技能賞の常連とは? わかりやすく解説

技能賞の常連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:24 UTC 版)

栃錦清隆」の記事における「技能賞の常連」の解説

入幕2場所目となる同年11月場所では西前16目で9勝2敗の好成績挙げ10勝1敗で幕内最高優勝横綱羽黒山政司に次ぐ星をあげる。この場所から三賞制度始まり栃錦も「何かもらえるかと思った」と話していたが、新入幕で同じ9勝の出羽錦忠雄殊勲賞が贈られ栃錦には何も無かった。後に彼が独占する技能賞を初め受賞する1949年1月場所では、優勝候補一人だった大関佐賀ノ花勝巳立ち合い思い切り当たり、前褌引いて右から強烈な出し投げ打って勝利したことが評価され、これが受賞理由となった1951年1月場所では前頭2枚目で初日から7連敗喫したが、その後は8連勝して8勝7敗と勝ち越した。翌場所で小結復帰以降三役定着し大関横綱駆け上がっていく。 1952年5月場所10勝5敗で通算8回目技能賞を獲得協会から特別表彰受けた同年9月場所では場所中に高熱発した14勝1敗で初の幕内最高優勝遂げ感涙暮れた。場所後に大関昇進するが、この時の体重は98kgしかなかった。 新大関として迎えた1953年1月場所は、横綱照國萬藏3日目現役引退表明、残る横綱・大関6人中3人が途中休場という大荒れの場所だったが、12日目まで1敗で優勝争い終盤に3連敗したものの11勝4敗、優勝大関鏡里喜代治14勝1敗)と共に上位陣の面目保った。続く同年3月場所では14勝1敗で大関として初優勝を果たすと、同年5月場所でも13勝2敗で全勝平幕時津山仁一14勝1敗で準優勝横綱吉葉山潤之輔に次ぐ3位星を挙げ、その軽量から短命大関終わってしまうのではないか不安視する声を一掃し次の横綱候補目されるうになる。しかしこの直後巡業先で一晩ハメ外したために体調崩しその後の3場所を8勝、9勝、9勝と低迷春日野からは「一晩不摂生半年祟る」と慢心叱責された。

※この「技能賞の常連」の解説は、「栃錦清隆」の解説の一部です。
「技能賞の常連」を含む「栃錦清隆」の記事については、「栃錦清隆」の概要を参照ください。

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