若乃花幹士_(初代)とは?

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若乃花幹士 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/04 04:43 UTC 版)

初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ)、本名:花田 勝治(はなだ かつじ、1928年(昭和3年)3月16日 - 2010年(平成22年)9月1日)は、青森県弘前市青女子(あおなご)出身で、入門当時は二所ノ関部屋1953年花籠部屋の独立とともに移籍)に所属した大相撲力士、第45代横綱。身長179cm、体重107kg。血液型はB型。弘前市名誉市民。土俵の鬼と呼ばれた。戦後最軽量横綱である[3](歴代史上最軽量は栃木山の103kg)[1]




  1. ^ a b c d e f g h i ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p22
  2. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』21ページから22ページ
  3. ^ 歴代横綱一覧
  4. ^ 韓国名・朴祐賛。1972年7月誕生、韓国・ソウル生まれ。1985年12月に養子縁組を行い13歳で日本へ移住。引退後の2002年5月に父・初代若乃花から認知してもらい、花田河成を名乗ると同時に帰化。その後、起業して日韓を往来している。自著『花田家の隠し子―アボジと呼ばせて』(主婦と生活社)では、移住してから民族差別を受けたことで素行が荒れた結果として高校進学が困難になったため藤島部屋に身を寄せ、大相撲時代には従兄にあたる3代若乃花の付き人を務めていたことが語られている。暴露の内容としては嫡外子、そして韓国人としての境遇を強いた父・初代若乃花への恨みがつづられており、自身が引退したと同時に初代若乃花が若剛志の母への仕送りを打ち切ったことが認知を求める動機であったとも明かされている。他に、3代若が遺産を相続放棄した背景には初代若が入れ知恵をしたという説も唱えている。叔父であり師匠でもあった藤島や当時女将を務めていた藤田紀子への恩義も語られている。
  5. ^ a b c d e f 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)57ページから59ページ
  6. ^ a b 荷役で鍛えた下半身 土俵の鬼、「栃若時代」築く 元横綱初代若乃花が死去(1/2ページ) 日本経済新聞 2010/9/1 22:05
  7. ^ 「私が軍隊から戻って一番元気なときだよ。若乃花は上背はあったがせいぜい70キロ台、こっちら22~23歳で100キロ近くあって鍛えに鍛えていたからね。17~18歳の細っこいアンちゃんじゃ勝てっこないよ」(横尾一彦「マルゼンスキー(1) やっぱりダービーを走らせたかった」『優駿』1994年8月号、日本中央競馬会、1994年、p.77)
  8. ^ 日本経済新聞1988年(昭和63年)2月7日「私の履歴書」
  9. ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』18ページ
  10. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』p69-70
  11. ^ 日本経済新聞1988年(昭和63年)2月7日「私の履歴書」
  12. ^ 当時TBSの大相撲担当アナウンサー・小坂秀二の著書「栃若時代」によれば、この時若乃花宅の玄関先で偶然、旅装の一家に出くわし、出発を止めたのは小坂自身である。
  13. ^ 昭和の大関昇進口上は短め…輪島は“ド忘れ” Sponichi Annex 2011年12月1日 06:00
  14. ^ 昭和生まれの決定戦出場は同年1月場所での鶴ヶ嶺が第1号。横綱鏡里に破れ優勝同点。
  15. ^ 日本経済新聞1988年(昭和63年)2月17日「私の履歴書」
  16. ^ 杉並区立郷土博物館編「大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史」1991.11
  17. ^ 実弟貴ノ花、甥の貴乃花も1場所2度の不戦敗を記録したことがある。
  18. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p53
  19. ^ のちに甥である3代若乃花が昭和に初土俵を踏んだ最後の横綱となる。
  20. ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p62
  21. ^ 厳密には時津風の命を受けて12代立田川が指導を行った形である。角界の伝統により、一門に横綱土俵入りを指導する協会在籍の横綱経験者がいないために一門の行司が横綱土俵入りを指導する場合もある。
  22. ^ この時の横綱土俵入りの指導が、後に 2代若乃花貴乃花と二所ノ関一門内を伝わり、さらに2014年3月場所後の鶴竜に伝えられたことで、元の時津風一門に還元された。鶴竜の際も一門内では柏戸以来45年ぶりの横綱誕生だったため、指導する先輩横綱がおらず、貴乃花が引き受けることになったためである。
  23. ^ 視点・論点「大鵬の時代」NHK解説委員会 2013年2月06日(水) 東京工業大学名誉教授・芳賀綏の記述
  24. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P185
  25. ^ a b 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p44-46
  26. ^ 参考資料:『相撲』2012年3月号83頁
