恩師・小出義雄監督が80歳で病逝とは? わかりやすく解説

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恩師・小出義雄監督が80歳で病逝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 22:18 UTC 版)

有森裕子」の記事における「恩師・小出義雄監督が80歳で病逝」の解説

2019年4月24日、かつて実業団リクルート所属時代監督として指導受けた恩師小出義雄が、肺炎により80歳で逝去。その訃報に関して有森は「体調悪く何度倒れて練習見られないという事聞いていた。それでも小出監督会った時は気を遣って元気でいるが、会った後にガクンと来るらしくて。病院見舞い行った時もよく喋り続けて、私が忘れている出来事迄よく覚えてくれていた」「最初に監督会ったのは、まだ私が全く無名の頃。リクルート入ってからも全然走れない私に、監督その都度練習メニュー一生懸命考えてくれた。喧嘩よくしたけど、手の掛かるアスリート困り続けていた監督の顔が浮かんでくる」と涙ながらに想い出語った。 さらに有森は「小出監督最後に逢ったのは今年3月名古屋ウィメンズマラソン。「マラソン当日の朝ホテルで私がうろうろしてた時、鈴木博美高橋尚子・他の積水化学時代OG・元市立船橋高校卒業生達も含めて全員監督バッタリ。『小出監督来ていたんですね。元気じゃないですか』と言った後に『監督一緒に写真撮りましょうか』って。今と成って本当に良い写真撮れて良かった」「近年監督口癖は『最近選手指導がとても難しい。お前達みたいな根性有る選手今居ないんだよ』と嘆いていた。1人でも2人でも、東京五輪)に出させたかったみたいで。段々と監督自身選手達の練習風景を、直接見に行けない事を凄く悔やんでいた」等とコメントしていた。

※この「恩師・小出義雄監督が80歳で病逝」の解説は、「有森裕子」の解説の一部です。
「恩師・小出義雄監督が80歳で病逝」を含む「有森裕子」の記事については、「有森裕子」の概要を参照ください。

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