11月場所とは? わかりやすく解説

11月場所(九州場所)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:46 UTC 版)

本場所」の記事における「11月場所(九州場所)」の解説

東西合併以降1930年九州地方初の本場所が行われており、以降太平洋戦争激化するまで九州場所行われていた。1955年から2年間は準場所として施行され1957年から本場所昇格した昇格した年から4年連続大関以下が優勝、「横綱優勝できない場所」と言われたが1961年大鵬優勝してようやくそのジンクス破られた。その大鵬32回の優勝の内7回を九州場所果たしており、大鵬にとって九州場所が最も験の良い場所となった福岡スポーツセンター開催されていた1973年までは同名運営会社西鉄グループ)との共催だったが、1974年から日本相撲協会単独主催自主興行となり、同時に九電記念体育館移った1970年代前半九州場所存亡の危機に立たされたが、西鉄ライオンズ身売り騒動危機感覚えた田口一幸の国民的なスポーツ九州残したいという気持ちからなる奔走によって、九州場所継続至った千代の富士1981年から1988年までの8連覇同一場所連続優勝最多記録地方行われる本場所中でも、最も地元出身力士への声援大きい。毎年初日数日前に、相撲協会NHK福岡放送局共催前夜祭開かれ九州出身力士紹介されるとりわけ魁皇現役力士だった頃には福岡県直方市出身ということもあって大きな声援飛び相撲観客からは珍しい「魁皇コール」が場内から起こるほどであった。これは相手力士には相当なプレッシャーであり、魁皇はこの場所だと好調ではあったが、遂に九州場所幕内最高優勝を果たすことなく引退したその後福岡県柳川市出身琴奨菊大関昇進魁皇人気引き継いだ2008年から観客座布団投げ座布団の舞。主に横綱平幕敗れた金星場合観覧席から土俵向けて座布団飛ばされていた)を、危険行為みなして厳しく取り締まることになり、マス席座布団これまでの1人用正方形4から2人用(縦1メートル25、横50センチ)の座布団2枚変更しさらに2枚をひもで結んでつなげた形に変わった。これにより、1人でも座布団座っていれば座布団投げられない仕組みになった。しかし重さ2枚計4.8キロとなって投げられ場合危険性増したということで、同場所以降、座布団投げ確認され場合警察110番通報するという非常に厳し措置警察沙汰)がとられた。 なるほど・ザ・ワールドフジテレビ)が2005年九州場所懸賞として提出され同年12月28日放送の『年末祭典スペシャル』で視聴者プレゼントした。 コンサート来日したビートルズポール・マッカートニー2013年九州場所観戦した。この場所に登場したポール懸賞話題になった週刊少年ジャンプ集英社)が2014年九州場所懸賞として掲出され話題となった九州場所開催される福岡国際センター」は、地方3本場所の中で、1万席と最も観客席の数が多くチケット売れ残る現象長く続いていたが、2017年平成29年)の場所で久しぶり前売り完売集客が悪い状態が長年続いており、「不入の場所」とよく言われており満員御礼連続記録途切れるのも九州場所が多い。主な原因として九州には相撲茶屋無くチケット手配は「大相撲売店」と呼ばれる商店プレイガイド委託による販売が主でありそれに伴う大手顧客贔屓筋が無いのも要因である。時期的に一年締めくくりであるがゆえにこの一年相撲人気、または優勝争い行方売上直接影響する場所でもある。 2020年新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大人数での移動避けるため、福岡での開催取りやめ、特別に東京両国国技館での開催となり、マスコミ報道などでの通称正式名称と同じ「十一月場所」が使用された。 名勝負 1945年千秋楽 前頭10千代の山 - 前頭17大ノ海 終戦後GHQによって接収されていた両国国技館にて晴天10日興行行われたこの場所で、新入幕千代の山9日目を終えて横綱羽黒山と共に全勝千秋楽千代の山大ノ海破り10全勝としたが、当時優勝決定戦がなく、最高成績者が2名以上出場合番付上位力士優勝という制度だったため、結びで安藝ノ海下した羽黒山優勝となった1959年千秋楽 横綱若乃花 - 横綱1969年千秋楽 大関玉乃島 - 大関北の富士 一年納め九州場所千秋楽結びの一番が、年間最多勝決定戦となった例。それぞれ77勝、北の富士63勝で最多勝獲得。なお、どちらも同場所の優勝直接かかわる相撲ではなかった。 他に九州場所千秋楽まで年間最多勝争った例として1967年横綱柏戸がおり、横綱大鵬同年九州場所終盤を3休したためもあるが千秋楽前頭5福の花勝って7020敗、70勝6敗14休の大鵬と年6場所以降はじめての最多勝同点となった。なお柏戸は12日目にこの場所優勝横綱佐田の山にも勝っており、この勝敗が逆であった佐田の山この年69勝)が大鵬同点になっているところだった。 1988年千秋楽 横綱千代の富士 - 横綱大乃国 千代の富士53連勝を、久しく脇役甘んじていた大乃国止めた一番。千代の富士はこれに勝っていれば54連勝、翌初場所双葉山成した69連勝への挑戦得られるはずだった。大乃国はこの一番のために千代の富士相撲ビデオ研究し尽くしたという。結果的にこれが昭和最後の一番にもなった。 1995年千秋楽優勝決定戦横綱貴乃花 - 大関若乃花 当時一大ブーム起こしていた、元大関・貴ノ花の長男若乃花次男貴乃花花田兄弟による最初で最後対決同門二子山部屋)のため本割での取り組み組まれないため優勝決定戦ではあるが、唯一本場所土俵での2人対戦実現した取り組み若乃花貴乃花下し2度目優勝飾ったちなみに貴乃花はのちに同門貴ノ浪との2度優勝決定戦にも敗れ同門優勝決定戦には勝利していない。 1998年13日横綱貴乃花 - 前頭12琴錦 前日横綱若乃花敗れたもののこの場所の初日から11連勝好調琴錦貴乃花対戦結果琴錦完勝金星獲得。この大金星きっかけとなり琴錦自身2度目平幕優勝果たした2010年2日目 横綱白鵬 - 前頭筆頭稀勢の里 白鵬63連勝稀勢の里止めた一番。白鵬はこれに勝っていれば64連勝、この場所の7日目双葉山成した69連勝への挑戦得られるはずだった。前場所まで4場所連続全勝優勝をしていた白鵬敗れるといった大一番であるが、上述理由座布団1枚も飛ばなかった。

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