有森 裕子
有森裕子の画像
芸名 | 有森 裕子 |
芸名フリガナ | ありもり ゆうこ |
性別 | 女性 |
生年月日 | 1966/12/17 |
星座 | いて座 |
干支 | 午年 |
出身地 | 岡山県 |
URL | https://s-rights.co.jp/member/arimori-yuko |
プロフィール | 1966年岡山県生まれ。就実高校、日本体育大学を卒業して、株式会社リクルート入社。バルセロナオリンピック、アトランタオリンピックの女子マラソンでは銀メダル、銅メダルを獲得。2007年2月18日、日本初の大規模市民マラソン「東京マラソン2007」で、プロマラソンランナーを引退。1998年NPO「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表就任。2002年4月アスリートのマネジメント会社「ライツ」設立、取締役就任。国際陸連(IAAF)女性委員会委員、国連人口基金親善大使、認定NPO法人スペシャルオリンピックス日本 理事長、他。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞。米国コロラド州ボルダーに拠点を置きながら、日本をはじめ世界で活躍する。 |
代表作品1年 | 2009 |
代表作品1 | 著書『有森裕子のマラソンブック フルマラソンで4時間を切る!』 |
代表作品2年 | 2009 |
代表作品2 | 著書『スマイル・ランニング フォー・レディース』 |
代表作品3年 | 2003 |
代表作品3 | 著書『わたし革命』 |
職種 | スポーツ |
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有森裕子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 17:10 UTC 版)
有森 裕子(ありもり ゆうこ、1966年12月17日 - )は、元女子マラソン選手で日本におけるプロランナーの草分けでもある。日本体育大学体育学部体育学科卒業。株式会社アニモ所属
- ^ 日本陸連について 団体情報 役員 2021年11月19日現在 2022年3月28日閲覧。
- ^ IOCの「Sport and Active Society Commission」のメンバーに! - 有森裕子オフィシャルブログ、2016年3月31日
- ^ 「いらんことばっかり言う」? 有森裕子がそう思われている相手とは? (2/3) 週刊朝日 2017年2月10日号より抜粋
- ^ a b 「時代を駆ける:有森裕子:YUKO ARIMORI (1)」 『毎日新聞』 2010年1月4日、13版、5面。
- ^ リーフラス株式会社 会社概要
- ^ 「時代を駆ける:有森裕子:YUKO ARIMORI (2)」 『毎日新聞』 2010年1月5日、12版、9面。
- ^ 20年後、20周年を記念して行われた、同大会を通過して世界に羽ばたいたランナー3人、オリンピックのメダリストである有森、高橋尚子、野口みずきの足形を飾る式典の除幕式においてこの珍記録が披露され、会場は笑いに包まれ、有森も苦笑いしたという
- ^ a b 「一生つきあえる」三菱UFJニコスカード会員誌『DEAR PARTNER』2010年10・11月号、p42 [1]
- ^ 「時代を駆ける:有森裕子:YUKO ARIMORI (3)」 『毎日新聞』 2010年1月6日、12版、9面。
- ^ 有森や松野の他には、1991年の東京国際女子マラソンで後にバルセロナ五輪を制覇する事になるワレンティナ・エゴロワ( ロシア、当時 独立国家共同体)を破り2時間31分27秒で優勝した谷川真理と、1992年の名古屋国際女子マラソンで谷川を破り2時間31分04秒で優勝した大江光子がいたが、有森や松野と比べてタイムや実績で劣るとみなされ、最終候補には挙げられなかった。奇しくも、女子マラソン五輪代表選考レースで優勝しながら五輪代表から落選したは、この時の谷川と大江の二人だけである。
- ^ 有森裕子 「20年間、松野明美を避けて来た」と吐露
- ^ 三上孝道『これだけは知っておきたい(11) オリンピックの大常識』株式会社ポプラ社、2004年、82ページ、ISBN 4-591-08135-4
- ^ [2] 名言はこうして生まれた、「初めて自分で自分をほめたいと思います」、有森:実は、一部の新聞は「自分をほめてあげたい」になっていたんです。それを見た人からは「あげたい、なんておかしい。何を言っているんだ」と、批判されたんです。「ほめたい」と言ったんですが。 2012年7月6日
- ^ 武田薫 「武田薫の激辛スポーツ歳時記 フジテレビ・スポーツコラム1999年6月22日
- ^ a b c 「時代を駆ける:有森裕子:YUKO ARIMORI (4)」 『毎日新聞』 2010年1月11日、13版、5面。山下は故障により、アトランタ五輪の代表にはなれなかった
- ^ 「時代を駆ける:有森裕子:YUKO ARIMORI (5)」 『毎日新聞』 2010年1月12日、13版、7面。
- ^ 有森の公式ブログによる
- ^ “理事・監事内定の件”. 日本プロサッカーリーグ. (2014年1月17日) 2014年1月18日閲覧。
- ^ Jリーグ新理事に有森裕子氏、小宮山悟氏 日刊スポーツ 2014年1月31日閲覧
- ^ 有森裕子さん 日本フェアプレイ大賞アンバサダーに就任 ― スポニチ、2015年7月10日
- ^ 第1回おかやまマラソン 公式HP
- ^ 有森さん 8年ぶり完走「感無量」声援が後押し、おかやまマラソン山陽新聞 2015年11月8日記事
- ^ 有森さん 郷土への思い胸に完走 おかやまマラソン、声援に笑顔山陽新聞 2016年11月13日記事
- ^ 小出さん死去 有森さん、やりとり詳報「私の性格に合わせてくれた産経新聞 2019年4月24日記事
- ^ 有森裕子と高橋尚子。小出義雄監督が支えた平成女子マラソン栄光の時代。Number Weてb 2019年4月29日記事
- ^ 有森裕子 頑固な私と共に歩んでくれた恩師・小出監督 -マラソン指導者・小出義雄監督の逝去によせて-日経Gooday(有森裕子の「Coolランニング」)2019年5月23日記事
- ^ 増田明美『おしゃべりなランナー』リヨン社、1997年、p90 - 91
- ^ 有森さん離婚していた 数年前から別居日刊スポーツ 2012年6月26日記事
- ^ 有森裕子さん 昨年7月に離婚していたスポーツニッポン新聞 2012年6月25日記事
- ^ 『週刊新潮』2014年3月27日号「掲示板」
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