恩師・小出義雄監督が80歳で病逝
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「有森裕子」の記事における「恩師・小出義雄監督が80歳で病逝」の解説
2019年4月24日、かつて実業団のリクルート所属時代に監督として指導を受けた恩師・小出義雄が、肺炎により80歳で逝去。その訃報に関して有森は「体調が悪く、何度か倒れて練習を見られないという事は聞いていた。それでも小出監督と会った時は気を遣って元気でいるが、会った後にガクンと来るらしくて。病院で見舞いに行った時もよく喋り続けて、私が忘れている出来事迄よく覚えてくれていた」「最初に監督と会ったのは、まだ私が全く無名の頃。リクルートに入ってからも全然走れない私に、監督はその都度練習メニューを一生懸命考えてくれた。喧嘩もよくしたけど、手の掛かるアスリートに困り続けていた監督の顔が浮かんでくる」と涙ながらに想い出を語った。 さらに有森は「小出監督と最後に逢ったのは今年3月の名古屋ウィメンズマラソン。「マラソン当日の朝ホテルで私がうろうろしてた時、鈴木博美・高橋尚子・他の積水化学時代のOG・元市立船橋高校の卒業生達も含めて全員と監督がバッタリ。『小出監督、来ていたんですね。元気じゃないですか』と言った後に『監督、一緒に写真撮りましょうか』って。今と成っては本当に良い写真が撮れて良かった」「近年の監督の口癖は『最近の選手は指導がとても難しい。お前達みたいな、根性の有る選手が今居ないんだよ』と嘆いていた。1人でも2人でも、東京(五輪)に出させたかったみたいで。段々と監督自身が選手達の練習風景を、直接見に行けない事を凄く悔やんでいた」等とコメントしていた。
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