若羽黒朋明とは?

若羽黒朋明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/30 05:38 UTC 版)

若羽黒 朋明(わかはぐろ ともあき、1934年11月25日 - 1969年3月2日)は、神奈川県横浜市中区曙町出身で、1950年代から1960年代にかけて活躍した大相撲力士である。本名は草深 朋明(くさぶか ともあき)。立浪部屋に所属していた。最高位は東大関(1959年11月場所、1960年1月場所など)。得意手は左四つ、寄り、押し。現役時代の体格は176cm、150kg[1]




  1. ^ a b c d e f g h ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p23
  2. ^ ベースボールマガジン社『大相撲戦後70年史』18ページ
  3. ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p55
  4. ^ それから8年後の1969年7月場所以降は、2場所連続負越で大関陥落、翌場所関脇の地位で10勝以上の成績で大関特例復帰に改正される。
  5. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p86(参考)
  6. ^ 常ノ花と高永武敏の共著『近世大関物語』(恒文社)219頁には、賭け事を起因として暴力団との縁ができてしまったという趣旨の記述がある。
  7. ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p49
  8. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p57-58
  9. ^ 2013年9月場所7日目中入り後にNHK中継で力道山が生前撮影したカラーのフィルム映像が紹介された際に、解説の北の富士は若羽黒がアロハシャツ姿で場所入りしたことに言及し、その前に「当時は力士が着物を着用せずにスーツで場所入りすることも多かった」とも補足的に証言した。
  10. ^ 1999年12月31日にNHKで放送された『スポーツの20世紀 大相撲 名力士・名勝負100年』では師匠の立浪も現役時代にはスーツで場所入りしていた様子が映し出されていた。実際に1947年11月場所5日目の場所入りにスーツを着用している姿が確認される。
  11. ^ 続・八ヶ岳あかげら日誌
  12. ^ 朝汐若ノ花と優勝決定戦
  13. ^ 角番
  14. ^ 関脇陥落
  15. ^ 右足首関節捻挫により9日目から途中休場
  16. ^ 3月場所直前に廃業を表明


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