北の富士勝昭とは?

北の富士勝昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/30 15:47 UTC 版)

北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき、1942年3月28日 - )は、北海道旭川市(出生は網走郡美幌町)出身の元大相撲力士。第52代横綱。本名は竹澤 勝昭(たけざわ かつあき)得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。




  1. ^ 【舞の海の相撲俵論】もののあはれにふれて(1/3ページ) 産経ニュース 2015.12.18 08:39
  2. ^ 数々の勧誘を全て断り大相撲に進んだ背景には他に、中学の野球部の活動で右肘を故障してしまい高校入学までに治る見込みがなかったという事情があった。
  3. ^ 現代に『アズキ相場』という言葉が伝わるように、当時はアズキは先物取引に利用されるなど有価証券さながらの扱いを受けていた。
  4. ^ a b 『天下盗り狼~千代の富士 貢 ─ 九重三代風雲録~』(徳間書店)
  5. ^ [新弟子検査では体重不足として不合格だったが、前場所から施行された「自費養成力士制度」によって前相撲に進むことができた(この制度は1年で廃止)
  6. ^ 『近世日本相撲史』第4巻
  7. ^ いわゆる「定年制度」。厳密には対象力士への養成費支給を停止するものであった。
    レジェンドインタビュー 大相撲元横綱 北の富士勝昭さん 毎日新聞2016年5月14日 東京夕刊
  8. ^ 北の富士は入門してから3年ほど、1日に20~30発は兄弟子に意味もなく殴られるなど、もとより理不尽な目に遭っていた。
    北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P116
  9. ^ 東京中日スポーツ・2010年6月24日付 「はやわざ御免 - わが相撲人生」
  10. ^ ただし9月場所はまだ入院中で全休しており、実際には次の11月場所からこの四股名で土俵に上がった
  11. ^ a b 1場所15日制が定着した1949年5月場所以降、十両での15戦全勝は北の冨士以降も栃光正之豊山勝男把瑠都凱斗栃ノ心剛が達成している。北の冨士以外の4人も、その後大関に昇進している。
  12. ^ 北の冨士が初優勝した1967年3月場所で陸奥嵐、北の冨士が千秋楽解説を務めた2014年9月場所で逸ノ城がタイ記録を樹立した(2014年9月28日放送『NHK大相撲』秋場所より)。
  13. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P186
  14. ^ 『相撲』2012年1月号によると、この時期の一応の昇進基準の目安として「直前3場所合計30勝前後」が存在していた。
  15. ^ 近年の報道によれば「三役地位に3場所連続で在位し、かつその合計の勝ち星が33勝以上」が大関昇進の目安と言われているが、協会はその目安を否定している。平成以降では千代大海稀勢の里豪栄道が合計32勝で新大関となった例外もある
  16. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P53
  17. ^ 当時は、「大関の地位で3場所連続負け越した場合は、関脇へ陥落」となっていた。1969年7月場所以降に現在の規定(大関で2場所連続負け越した場合は関脇へ陥落)に変更。
  18. ^ a b 雑誌『相撲』別冊菊花号 創業70周年特別企画シリーズ(3)柏鵬時代 柔の大鵬 剛の柏戸――大型横綱たちの君臨(ベースボールマガジン社、2016年) p92-97
  19. ^ その後、横綱審議委員会で横綱昇進を見送られた力士は、25年経った1994年9月場所後の貴乃花光司がいるが、貴乃花も同年11月場所後に横綱昇進を決めている。
  20. ^ 現在は琴櫻傑將(1967年11月場所 - 1973年1月場所)・武蔵丸光洋1994年3月場所 - 1999年5月場所)の32場所。
  21. ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p63
  22. ^ a b c 『いま語る 私の歩んだ道〈2〉』 (北海道新聞社、2006/02) ISBN 4894533561
  23. ^ この後、不知火型の土俵入りをしている白鵬が、宇佐神宮の奉納土俵入りで雲龍型の土俵入りを行ったことがある。これは、大分県宇佐市は白鵬が崇拝する双葉山の故郷であり、双葉山の土俵入りが雲龍型であった為、これに敬意を表する形で行ったことによるものである。
  24. ^ 大相撲ジャーナル』2017年12月号p41
  25. ^ その後、日本相撲協会には「貴ノ花が勝っていたのではないか?」という抗議が殺到した。この一番を裁いた木村庄之助は進退伺いを協会に提出して出場停止処分を受けたが、3月場所前に廃業した。
  26. ^ 1972年1月場所であと1勝して勝ち越せば、当時の連続勝ち越し記録の第1位だった玉の海の27場所と並んでいた。
  27. ^ 加えて、大麒麟將能前の山太郎の二大関が全休または途中休場、琴櫻・清國の大関同士の取組が14日目にあったため、千秋楽結びの一番に清國と前頭5枚目・栃東知頼が相撲を取る事態となった(千秋楽では琴櫻と関脇・三重ノ海剛司の対戦も組まれたが、番付上は清國が大関上位だったため、琴櫻 - 三重ノ海戦は結び前となった)。栃東が敗れれば10勝5敗の力士8人による優勝決定戦となるところで栃東が勝利・初優勝を果たしたが、11勝4敗の成績は15日制となった1939年5月場所以来で最低だった(1944年5月場所 - 1949年1月場所は15日制ではなかった。15日制に戻って定着した時期は1949年5月場所からで、1996年11月場所に武蔵丸が5人での優勝決定戦の末、11勝4敗で優勝している)。
  28. ^ 日刊スポーツ 2017年11月22日
  29. ^ 北の富士氏、稀勢の涙に納得「肩の荷が下りたと思う」/初場所 SANSPO.COM 2019.1.16 16:32(産経新聞社、2019年1月21日閲覧)
  30. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p47-48
  31. ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p70-72より、陣幕貢『負けてたまるか』を孫引き
