京マチ子とは? わかりやすく解説

きょう‐まちこ〔キヤウ‐〕【京マチ子】

読み方:きょうまちこ

19242019女優大阪生まれ本名矢野元子(やのもとこ)。「羅生門」「雨月物語」「地獄門」などの出演作相次いで国際的な映画賞受賞後年舞台テレビドラマでも活躍した


京マチ子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/18 03:34 UTC 版)

きょう まちこ
京 マチ子
本名 矢野 元子(やの もとこ)
生年月日 (1924-03-25) 1924年3月25日
没年月日 (2019-05-12) 2019年5月12日(95歳没)
出身地 日本大阪府大阪市港区八幡屋
死没地 日本東京都
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1949年 - 2019年
活動内容 1949年:女優デビュー
1950年:『羅生門
1951年:『源氏物語
1953年:『地獄門
1954年:『千姫
1964年:『甘い汗
1974年:『華麗なる一族
1982年:『ああ離婚
1984年:『必殺仕切人
1987年紫綬褒章
1994年勲四等宝冠章
配偶者 なし
主な作品
映画
羅生門
地獄門
雨月物語』(1953年)
あにいもうと
赤線地帯
浮草


テレビドラマ
かあさん堂々』/『家路〜ママ・ドント・クライ
ああ離婚
女たちの課外授業』/『姥ざかり
受賞
日本アカデミー賞
会長特別賞
1995年
会長功労賞
2017年
その他の賞
毎日映画コンクール
女優演技賞
1951年偽れる盛装』『羅生門
女優主演賞
1965年甘い汗
キネマ旬報ベスト・テン
主演女優賞
1965年甘い汗
菊田一夫演劇賞
大賞
1987年
紫綬褒章
1987年
勲四等宝冠章
1994年
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京 マチ子(きょう マチこ、本名:矢野 元子(やの もとこ)[1]1924年大正13年〉3月25日[2] - 2019年〈令和元年〉5月12日[3])は、日本女優大阪府大阪市出身[4]

生涯

OSK時代(1948年)
1952年
1953年10月18日から28日にかけて、第1回「フランス映画祭」が東京、大阪、京都の各都市で開催され、ジェラール・フィリップシモーヌ・シモンが来日した[5]。写真は会期中の10月23日に高輪光輪閣で行われたパーティーの模様。前列左から、京マチ子、ジェラール・フィリップ、シモーヌ・シモン、山田五十鈴高峰秀子。後列左から、池部良三益愛子早川雪洲木下惠介[6]

一人っ子として出生したものの、5歳のときに父が蒸発し生別、母と祖母の手で成長した経緯を持つ[2]

1936年昭和11年)に大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に入団して、娘役スターとして戦時中に活躍した[2]1949年(昭和24年)に大映に入社、女優デビューした。後輩の若尾文子山本富士子と共に大映の看板女優として活躍した。160cmと当時としては大柄であり、官能的な肉体美を武器に数々の名作に出演した[2]

溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年)、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれる[4]1971年(昭和46年)の大映倒産以降はテレビドラマと舞台を中心に移し、活躍の幅を広げた。

大映社長永田雅一との恋愛関係が憶測された時期もあったが、生涯独身を通す[2]1965年(昭和40年)には、日本で初めての「億ション」、コープオリンピア(東京・表参道)を購入して話題となった[7]

月丘夢路とは映画『華麗なる一族』、ドラマ『犬神家の一族』などで共演し、共に家庭内の壮絶な抗争に執念を燃やす中年女性の狂気を熱演した。1976年12月公開の『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』でマドンナ柳生綾を演じ、マドンナの中では唯一渥美清より年上である。

2000年(平成12年)に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の3位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター女優」では第7位になった。

80歳を過ぎた2006年(平成18年)の舞台まで活動を続けたが、その後は引退状態であった。2014年(平成26年)1月には池畑慎之介のブログに登場した[8]他、2017年6月にも仲代達矢が近況について「元気です」と伝えていた[9]

晩年は石井ふく子奈良岡朋子若尾文子と都心の同じマンションに居住。2019年(令和元年)5月12日午後0時18分、心不全のため東京都内の病院で死去。95歳だった[1][4]。生前からハワイオアフ島の墓に納骨するように遺言しており、同年11月24日に納骨された[3]

第92回アカデミー賞の逝去した映画人を称えるIn Memoriam”(イン・メモリアム)のコーナーでも追悼された[10]

受賞・受章歴

ノミネート

出演作品

1950年映画『羅生門
上は三船敏郎
1953年映画『地獄門
上は長谷川一夫
1954年映画『千姫
左は菅原謙二
1955年映画『楊貴妃
左は森雅之
1960年映画『流転の王妃
左は船越英二

映画

「花くらべ狸御殿」の水の江瀧子(右)と京マチ子(左)

テレビドラマ

バラエティ番組

その他のテレビ番組

舞台

CM

  • 資生堂「花椿カード」(1982年)

脚注

  1. ^ a b 京マチ子さんが死去 95歳 「痴人の愛」「羅生門」”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2019年5月14日). 2019年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.34.
  3. ^ a b 女優の京マチ子さん死去 95歳”. Sponichi Annex. スポーツニッポン (2019年5月14日). 2019年5月14日閲覧。
  4. ^ a b c 女優の京マチ子さん死去 95歳 「羅生門」「雨月物語」グランプリ女優”. 産経ニュース . 産経新聞社 (2019年5月14日). 2019年9月4日閲覧。
  5. ^ 『スタア』1954年1月号、株式会社スタア、「フランス映画祭 ジェラール・フィリップ シモーヌ・シモン アンドレ・カイヤット 来る」。
  6. ^ 映画評論』1953年12月号。
  7. ^ 神宮前六丁目 『原宿 1995』 コム・プロジェクト 穏田表参道商店会1994年12月25日発行
  8. ^ ハワイ便り 19池畑慎之介オフィシャルブログ 2014年1月19日
  9. ^ 京マチ子の近況を仲代達矢が明かすデイリースポーツ 2017年6月8日
  10. ^ アカデミー賞 京マチ子さん追悼 国際的に活躍「グランプリ女優」マーロン・ブランドの相手役も”. Sponichi Annex(スポニチアネックス). 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2020年2月10日). 2020年2月13日閲覧。
  11. ^ 第18回日本アカデミー賞 優秀賞”. 日本アカデミー賞公式サイト. 日本アカデミー賞協会 (1995年3月18日). 2025年6月6日閲覧。
  12. ^ “第40回日本アカデミー賞優秀賞の最多受賞は「怒り」、「シン・ゴジラ」「64」が続く”. 映画ナタリー. (2017年1月16日). https://natalie.mu/eiga/news/216979 2017年1月17日閲覧。 
  13. ^ “88. 天狗倒し -「わがスクリーン遍歴」”. ニュース和歌山. オリジナルの2005年2月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20050228160800/http://www.nwn.jp/screen/waga1/text1/88.html 
  14. ^ 放送ライブラリー 番組ID:000636
  15. ^ 放送ライブラリー 番組ID:001938
  16. ^ 京マチ子さん、両まゆそり落とし大役ゲット 生涯独身を通し億ション購入…評伝

関連書籍

  • 水野晴郎『水野晴郎と銀幕の花々』(近代文芸社、1996年) ※水野による京を含む女優たちのインタビュー集
  • 北村匡平『美と破壊の女優 京マチ子』(筑摩選書、2019年)

関連項目

外部リンク





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