栃錦清隆とは?

とちにしき‐きよたか【栃錦清隆】


栃錦清隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 18:00 UTC 版)

栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、東京府南葛飾郡小岩村下小岩(現・東京都江戸川区南小岩[1]出身の元大相撲力士。第44代横綱。本名は大塚 清(おおつか きよし)で、のちに栃木山守也の養子となって中田 清(なかた きよし)となる。


  1. ^ 横綱栃錦”. 江戸川区郷土資料室. 2019年12月閲覧。
  2. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』20ページ
  3. ^ a b c d e f g h i j k 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)51ページから56ページ
  4. ^ a b 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p39
  5. ^ 太平洋戦争以前は「力士の体格に合う既成の軍服がない」などの理由から徴兵される力士は稀で、たとえ徴兵されても力士と知られれば即日帰郷を許されることが常であった。それが太平洋戦争末期になると十両以下は漏れなく徴兵され、細身の力士は太平洋戦争でキャリアを潰されることがままあった。
  6. ^ a b c 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p28
  7. ^ 現在の選考基準に照らすと敢闘賞が相応しいが、同場所が新小結で1横綱3大関を倒し、7勝4敗の輝昇勝彦に敢闘賞が贈られるなど、当時はまだ各賞の選考基準が明確に定まっていなかった。
  8. ^ 当人によれば、「上(位力士)に負けて下(位力士)に勝っただけ」だが、もう後が無い状態からの復活は恐るべき集中力と言えるだろう。
  9. ^ 千秋楽は吉葉山と1敗同士で対戦し、時津山の結果次第で勝った方が優勝決定戦出場を争う一番になるところだったが、結局時津山が全勝のまま優勝を決めた。
  10. ^ 結果的に東富士の引退と栃錦の横綱昇進は重なることになり、「一瞬の5横綱時代」とされている。番付面で5横綱が並ぶことは現在まで無いが、断髪式を迎える前の東富士を交えて、5人の横綱が勢揃いした写真が数枚残されている。
  11. ^ Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p62
  12. ^ 戦時中の徴兵によるものを除く。
  13. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年8月号 p46
  14. ^ 優勝決定戦を含むなら19勝16敗で、うち一回は1956年9月場所における栃錦の不戦勝。この場所は、直前に長男を事故で亡くした若乃花が初日から12連勝したが、病気で無念の休場となった。
  15. ^ 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p51
  16. ^ 『大相撲ジャーナル』2018年3月号 p.58-59
  17. ^ 視点・論点「大鵬の時代」NHK解説委員会 2013年02月06日(水)東京工業大学名誉教授・芳賀綏の記述
  18. ^ 式守伊之助と共に大鵬の勝ちと主張したが、春日野以外の審判は戸田の勝ちを支持し、行司差し違えで「戸田の勝利、大鵬46連勝ならず」となるが、これは誤審であることが判明した。当時は相撲の勝敗判定にビデオ判定を導入する用意は行なわれていたが、この相撲が前倒し導入のきっかけとなった。
  19. ^ 北の富士のつき手かばい手かを巡って大物言いとなる。木村庄之助は「付き手」として貴ノ花に軍配を上げたが、春日野は「『かばい手』=貴ノ花は死に体」と主張し、行司差し違えで北の富士の勝ちとなり、木村庄之助引退の原因となった。
  20. ^ 『人間の記録39 栃錦清隆 栃錦一代』内容構成日本図書センター
  21. ^ a b c 『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p17
  22. ^ 大相撲コラム集(キモはここなのだ!)出し投げはアゴを使え!(第44代横綱・栃錦)”. 2004年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月10日閲覧。
  23. ^ エラの張った顔で眼光鋭く、一度食いついたら離さない相撲ぶりからそう渾名された。
  24. ^ 千代の山は栃錦より1歳年下で、(学年は栃錦が早生まれなので2学年下)初土俵は栃錦より3年後輩だった。
  25. ^ 自著『栃錦一代』の中で「(昭和では)双葉関六十九連勝、羽黒関の三十二連勝につぐもの」(p.198)と書いているが、双葉山には他に36連勝と29連勝が、玉錦三右エ門にも27連勝があって、これは誤り。
  26. ^ 資金調達のために力士や親方の給与を抑えており、後年、八角理事長(元横綱・北勝海信芳)は自身が1983年に新十両に昇進した際の給料について「月給28万円だった。ずいぶん抑えられていたよね」と笑ってコメントしたことがある。
    国技館、無借金で再建の訳 2人の名横綱が「寄り切り」 朝日新聞DIGITAL 2017年1月26日10時59分
  27. ^ 1995年7月24日付日刊スポーツ
  28. ^ 佐藤有一『わが師淀川長治との五十年』(清流出版)
  29. ^ 場所後兵役
  30. ^ 亜急性中心性肺臓炎により7日目から途中休場
  31. ^ 内痔核により10日目から途中休場
  32. ^ 慢性腎臓炎・右アキレス腱炎・腓腹筋リューマチにより11日目から途中休場
  33. ^ 慢性腎臓炎・右アキレス腱炎・腓腹筋リューマチにより全休
  34. ^ 若乃花と優勝決定戦


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