大錦一徹
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大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - )は、新潟県佐渡郡羽茂町(現役当時、現・同県佐渡市羽茂)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾堀 盛夫(おほり もりお)。身長185cm、体重145kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。最高位は東小結(1973年11月場所)。
- ^ a b c 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p27
- ^ a b c 『相撲』2018年10月号 p.86
- ^ 1973年9月場所14日目。大錦は素早く左前ミツ、のど輪攻めにもこれを離さず、頭を付けてぐいぐいと寄る。攻め立てられても寄り返し、最後はもろ差しで寄り切った。
- 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p50
- ^ 最高位が関脇以下の力士に限れば、20歳0ヵ月での初金星は最年少記録である。また、新入幕力士の対横綱戦勝利は、それから41年後の2014年9月場所で逸ノ城が鶴竜を破るまで出なかった。
- ^ 本割は、大関・清國に対し敗北。
- ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p56
- ^ 同級生と言われることもあるが、雑誌『相撲』の1973年11月号での北の湖・大錦対談で、同期ではあったがクラスは違っていたと、両者が発言している。
- ^ 2017年6月12日に10代友綱(元関脇・魁輝)が停年(定年)を迎えることに備えたもの。10代友綱の停年まで審判部副部長は3人制になる。
- ^ “北の湖前理事長を支えた山科親方が定年 花のニッパチ組の1人は「さっぱりしています」”. スポーツ報知. (2018年9月13日) 2018年9月13日閲覧。
- ^ 白鵬の“抗議行動”に山科審判長「手本になる人がねえ」 Sponichi Annex 2017年11月22日 22:26(スポーツニッポン新聞社、2017年11月25日閲覧)
- ^ 左足小指裂傷により12日目から途中休場
- ^ 急性腰痛により4日目から途中休場、10日目から再出場
- ^ 頸椎捻挫により4日目から途中休場
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