積水化学時代とは? わかりやすく解説

積水化学時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:56 UTC 版)

高橋尚子」の記事における「積水化学時代」の解説

1997年8月世界陸上選手権アテネ大会女子5000mの代表に選出され出場予選レース通過するも、決勝レース順位13位だった。また、この世界陸上選手アテネ大会で高橋練習パートナー務めていた先輩鈴木博美女子マラソン優勝した。これを沿道応援していた高橋鈴木優勝喜び感激する。この大会契機として本格的にマラソンランナーへの道を歩んでいくことになる。 1998年3月8日名古屋国際女子マラソンでは、30km地点まではスローペース先頭集団目立たない位置でついていた。その後30km過ぎてから、小出の「ここからいけ!」の合図猛烈なスパート開始30〜40kmを3227秒、残り2.195kmを7分10秒で走り、ゴールタイムは2時間2548秒の日本最高記録当時)をマークしたマラソン初優勝果たした1998年5月IAAFグランプリ大阪大会女子5000m優勝IAAF国際グランプリシリーズでの優勝日本女子選手では初めてのことであった1998年12月6日のバンコクアジア大会女子マラソンは、最高気温30度を超す高温多湿レースとなったスタート直後から一人飛び出した高橋は、5kmラップ16分台のスプリットで刻むハイペース突っ走り中間点を1時間9分15秒 で通過30kmまでは世界記録更新するペース進んでいた。30km以降17分台のスプリット落ちたものの、独走状態で2位とは13分以上の差をつけ、ゴール気温32度、湿度90%の最悪な条件のなか、2時間2147秒のアジア最高記録当時)で優勝自身の持つ日本最高記録を4分以上も更新して世界最高記録当時)まで1分というところまで縮めたまた、女子マラソンアジア大会初めての開催種目だったので、その後日本選手士気高めて金メダル量産する原動力となった(当大会で男子100m日本記録更新した伊東浩司そのように取材述べていた)。そして、高橋一躍2000年シドニーオリンピック女子マラソン金メダル最有力候補として、世界から注目を集めることとなる。 1999年8月29日セビリア世界陸上女子マラソン代表に選ばれていたが、レース直前に左膝を痛めたため欠場その後10月左腕骨折したり、翌2月には食あたりによる腹痛起こして入院するなどアクシデント続いた2000年3月12日五輪最終選考となった名古屋国際女子マラソン出場体調万全では無かった前半1時間1240秒とやや遅いペース中間点を通過すると、まもなくして22.5km過ぎで先頭集団から自ら抜け出して一気にペースアップ、後半1時間9分39秒 で駆け抜け、2時間2219秒の大会新記録優勝。これにより、シドニー五輪代表の座を獲得している。 2000年7月2日シドニー五輪女子マラソン向けて調整一環として札幌国際ハーフマラソン出場女子の部において1時間9分10秒で優勝した(同ハーフマラソンでは、のちに2004年8月アテネオリンピック女子マラソン金メダリスト2005年9月ベルリンマラソン日本女子新記録達成野口みずき出走1時間1036秒の3位入っている)。

※この「積水化学時代」の解説は、「高橋尚子」の解説の一部です。
「積水化学時代」を含む「高橋尚子」の記事については、「高橋尚子」の概要を参照ください。

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