11月場所(九州場所)
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東西合併以降1930年に九州地方初の本場所が行われており、以降太平洋戦争が激化するまで九州場所は行われていた。1955年から2年間は準場所として施行され、1957年から本場所に昇格した。昇格した年から4年連続で大関以下が優勝、「横綱が優勝できない場所」と言われたが1961年に大鵬が優勝してようやくそのジンクスが破られた。その大鵬は32回の優勝の内7回を九州場所で果たしており、大鵬にとって九州場所が最も験の良い場所となった。 福岡スポーツセンターで開催されていた1973年までは同名の運営会社(西鉄グループ)との共催だったが、1974年から日本相撲協会単独主催の自主興行となり、同時に九電記念体育館に移った。 1970年代前半に九州場所は存亡の危機に立たされたが、西鉄ライオンズの身売り騒動に危機感を覚えた田口一幸の国民的なスポーツを九州に残したいという気持ちからなる奔走によって、九州場所は継続に至った。 千代の富士の1981年から1988年までの8連覇は同一場所連続優勝の最多記録。 地方で行われる本場所の中でも、最も地元出身力士への声援が大きい。毎年初日の数日前に、相撲協会とNHK福岡放送局の共催で前夜祭が開かれ九州出身力士が紹介される。とりわけ魁皇が現役力士だった頃には福岡県直方市出身ということもあって大きな声援が飛び、相撲の観客からは珍しい「魁皇コール」が場内から起こるほどであった。これは相手力士には相当なプレッシャーであり、魁皇はこの場所だと好調ではあったが、遂に九州場所で幕内最高優勝を果たすことなく引退した。その後は福岡県柳川市出身の琴奨菊が大関に昇進、魁皇人気を引き継いだ。 2008年からは観客の座布団投げ(座布団の舞。主に横綱が平幕に敗れた(金星)場合に観覧席から土俵に向けて座布団が飛ばされていた)を、危険行為とみなして厳しく取り締まることになり、マス席の座布団はこれまでの1人用の正方形4枚から2人用(縦1メートル25、横50センチ)の座布団2枚に変更しさらに2枚をひもで結んでつなげた形に変わった。これにより、1人でも座布団に座っていれば座布団を投げられない仕組みになった。しかし重さが2枚計4.8キロとなって投げられた場合の危険性が増したということで、同場所以降、座布団投げが確認された場合は警察へ110番通報するという非常に厳しい措置(警察沙汰)がとられた。 なるほど・ザ・ワールド(フジテレビ)が2005年九州場所の懸賞として提出され、同年12月28日放送の『年末の祭典スペシャル』で視聴者プレゼントした。 コンサートで来日した元ビートルズのポール・マッカートニーが2013年九州場所を観戦した。この場所に登場したポールの懸賞が話題になった。 週刊少年ジャンプ(集英社)が2014年九州場所の懸賞として掲出され、話題となった。 九州場所が開催される「福岡国際センター」は、地方3本場所の中で、1万席と最も観客席の数が多く、チケットが売れ残る現象が長く続いていたが、2017年(平成29年)の場所で久しぶりに前売りが完売。 集客が悪い状態が長年続いており、「不入の場所」とよく言われており満員御礼の連続記録が途切れるのも九州場所が多い。主な原因として九州には相撲茶屋が無く、チケット手配は「大相撲売店」と呼ばれる商店とプレイガイド委託による販売が主でありそれに伴う大手の顧客、贔屓筋が無いのも要因である。時期的にも一年の締めくくりであるがゆえにこの一年の相撲人気、または優勝争いの行方が売上に直接影響する場所でもある。 2020年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大人数での移動を避けるため、福岡での開催を取りやめ、特別に東京の両国国技館での開催となり、マスコミ報道などでの通称も正式名称と同じ「十一月場所」が使用された。 名勝負 1945年千秋楽 前頭10枚目千代の山 - 前頭17枚目大ノ海 終戦後、GHQによって接収されていた両国国技館にて晴天10日間興行で行われたこの場所で、新入幕の千代の山は9日目を終えて横綱羽黒山と共に全勝。千秋楽、千代の山は大ノ海を破り10戦全勝としたが、当時は優勝決定戦がなく、最高成績者が2名以上出た場合は番付上位の力士が優勝という制度だったため、結びで安藝ノ海を下した羽黒山が優勝となった。 1959年千秋楽 横綱若乃花 - 横綱栃錦 1969年千秋楽 大関玉乃島 - 大関北の富士 一年納めの九州場所千秋楽結びの一番が、年間最多勝の決定戦となった例。それぞれ栃錦77勝、北の富士63勝で最多勝を獲得。なお、どちらも同場所の優勝に直接かかわる相撲ではなかった。 他に九州場所千秋楽まで年間最多勝を争った例として1967年の横綱柏戸がおり、横綱大鵬が同年九州場所終盤を3休したためもあるが千秋楽に前頭5枚目福の花に勝って70勝20敗、70勝6敗14休の大鵬と年6場所以降はじめての最多勝同点となった。なお柏戸は12日目にこの場所優勝の横綱佐田の山にも勝っており、この勝敗が逆であったら佐田の山(この年69勝)が大鵬と同点になっているところだった。 1988年千秋楽 横綱千代の富士 - 横綱大乃国 千代の富士の53連勝を、久しく脇役に甘んじていた大乃国が止めた一番。千代の富士はこれに勝っていれば54連勝、翌初場所で双葉山の成した69連勝への挑戦権を得られるはずだった。大乃国はこの一番のために千代の富士の相撲をビデオで研究し尽くしたという。結果的にこれが昭和最後の一番にもなった。 1995年千秋楽(優勝決定戦) 横綱貴乃花 - 大関若乃花 当時一大ブームを起こしていた、元大関・貴ノ花の長男・若乃花と次男・貴乃花の花田兄弟による最初で最後の対決。同門(二子山部屋)のため本割での取り組みは組まれないため優勝決定戦ではあるが、唯一本場所の土俵での2人の対戦が実現した。取り組みは若乃花が貴乃花を下し、2度目の優勝を飾った。ちなみに貴乃花はのちに同門の貴ノ浪との2度の優勝決定戦にも敗れ、同門の優勝決定戦には勝利していない。 1998年13日目 横綱貴乃花 - 前頭12枚目琴錦 前日に横綱若乃花に敗れたもののこの場所の初日から11連勝と好調の琴錦と貴乃花の対戦。結果は琴錦の完勝で金星獲得。この大金星がきっかけとなり琴錦は自身2度目の平幕優勝を果たした。 2010年2日目 横綱白鵬 - 前頭筆頭稀勢の里 白鵬の63連勝を稀勢の里が止めた一番。白鵬はこれに勝っていれば64連勝、この場所の7日目で双葉山の成した69連勝への挑戦権を得られるはずだった。前場所まで4場所連続で全勝優勝をしていた白鵬が敗れるといった大一番であるが、上述の理由で座布団は1枚も飛ばなかった。
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