  32. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p39
  33. ^ 春日野栃錦清隆の横綱昇進時にこれと同様の言葉を語っている。北の富士は、栃錦と親しかった師匠の千代の山を通じてこの話を聞かされていたという。
  34. ^ 自著でも部屋の力士たちの士気に与える影響を考えて心が折れたものは早々と次の人生を歩ませる方針を主張している。
  35. ^ あまりに早い名跡交換だったためか、新・九重の千代の富士がその事実を失念してしまい、色紙にサインする際に「陣幕」とサインしそうになったというエピソードが大相撲放送の解説中で語られている。
  36. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p39
  37. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.4 13頁から14頁
  38. ^ 北の富士さん、九重親方弔問「強い順番で…」 日刊スポーツ 2016年8月1日記事
  39. ^ 一門内で行われた予備選挙で千代の富士が自身を支持しなかったことが原因となって候補から外された。
  40. ^ 【舞の海の相撲俵論】もののあはれにふれて(3/3ページ) 産経ニュース 2015.12.18 08:39
  41. ^ a b 大空出版『相撲ファン』vol.4 14頁
  42. ^ NHK中継再開 白鵬「世界中のファンが喜ぶ」スポニチ
  43. ^ 白鵬判定にぼう然も「子供でも分かる」と北の富士氏日刊スポーツ2015年5月21日
  44. ^ 北の富士さんNHK解説見送り 昨年末に心臓手術,日刊スポーツ,2017年1月9日
  45. ^ 週刊ポスト2017年4月14日号
  46. ^ 宇良、高安‥ケガ人続出で 「俺も休む」宣言の北の富士「休場待ったなしか」 J CASTニュース 2017/9/11 20:36(2017年9月24日閲覧)
  47. ^ 北の富士氏、“孫弟子”北勝富士、隠岐の海の連敗に苦言「がっかりしている」 2017年11月26日18時8分 スポーツ報知(報知新聞社、2017年11月26日閲覧)
  48. ^ 『相撲』2018年3月号 p.46-47
  49. ^ 北の富士氏、白鵬は弱ってきた「あれだけ不死身を誇った体が」/名古屋場所 SANSPO.COM 2018.7.11 18:26(産経新聞社、2018年9月16日閲覧)
  50. ^ 北の富士氏、御嶽海は天の恵み「泣かせていただきました」/名古屋場所 SANSPO.COM 2018.7.22 16:06 (産経新聞社、2018年9月16日閲覧)
  51. ^ 北の富士氏、スピード出世の稀勢は「貴乃花より上と発言したことを覚えている」/初場所 SANSPO.COM 2019.1.16 16:20(産経新聞社、2019年1月25日閲覧)
  52. ^ 十両の好成績力士は幕内と対戦させられるため、優勝は11勝4敗ないし10勝5敗といった水準に留まることが多い。平成期には十両陣が総崩れで、9勝6敗の力士8人によるトーナメントでの十両優勝決定戦が行われたこともある(2001年7月場所。優勝者は武雄山喬義)。この時は優勝者なしにすべきだなどの意見も出たほどであった。好成績の十両優勝をした大善尊太湊富士孝行でも12・13番に留まり、14勝・全勝は極めて珍しいことである。十両で12勝以上勝つということはそれだけで傑出した実力の証といえる。
  53. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p23
  54. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p32-33
  55. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P52 
  56. ^ 相撲人名鑑(北の富士 勝昭)(2008年9月19日閲覧)
  57. ^ 北の富士さん一喝!「高砂が悪い」…朝青龍問題スポーツ報知、2007年8月12日。
  58. ^ 後年自著で売上の実数としては20万枚だったと語っており、収益は九重(元横綱・千代の山)に先取りされることはなかったという(北の富士によると九重はそういうことをする親方ではなかったとのこと)。
    北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p49
  59. ^ どちらも作詞・内館牧子、作曲・船村徹で、二人とも横綱審議委員会メンバーである。
  60. ^ その後、2001年に武蔵丸-貴ノ浪戦に更新され(58回対戦)、2016年現在の史上最多幕内取組は琴奨菊 - 稀勢の里戦の60回
  61. ^ a b 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P170
  62. ^ 大空出版『相撲ファン』vol.4 15頁
  63. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P16-17
  64. ^ 北海道新聞夕刊 「私の中の歴史-力のサムライ伝」 2005/08/01
  65. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P156-157
  66. ^ 『大相撲ジャーナル』2014年4月号13頁
  67. ^ 姓名判断で勝明の名では交通事故に遭うと言われた際、「ならせめて海外旅行に行きたいなあ」と思って「洋行」に改名したといわれる。
  68. ^ 1969年5月場所以前の「3場所連続負け越しで大関陥落」の制度の下での大関角番
  69. ^ 玉乃島と優勝決定戦
  70. ^ 前乃山と優勝決定戦
  71. ^ 神経性胃炎・高血圧・慢性腸炎により14日目から途中休場
  72. ^ 不眠症により9日目から途中休場
  73. ^ 右手中指第 2関節脱臼及び捻挫により全休
  74. ^ 琴櫻と優勝決定戦
  75. ^ 左第11肋骨骨折により11日目から途中休場
  76. ^ 高血圧により9日目から途中休場
  77. ^ 右膝関節捻挫により全休
  78. ^ 右膝関節捻挫により全休


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