  27. ^ 参考資料 『KINENOTE』のその項その他により、「アラモ」の日本封切り年月日は1960年12月24日であるため、明らかにこれは誤りである。
  28. ^ 同場所の横綱の並びは東正位から栃錦、朝汐、若乃花の順。朝汐が皆勤していたら千秋楽結びの一番は栃錦対朝汐となるのが一般的。
  29. ^ 「“土俵の鬼” 引退!」相撲 昭和37年6月 夏場所総決算号 ベースボールマガジン社
  30. ^ 結局若乃花より先に引退する。
  31. ^ 2018年現在の記録保持者は白鵬翔(2018年9月場所で1000勝到達)
  32. ^ 花籠昶光『横綱づくりの秘伝 : 私の相撲自伝』 ベースボール・マガジン社 P95
  33. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』P67~73「本家に勝る隆盛誇った阿佐ヶ谷勢、有為転変の歴史 花籠部屋・二子山部屋」大見信昭
  34. ^ 花籠昶光『横綱づくりの秘伝 : 私の相撲自伝』 ベースボール・マガジン社 P97
  35. ^ 。石井代蔵『土俵の修羅』時事通信社
  36. ^ 『大相撲中継』2017年5月27日号91頁
  37. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) ニ所ノ関部屋』P67~73「本家に勝る隆盛誇った阿佐ヶ谷勢、有為転変の歴史 花籠部屋・二子山部屋」大見信昭
  38. ^ 時事ドットコムニュース 「鬼」と「おしん」と稀勢の里
  39. ^ 「負けるも勝ち」p120~121
  40. ^ 一方で二子山(若乃花)の現役中に土俵入りの指導を受けた大鵬幸喜は「目の位置や出から終わりまでの間合いなど文字通り手取り足取りで若乃花関に指導された」と『大鵬自伝』(大鵬幸喜著、ベースボールマガジン社刊、1972年)、P120-P121に記している。
  41. ^ 石井代蔵「土俵の修羅」
  42. ^ 鹿島の軌跡 第26回 国技館―伝統と技術が融合した相撲の殿堂
  43. ^ 時事ドットコム 「コラム 国技館100年
  44. ^ NHK特集 栃若 ~新国技館を動かす親方たち~ NHKアーカイブス
  45. ^ 杉並区立郷土博物館編「大相撲杉並場所展 : 阿佐ケ谷勢その活躍と栄光の歴史」1991.11
  46. ^ 石井代蔵「土俵の修羅」
  47. ^ 年寄名跡の交換によって実弟貴ノ花に二子山を継がせた上で、それまで二子山部屋の所属だった力士などを藤島部屋の建物に移籍させ、看板を替えて「新生」二子山部屋とした。旧・二子山部屋はそのまま初代若乃花の専用自宅となった。
  48. ^ 通例では、部屋の存続として、部屋付き親方を新師匠として継承させる、もしくは部屋内部に適任者がいなければ同じ一門の親方を迎え入れて擁立するという形が多い。こうした継承が叶わない場合は部屋の存続を断念し、一門内の違う部屋へ力士などをまるごと移籍させることになる。そうなれば移籍した力士たちの所属は、当然、移籍先の部屋名に変わるのが通常である。しかしこの1993年の二子山継承では、年寄名跡の売買価格が特に高騰していた時期にあって、二子山の名跡も部屋本体もスムーズに継承させることは困難であった。そのため、若貴全盛期で部屋の隆盛を誇っていた実弟の藤島部屋の看板を替えさせてまでも、二子山の名跡と部屋をセットで継承させる結果となった。こうした苦肉の策により、一代で名門に築き上げられた二子山部屋の看板が維持されたが、皮肉にもこのことが3年後の申告漏れ発覚、そして兄弟そろっての要職辞任にもつながった。
  49. ^ “土俵の鬼」初代若乃花 死去…82歳” (日本語). 読売新聞. (2010年9月2日). http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=30191 2010年9月2日閲覧。 
  50. ^ なお、初代梅ヶ谷の生年月日をグレゴリオ暦に直した場合、梅ヶ谷最後の誕生日が若乃花の生年月日である。
  51. ^ 「土俵の鬼」初代若乃花、両国国技館に別れ… スポーツニッポン 2010年9月5日閲覧
  52. ^ 小坂秀二『大相撲ちょっといい話』文春文庫P129
  53. ^ 「若乃花一代記」から盛り上がった甚句人気 神田雑学大学講義録 2003年11月21日付
  54. ^ 八百長の有無「待ったなし」 新「証拠」のインパクト J CASTテレビウォッチ 2008/10/25 08:01
  55. ^ [1]実際の録音を扱った動画]
  56. ^ 2011年2月12日 NHKスペシャル『八百長はなぜ起きたのか』二子山理事長の発言
  57. ^ 『相撲』2013年12月号92頁
  58. ^ 大相撲酒豪番付2014年東銀座場所 時事ドットコム
  59. ^ 花籠 昶光 『横綱づくりの秘伝 : 私の相撲自伝』 ベースボール・マガジン社P36
  60. ^ a b 石井代蔵『大関にかなう』(文春文庫、1988年)
  61. ^ 荷役で鍛えた下半身 土俵の鬼、「栃若時代」築く 元横綱初代若乃花が死去 日本経済新聞 2010/9/1 22:05 (2/2ページ)
  62. ^ 石井代蔵『大相撲親方列伝』(文春文庫、1993年)
  63. ^ 朝汐若羽黒と優勝決定戦
  64. ^ 大晃と優勝決定戦
  65. ^ 扁桃腺炎により13日目から途中休場、千秋楽不戦敗
  66. ^ 栃錦と優勝決定戦
  67. ^ 気管支肺臓炎・蓄膿症により3日目から途中休場
  68. ^ 腰椎捻挫により9日目から途中休場
  69. ^ 左肩胛関節炎により7日目から途中休場
  70. ^ 急性肝臓炎・気管支炎・腰椎炎により2日目から途中休場
  71. ^ 5月場所前に引退を表明


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