金メダル
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金メダル(きんメダル)とは、第1義には、金で作られた記章/徽章[1][2][3]、または、金めっきを施された記章/徽章のこと[1][2][3]。競技会や競演会(コンクール)の優勝者に対する表彰、その他もろもろの記念などのために贈る場合が多い[3]。第2義としては、第1義でオリンピック優勝者に授与するところから転義して、大きなスポーツ競技会で第1位になることをいう[3]。
英語では「gold medal」といい[4][注 1]、日本語でもこれを音写した外来語「ゴールドメダル」が通用する[2]。漢語(中国語および日本語)では「金牌(日本語音:きんぱい、拼音:jīnpái〈ヂィンパイ〉)」という[注 2]。
スポーツメダルとしての金メダル
本来は金製で、円盤形をしており、表面には勝利を象徴する月桂樹などの模様が施されているメダルをこう呼ぶ。また、本体上部には、環が付けられ、首に掛けてぶら下げるための幅広の紐やリボンが通されている。また、比喩的表現として「勝利」「優勝」などの意味としても使われる。団体スポーツにおいて優勝旗やトロフィーなどはチームに与えられるが、金メダルは選手1人ずつに与えられる。
近代オリンピックの金メダル
近代オリンピックにおける金メダルは、オリンピックメダルの一種。第1位の成績を上げた者に授与されるメダルである。社会的価値において金・銀・銅に序列があって金が最高位であるように、第1位の表彰は金で表される。
2003年版までのオリンピック憲章では“純度92.5%以上の銀(スターリングシルバーまたはブリタニアシルバー)製メダルの表面に6g以上の金めっきしたもの”[5](つまりバーメイルであること)(規則70 付属細則2-2)と定められていた。これは、開催国によって経済的不利が無いようにとの配慮である[6]。しかし、2004年度版以降の憲章からはこの記述は削除され、「メダルと賞状の形式はIOCに事前に提出して承認を得なければならない。」(規則59)という記述を残すのみとなっている。
1912年開催のストックホルムオリンピックまでは純金製の金メダルを採用していた。
メダルの意匠は大会によって異なる。1998年長野オリンピックでは一部に漆塗りが用いられた。2006年トリノオリンピックでは形状がドーナツ型で形態が様々であった。ただし、夏季オリンピックの表面については、2004年アテネオリンピックを機に規格が統一され、勝利の女神ニケがレリーフとして施したものに固定化された。この変更はギリシャが国際オリンピック委員会 (IOC) へ要請したことによる。
ギャラリー
近代オリンピックの金メダル
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1912年ストックホルムオリンピックの金メダル
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1920年アントワープオリンピックの金メダル
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1952年ヘルシンキオリンピックの金メダル
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1960年ローマオリンピックの金メダル
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1964年東京オリンピックの金メダル
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1968年メキシコシティーオリンピックの金メダル
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1972年札幌オリンピックの金メダル
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1980年モスクワオリンピックの金メダル
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1988年ソウルオリンピックの金メダル
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1998年長野オリンピックの金メダル
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2008年北京オリンピックの金メダル
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2012年ロンドンオリンピックの金メダル
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2014年ソチオリンピックの金メダル
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2020東京オリンピックの金メダル
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2024年パリオリンピックの金メダル
他のスポーツ大会の金メダル
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1990年アジア競技大会の金メダル
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1997年世界マスターズ陸上競技選手権大会の金メダル
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UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01 の金メダル
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2011年FISアルペンスキー世界選手権大会 (2011 en) の金メダル
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東京マラソン2012 の金メダル
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2013年世界距離別スピードスケート選手権大会の金メダル
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2019年ジュニア世界選手権自転車競技大会 (2019 en) の金メダル
金メダルを噛む


