野泰寛…ガチンコ・ファイトクラブ1期生。現在は華道家。
  • 斉藤一平…ガチンコ・ファイトクラブ2期生。現在は俳優。
  • 山中司…ガチンコ・ファイトクラブ3期生。現在も現役プロボクサー。
  • 梅宮哲…ガチンコ・ファイトクラブ4期生。番組終了後は俳優業の傍ら、飲食店オーナーも務めていた(現在は廃業)。
  • 石塚和生…ガチンコラーメン道3期生。現在はラーメン専門店「DueItalian」オーナー。

スタッフ

  • ナレーション : 垂木勉
  • 構成 : おちまさと都築浩鮫肌文殊樋口卓治渡辺哲夫遠藤みちスケ堀江利幸、鈴木しげき / 武田郁之輔、望月佐一郎
  • リサーチ : フリード、フォーミュレーションニューズクリエイト
  • 技術プロデューサー : 両角誠、田熊克二
  • SW : 障子川雅則
  • カメラ : 元木宏、坂本逸朗、樋地秀雄、小林重徳
  • 照明 : 星野仁志
  • 音声 : 長谷川輝彦、藤田勝巳、大関満朗
  • VE : 藤崎康広、高山昌樹、東海林学
  • 美術プロデューサー : 中嶋美津夫
  • 美術デザイン : 高松浩則、中村綾香、坂根洋子
  • 美術制作 : 渡邊秀和、佐藤隆男、与田滋
  • 装置 : 淵脇臣吉、加来勇二、佐藤恵美
  • 装飾 : 増田豊、高橋啓三、川原栄一、門間誠
  • 電飾 : 斉藤貴之、真鍋明
  • 衣裳 : 軽石真央
  • 持道具 : 貞中照美
  • メイク : アートメイク・トキ
  • オープニングCG : 薮内省吾、バンザイタカシ
  • VTR編集 : 米山滋、村上健太郎、佐藤基紀、山中陽子、小岩拓也 / 前田純和、宮本康弘、加福大、石川哲、伊藤和幸、加藤昭信
  • MA : 村山巧、並木丈治、山下知康 / 前島真一、黒羽靖史、湯井浩司、佐々木美郷
  • 音効 : 石川良則
  • TK : 南田めぐみ
  • ホームページ制作 : システム四季
  • 宣伝 : 小林久幸 / 岡崎潤司、宮本和幸
  • デスク : 渡辺香織
  • AD : 勝田拓也、荒井美妃、田島優、塩谷泰孝、小岩井佑樹、中西正太、尾熊操、藤井敏嗣、高橋良郎、青木剛、桃澤準、新井伴英、大橋友寛、水口健司、池田五月、石原牧子、橋本慎司、小柳芳夫
  • AP : 鈴木愛子
  • ディレクター : 重藤尚志、佐藤実、住田崇、大松雅和、馬場哉、曵地伊智朗、三島圭太、田島浩之、田口健介 / 土井聡司、岡村勝久、中山幹雄、中井康二、坂本義幸
  • チーフディレクター : 津留正明
  • 総合演出 : 合田隆信(初期〜中期) → 津留正明(後期)
  • プロデューサー : 吉田裕二(初期〜中期)→ 合田隆信(後期) / 石野美知江
  • 技術協力 : 八峯テレビ
  • 美術協力 : アックス
  • 協力 : ジャニーズ事務所
  • 制作協力 : ハウフルス
  • 制作 : TBSエンタテインメント
  • 製作著作 : TBS

