平瀬真由美とは? わかりやすく解説

平瀬真由美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/10 04:32 UTC 版)

平瀬 真由美
Mayumi HIRASE
基本情報
名前 平瀬 真由美
生年月日 (1969-10-30) 1969年10月30日(55歳)
身長 172 cm (5 ft 8 in)
体重 65 kg (143 lb)
出身地 熊本県熊本市
経歴
プロ転向 1988年
成績
優勝回数 日本女子:18回
全米女子:1回
初優勝 MMT杯ダンロップOP(1989)
賞金王 日本女子:1993年、1994年
賞金ランク最高位 日本女子:1位(1993,1994)
2015年3月5日現在
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平瀬 真由美(ひらせ まゆみ、1969年10月30日 - )は、日本の女子プロゴルファーである。熊本県熊本市出身。血液型B型。ダイキン工業所属。

来歴

熊本市立高等学校卒業。1988年、プロ転向。1989年ミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメントでツアー初優勝。同年計3勝し、年間獲得賞金ランキングで6位に入り、シード権を初めて獲得。

1990年フジサンケイレディスクラシックで完全優勝。賞金ランク12位で2年連続シード権。

1991年はマルコーレディスで3人プレーオフを制し優勝。賞金ランク11位で3年連続シード権。

1992年三菱電機レディスゴルフトーナメントで優勝。賞金ランク26位で4年連続シード権。

1993年は4日間大会で公式戦移行前のワールドレディスゴルフトーナメント足立香澄とのプレーオフを制し優勝。KOSE・JUNON女子オープン、富士通レディースと合わせて3勝し、年間獲得賞金8,147万円余で初の賞金女王となる。

1994年NEC軽井沢72ゴルフトーナメントで完全優勝。TaKaRa WORLD INVITATIONAL優勝。とりわけ大王製紙エリエール女子オープンゴルフトーナメントJLPGA明治乳業カップ年度最優秀女子プロ決定戦は2週連続優勝を果たし、塩谷育代を約400万円上回って[1]6,981万円余で2年連続の賞金女王となる。

1995年は東都自動車レディースプロゴルフトーナメント、ダンロップツインレイクスレディスオープン、NEC軽井沢72と3勝を挙げ、前年を上回る7,371万円余を獲得するも僅差で塩谷に届かず[1]賞金ランク2位となる。

1996年からアメリカツアーに参戦。同年、日本で行われたアメリカ女子ツアー東レジャパンクイーンズで初優勝を果たした。

1999年に大王製紙エリエールレディス、2000年にフジサンケイレディスクラシックで優勝。日本海外で合計19勝。

2000年5月に外科医の男性と結婚し、日本に拠点を戻した。現在は愛媛県松山市在住、4児の母である。

2023年6月に宮地エンジニアリング株式会社社外取締役に就任。

人物・逸話

表彰

脚注

  1. ^ a b 塩谷 育代 プロフィール詳細”. JLPGA. 2021年5月5日閲覧。
  2. ^ "平瀬真由美めい竹田麗央4位 ツアー史上8人目アマチュア優勝ならず". 日刊スポーツNEWS. 日刊スポーツ新聞社. 18 April 2021. 2021年5月4日閲覧
  3. ^ "21歳竹田麗央が逆転で初優勝  前日首位の岩井明愛は崩れ10位 女子ゴルフ、KKT杯バンテリン・レディース最終日". 産経ニュース. 産経デジタル. 14 April 2024. 2024年4月15日閲覧
  4. ^ 歴代受賞者”. 報知新聞社. 2021年5月4日閲覧。

関連項目

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