貴ノ花利彰とは? わかりやすく解説

貴ノ花利彰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 07:38 UTC 版)

貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 - 2005年5月30日)は、北海道室蘭市出身(番付上は青森県)で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は花田 満(はなだ みつる)。最高位は東大関。身長183センチメートル (cm)、体重114キログラム (kg)、血液型はB型。得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱初代若乃花の弟である血統と、細身で均整に優れる体格と甘いマスクから「角界のプリンス」と称され[1]、大相撲と日本のスポーツで人気を博す。位階従五位、旭日小綬章受章。


  1. ^ a b c d e f g h ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p23
  2. ^ 角界「異名」列伝 ウルフの時代 時事ドットコム
  3. ^ 相撲協会の届出は、兄の初代若乃花の出生地である青森県弘前市となっていたが、兄の幼少時室戸台風のため 経営していたリンゴ園が崩壊し、一家で室蘭市に引っ越したため、当人は弘前市で生活したことはなく、また、幼少時に父の死去で母とともに当時既に相撲界に入り関取になっていた兄の居住する東京都杉並区に転居している。そのため、実際には北海道生まれの東京育ちである。
  4. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p61
  5. ^ 貴ノ花の現役中ライバルの一人だった元大関の増位山太志郎(日本相撲協会停年後の現在は歌手として活動中。)も、高校時代まで水泳部に所属しインターハイ出場の経験もあった。
  6. ^ 『大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史』(杉並区立郷土博物館編、1991年)
  7. ^ a b 《三代で家業消滅》「これからは父とも兄とも思うな」「縁を切って敵だと思え」花田家が角界から去るまでの波乱万丈すぎる軌跡 (2/6ページ) 文春オンライン 2022/01/13 『人間晩年図巻 2004-07年』より一部抜粋 (2023年5月26日閲覧)
  8. ^ 幕内最年長優勝・玉鷲の快挙の裏に潜む角界の「危機」とは nippon.com 2022.11.14 (文・長山聡、2023年9月22日閲覧)
  9. ^ 《三代で家業消滅》「これからは父とも兄とも思うな」「縁を切って敵だと思え」花田家が角界から去るまでの波乱万丈すぎる軌跡 (1/6ページ) 文春オンライン 2022/01/13 『人間晩年図巻 2004-07年』より一部抜粋 (2023年5月26日閲覧)
  10. ^ a b 『相撲』(別冊師走号)42ページから43ページ
  11. ^ それまでは羽黒山の12場所(ただし年2場所時代)。その後1991年平成3年)3月場所に更新している。
  12. ^ のちに北の湖、ついで次男の貴乃花(当時・貴花田)が更新し、さらに稀勢の里もこの記録を上回った。
  13. ^ 『相撲』2014年3月号53頁
  14. ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p72
  15. ^ 【連載 名力士たちの『開眼』】大関・貴ノ花利彰編 カミさんのために、そしてこの子らのためにも――[その4]
  16. ^ 【連載 名力士たちの『開眼』】大関・貴ノ花利彰編 カミさんのために、そしてこの子らのためにも――[その5] ベースボール・マガジン社WEB 2020-06-19(2020年6月19日閲覧)
  17. ^ 『大相撲中継』2017年5月27日号18頁
  18. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p27
  19. ^ 大関昇進の星事情 東スポWeb 2014年07月29日[リンク切れ]
  20. ^ 『相撲』(別冊師走号)20ページ
  21. ^ 『相撲』(別冊師走号)22ページ
  22. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p186
  23. ^ 『相撲』(別冊師走号)43ページ
  24. ^ 『相撲』(別冊師走号)40ページ
  25. ^ a b 『相撲』(別冊師走号)41ページ
  26. ^ 胸痛む黒ネクタイ取材…故人の人柄にじむ数々の言葉 日刊スポーツ 2019年5月10日10時0分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月10日閲覧)
  27. ^ 反対に朝潮はかねてより太り過ぎに悩み、喫煙を減量に利用していたという。次男の貴乃花も、引退後に葉巻を大量に喫して減量に成功したとされている。
  28. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p75
  29. ^ 『大相撲中継』2018年2月17日号 p.86-87
  30. ^ 力士の酒豪伝説 日本酒を36L飲んで酩酊しなかった雷電 NEWSポストセブン(週刊ポスト2017年12月22日号) 2017.12.16 16:00 (小学館、2019年3月20日閲覧)
  31. ^ ただし、二子山本人は貴闘力に「お前と濱田(豊ノ海)はオレの部屋じゃなかったら関取になってねぇ!」と発言しており、育成失敗を否定している(【豊ノ海】56歳の早すぎる永眠。超重量級力士の素顔を語る。曙キラーを育てた男 貴闘力部屋 2021/12/04 2021年12月4日閲覧)
  32. ^ 《三代で家業消滅》「これからは父とも兄とも思うな」「縁を切って敵だと思え」花田家が角界から去るまでの波乱万丈すぎる軌跡 (5/6ページ) 文春オンライン 2022/01/13 『人間晩年図巻 2004-07年』より一部抜粋 (2023年5月26日閲覧)
  33. ^ a b 《三代で家業消滅》「これからは父とも兄とも思うな」「縁を切って敵だと思え」花田家が角界から去るまでの波乱万丈すぎる軌跡 (4/6ページ) 文春オンライン 2022/01/13 『人間晩年図巻 2004-07年』より一部抜粋 (2023年5月26日閲覧)
  34. ^ 急性上気道炎により2日目から途中休場・7日目から再出場・12日目から再休場
  35. ^ 左足首関節挫傷により6日目から途中休場
  36. ^ 急性糸球体腎臓炎・頸椎捻挫により3日目から途中休場
  37. ^ a b c d e 角番(全5回)
  38. ^ 急性肝臓炎により6日目から途中休場
  39. ^ a b 北の湖と優勝決定戦
  40. ^ 肝臓炎・慢性腸炎により4日目から途中休場
  41. ^ 右脛骨不完全骨折・低血圧・肝機能障害により5日目から途中休場
  42. ^ サイトや書物などで「みつお」と表記されているものが多いが、NHKの大相撲放送でアナウンサーが「まんろう」と紹介していたこともあった。どちらが正しいかは、定かでない。
  43. ^ 『東京ガス 暮らしとデザインの40年 1955→1994』1996年2月1日発行、株式会社アーバン・コミュニケーションズ。128頁~131頁


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