関連項目

  • 中井正広のブラックバラエティ - ガチンコ・ファイトクラブのパロディである()チ○コファイトクラブという企画を放送している。ナレーションは本家ガチンコ!と同じく垂木勉が務めた。
  • めちゃ×2イケてるッ! - 「メチャンコ俳優学院」という企画を放送していた。講師は本家の女優学院の講師だった井筒和幸監督。
  • 極楽とんぼのとび蹴りゴッデス - 同じくガチンコ・ファイトクラブのパロディである「極楽拳闘倶楽部」という企画を放送していたのだが、演出からセリフ、ナレーションまで全てが酷似している。こちらの放送局はテレビ朝日である。コーチに飯田覚士が出演していた。極楽とんぼの二人組はパクっていることを開き直っていた。他にもガチンコラーメン道のパロディである「極楽ラーメン道」という企画もあった。
  • 有吉AKB共和国 - 「ガチンコAKBクラブ」と題して竹原慎二をコーチに迎え、AKB48研究生が他の研究生とつかみ合いをし、止めに入った竹原に食ってかかるといったパロディを演じている。ただし、内容は本番組とは無関係のグルメレポートが中心である。

脚注

注釈

  1. ^ 実質的には『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の素人応援企画のリメイク。しかし『元気〜』には嘘、やらせはほとんど無く、飯田覚士のように本当にプロボクサーになった人物などがいる。
  2. ^ 内容はほとんどが真実に見せかけた創作(いわゆるやらせ)であり、真剣勝負とはまったく逆の意味になってしまっている。
  3. ^ ただし同映画はボクシングとの関係は無い。
  4. ^ この件については番組では全く触れなかった。
  5. ^ 2回目の放送の際には巨人が「どっちが本当の彼(態度の悪かった芸人)なのか?」とスタッフに問い詰めた所、「どっちも本当の彼です」と弁解されたと説明した。
  6. ^ このことは番組では一切触れることは無かった。
  7. ^ 蛍の光」の替え歌で、後に番組最終回でも発言した。
  8. ^ 稀に国分と長瀬に胸ぐらをつかむクラブ生が見受けられたが、いずれもスタッフに止められている。
  9. ^ ただし2期生藤野は、カメラの撮影を止めるような威嚇をしていた。
  10. ^ ちなみに、大和も最終的には延期に賛成している。
  11. ^ なお、網野はブログの記事の中で、今でも梅宮とはあまり関係が良くないことを示唆する発言をしている。
  12. ^ 番組内のテロップでは、「石塚和」と記されていた。
  13. ^ ただし、後年に同局で放送されている『爆報!THE フライデー』にて『ガチンコ!』に出演した人物の近況を取材した際には、本番組の映像が使用されている。
  14. ^ やらせに積極的に加担していたのではないかという疑惑を避けるため。企画自体がやらせであることを承知で撮影に挑んでいたことは確実ではあるが、企画の立案自体にはTOKIOメンバーは全く関わっていない。
  15. ^ この頃になると、企画内容や展開よりも番組内で乱闘やトラブルを起こせば起こすほど視聴率が上がるという状況であり、先述の通り本企画はそういった演出をしにくかったため、人気が出なかった。

出典

  1. ^ 公式ウェブサイト「ガチンコ使用曲!!」より インターネット・アーカイブより。
  2. ^ 2001年4月24日放送分の楽曲リスト 公式ウェブサイトのインターネット・アーカイブより。
  3. ^ 2001年10月30日放送分の楽曲リスト公式ウェブサイトのインターネット・アーカイブより。
  4. ^ http://talk.milkcafe.net/test/read.cgi/news/1128324853/
  5. ^ http://re-rush-life.org/post-196
  6. ^ https://r5eut15f.blog.so-net.ne.jp/2010-10-19-2
  7. ^ http://blog.livedoor.jp/aokichanyon444/archives/54867734.html
  8. ^ FLASH EXCITING 9月15日増刊号(2006年)など
  9. ^ http://www.tbs.co.jp/shingi/no427.html[リンク切れ]
  10. ^ TOKIOのイメージ低下も……やらせ企画が横行した『ガチンコ!ファイトクラブ』exciteニュースp3
  11. ^ TOKIOのイメージ低下も……やらせ企画が横行した『ガチンコ!ファイトクラブ』exciteニュースp2
  12. ^ 師弟〜吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年〜(2012年・ヨシモトブックス)

外部リンク

TBS 火曜21時枠
前番組 番組名 次番組
うたばん
(木曜20時台へ移動)
ガチンコ!



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