春秋園事件~横綱へとは? わかりやすく解説

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春秋園事件~横綱へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:44 UTC 版)

男女ノ川登三」の記事における「春秋園事件~横綱へ」の解説

優勝同点数回記録する順調な出世だったが、大関目前とした1931年5月場所直前に右膝関節炎を患い無念休場となる。1932年1月6日には天竜三郎首謀とした春秋園事件勃発し朝潮日本相撲協会一時脱退した協会脱退したことに激怒した高砂は「朝潮」の名を剥奪し四股名男女ノ川戻され所属部屋佐渡ヶ嶽部屋転属となったこの頃、「落ちてはいけない、登れ」と言われたことで、下の名前は供次郎から「登三」と改めた男女ノ川1933年1月場所幕内格で帰参するが、この時の番付は別番付いわゆる別席」で地位明記されていなかったため、「無冠の帝王と言われたが、この場所を11全勝優勝する。この好成績認められて翌場所に小結昇進すると、1934年1月場所には関脇で9勝2敗の好成績によって2度目優勝大関昇進した新大関迎えた1934年5月場所は5勝6敗と負け越したもののそれ以降好成績挙げ1936年5月場所横綱昇進した。しかしその後春秋園事件前に痛めた関節炎影響強弱の差が激しく横綱時代双葉山定次に全く歯が立たなかった。小手投げを得意としたが、その割に体全体行わず手先だけで行っていたため、軽く負けてしまうこともあった。この有様に見かねた太刀山峯右エ門助言しようとしていたが一切聞く耳を持たなかったことで、もしきちんと聞いて修正した長く活躍できたと思われる

※この「春秋園事件~横綱へ」の解説は、「男女ノ川登三」の解説の一部です。
「春秋園事件~横綱へ」を含む「男女ノ川登三」の記事については、「男女ノ川登三」の概要を参照ください。

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