男女ノ川登三とは?

みなのがわ‐とうぞう〔みなのがはトウザウ〕【男女ノ川登三】


男女ノ川登三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 05:56 UTC 版)

男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう、1903年9月17日 - 1971年1月20日)は、茨城県筑波郡菅間村(現在のつくば市磯部)出身の元大相撲力士。本名は坂田 供次郎(さかた ともじろう(きょうじろう))。




  1. ^ a b 相撲レファレンス 男女ノ川 登三
  2. ^ 「朝潮」の四股名は高砂部屋に代々伝わる由緒ある四股名だが、男女ノ川が名乗った「朝潮」を、歴代の「朝潮」に含めるかどうかは議論の分かれるところで、もし含むとしたら3代目である。
  3. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p12
  4. ^ 横綱時代の対双葉山定次戦は通算0勝7敗と一度も勝てず、横綱同士の対戦で7連敗したのは史上最多記録である(2010年1月場所で朝青龍明徳白鵬翔に対して7連敗を記録し、2013年現在では最多タイ記録)。
  5. ^ 顕著な例は1940年夏場所である。当時平幕が東西20枚設けられていた中で15番中6番が平幕2ケタ台であった上、相手方の横綱双葉山、大関羽黒山がともに途中休場したこともあり、13日目にはこの場所の対戦相手として最低地位の東前頭15枚目に位置する二瀬川政一と対戦した。しかもこの二瀬川は12日目まで5勝7敗の成績であり、このような割が実現した背景には東西制と合わせて施行されていた系統別総当たり制が影響しており、同門に幕内力士の多かった男女ノ川は優遇を得た形となった。
  6. ^ a b c d e f g h 「下足番になった横綱」 川端要壽 小学館
  7. ^ 、金額は総額32万5千円であったが、時津風の寸志はそれと別に10万円入っていた
  8. ^ 復帰別席のため順位なし


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