1月場所(初場所)
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古くは1月場所は「春場所」と呼ばれた。1953年に大阪場所が出来て年4場所制となった時には1月場所は「初場所」か「春場所」かで協会発表に混乱があり、騒動になった。後で当時責任者だった年寄楯山(元幡瀬川)の明かしたところでは、マスコミを利用した話題づくりだった。 この場所で大関や横綱への昇進を果たした力士は多く、「祝儀場所」の異名もある。 中日8日目は天覧相撲になることが多い。特に平成31年初場所8日目における平成最後の天覧相撲において明仁天皇、美智子皇后(いずれも当時)が退席するときに、自然発生的に観衆による万歳が行われた。 1989年の初場所(=平成最初の場所)は1月8日(日曜日)に初日の予定であったが、昭和天皇の崩御の関係で翌日の1月9日(月曜日)に変更。初日が日曜日以外の曜日に行われたのは戦後の15日制復活後、初めてのことであった。 マーガレットコミックス『ベルサイユのばら第13巻』(集英社)が2017年初場所の懸賞として掲出し、話題となった。 2016年の琴奨菊から2021年の大栄翔まで6年連続で初優勝が続いていた。2022年は優勝経験のある御嶽海が優勝し、初優勝が続いたのは6年で止まった。 名勝負 1933年8日目 関脇沖ツ海 - 別席男女ノ川 前年の春秋園事件で協会を脱退した力士の多くがこの場所に帰参してきたため、協会は通常の番付とは別に帰参力士のために「別席」の枠を設けたが、そのうちの一人である男女ノ川が横綱玉錦や大関武蔵山を破りただ一人全勝の快進撃。8日目に対戦した沖ツ海は付け人に「今日は戸板を持って迎えに来い」と命じるなど相当の覚悟で臨んだが、男女ノ川はそれを退け、そのまま全勝で初優勝。 1939年4日目 横綱双葉山 - 前頭4枚目安藝ノ海 入幕2場所目の新鋭安藝ノ海が双葉山を外掛けで下し、双葉山の連勝が69で止まった。 1960年12日目 小結柏戸 - 前頭13枚目大鵬 新入幕で連勝する大鵬に、小結柏戸が「止め男」として当てられた柏鵬初顔合わせ。後の柏鵬戦とは逆に攻めまくる大鵬を、柏戸が逆転の出し投げで下した。 1965年初日 横綱大鵬 - 小結玉乃島 この場所から「部屋別総当たり制」が導入され、その初日の結びに同じ一門の大鵬と新小結玉乃島が初めて対戦し、玉乃島が内掛けで大鵬を破る波乱の幕開けとなった、 1972年8日目 横綱北の富士 - 関脇貴ノ花 北の富士の外掛けを貴ノ花が爪先立ちで弓なりの体勢でうっちゃりを狙い、北の富士の右手が先についた。行司軍配は貴ノ花に上がったが、物言いの結果北の富士の右手は「かばい手」とみなされ、軍配差し違えで北の富士の勝ちとなった。貴ノ花の勝ちを主張した25代木村庄之助は責任を取り退職。 1972年千秋楽 前頭5枚目栃東 - 大関清國 この場所絶対本命と目された北の富士が不振で14日目に休場。14日目を終え3人が4敗でトップに並ぶ混戦で千秋楽を迎えるも、4敗だった福の花と琴櫻が相次いで敗れ、結びで栃東が敗れると8人が5敗で並ぶ異常事態だったが、栃東は上手出し投げで清國を破り、15日制になってから最低となる11勝4敗の成績で幕内優勝を飾った。 1981年千秋楽 横綱北の湖 - 関脇千代の富士(優勝決定戦) ウルフフィーバーの巻き起こった場所。14連勝の千代の富士を1敗で追う北の湖が吊り出しに破って決定戦に持ち込んだが、この時北の湖の左足首が悪いのを見破った千代の富士が上手出し投げで決定戦を制し初優勝。大関昇進も果たす。 2015年13日目 横綱白鵬 - 大関稀勢の里 この前の取り組みで、日馬富士が敗れ、白鵬がこの取り組みに勝てば、大相撲の日本新記録となる33回の優勝が決まる一番だったが、本割では両者同体となり、物言い・協議の上取り直し。その取り直しで白鵬が勝ち、日本新記録の33回優勝が決定した。白鵬はこの場所を15連勝の全勝で、新記録達成に花を添えた。
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