金メダルを獲得した選手が、手にしたメダルを噛んでみせたり噛むジェスチャーをするというパフォーマンスがある[7]。これは、20世紀の終わり頃から見られるようになった[7]。米CNNTV(電子版)はメダルをかむしぐさは「喜びに満ちた選手の象徴的な光景」と指摘し、専門家による「メディアを満足させようとする努力」との分析を紹介した[8]。国際オリンピック史学会の会長だったデイヴィッド・ワレチンスキーも、メダルを噛むパフォーマンスはもっぱら写真家からの要望によって行われているとの見解を示している。比較的柔らかい金の性質を利用し、金貨を噛んで真偽を確かめることは古くから行われてきた。正確な起源は不明だが、金メダルを噛むパフォーマンスもこれに関連して生まれたと考えられている[9]。
世界初
金メダルを噛むパフォーマンスを誰が最初に行ったかについては諸説あるが、そのなかで最も有力とされているのは、1988年ソウルオリンピックの時、競泳男子200メートル自由形で優勝したオーストラリア代表選手ダンカン・アームストロングである[7]。理由についての詳細は不明ながら、一説には「金メダルが本物の金で出来ているか確かめようとした」という[7]。その後、様々な国・地域の金メダリストがこれをやるようになり、ニュースや雑誌記事などを通して広く世界中の人々の目に留まる光景になった。
日本初
日本では、1996年アトランタオリンピックの柔道男子71kg級金メダリストとなった中村兼三が、表彰式の直後に行っており、信頼に足る情報に基づくもののなかでは、これが「日本および日本人として初のパフォーマンス」と考えられている[7]。インターネット上では、長い間、中村の試合の2日後に行われた男子60kg級で金メダリストとなった野村忠宏が日本初・日本人初と見なされていたが[7]、野村自身はこれを否定し、「中村先輩を真似たものだった」と告白している[7]。また、当時のスポーツ紙の取材写真でも中村のパフォーマンスを確認できるため、野村の知る限りでは中村が最初ということになる[7]。スポーツ紙に掲載された中村の写真についての関係者の話では、中村のパフォーマンスは現場のカメラマンの要請に応えてのものであった[7]。その関係者は、中村には「メダルを噛む」という発想は無かったと考えている[7]。このような経緯で中村から始まったようであるが、試合前は無名であったのに一躍若手のホープとなった野村に世間の注目が集まるなか、もっぱら野村のパフォーマンスだけが大きく取り上げられることにより、「野村忠宏が日本初」という誤認が生まれたものと考えられる。
組織委員会のユニークツイート
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会では、表彰式でメダルをかむしぐさをする選手の写真とともに「メダルは食べられません」とTwitterに英語で投稿した冗談がネットや海外メディアでも話題となった。 組織委は、選手の活躍を紹介するいくつもの書き込みに交えて「公式見解としてお伝えしたいと思います。メダルは食べられません!」と発信。メダルがリサイクルの金属製であることを紹介し、絵文字付きで「メダルはかんではいけませんよ……でもきっとみんなかむんだろうけど」と書き込んだ。これに対して、2000件を超える「いいね」が付き、欧米メディアもこのメッセージを報じている。組織委は反響を受けてTwitterに「五輪選手のどなたかメダルの味を教えてくれませんか」と再び冗談を書き込んでいる[8]。
学術分野の金メダル
- フランクリン賞(フランクリン・メダル)
- 物理学、化学、生命科学、(電気・機械)工学、地球科学、計算機科学・認知科学の部門ごとに選考で金メダルが贈られる[10]。
- 井上学術賞
- 自然科学の基礎的研究で特に顕著な業績をあげた50歳未満の研究者に対して正賞として賞状や金メダル、副賞として賞金が贈られる[11]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 小学館『デジタル大辞泉』. “金メダル”. コトバンク. 2020年3月12日閲覧。
- ^ a b c 三省堂『大辞林』第3版. “金メダル”. コトバンク. 2020年3月12日閲覧。
- ^ a b c d 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “金メダル”. コトバンク. 2020年3月12日閲覧。
- ^ a b “gold medal”. 英辞郎 on the WEB. アルク. 2020年3月12日閲覧。
- ^ “史上最も重いロンドン五輪の金メダル、「かまないで」と組織委員会―中国メディア”. Record China (2012年4月9日). 2020年3月12日閲覧。
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 4』講談社、2003年。
- ^ a b c d e f g h i j 木村直樹(編集部員)「「金メダルを噛む」ポーズ、日本人第1号は誰? 当時を知る人に聞くと...」『J-CASTニュース』ジェイ・キャスト、2019年7月28日。2020年3月12日閲覧。
- ^ a b “「メダルは食べられません」 組織委のユニークツイートが話題に”. 産経新聞 (2021年7月31日). 2022年12月13日閲覧。
- ^ “Why Olympians bite their medals”. CNN. 2022年12月13日閲覧。
- ^ 石原 宏. “フランクリン賞 (バウワー賞) 受賞紹介 世界的学術賞の一つ ―フランクリン財団から― 伊賀健一・東京工業大学名誉教授”. 学術の動向19巻2号. 2024年7月22日閲覧。
- ^ “第37回井上学術賞・井上研究奨励賞受賞候補者の推薦募集”. 公益社団法人日本気象学会. 2024年7月22日閲覧。
関連項目
金メダリスト
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「国際化学オリンピック」の記事における「金メダリスト」の解説
2019年現在、日本の金メダリストは14人いる。 川崎瑛生(私立武蔵高等学校)2004年 今村麻子(神戸女学院高等学部)2006年 小澤直也(駒場東邦高等学校)2009年 遠藤健一(栄光学園高等学校)2009年 遠藤健一(栄光学園高等学校)2010年 齊藤颯(灘高等学校)2010年 副島智大(立教池袋高等学校)2011年 副島智大(立教池袋高等学校)2012年 山角拓也(灘高等学校)2012年 福永隼也(白陵高等学校)2014年 松本陽行(大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎)2015年 吉村耕平(麻布高等学校)2015年 坂部圭哉 (海陽中等教育学校) 2016年 坂部圭哉 (海陽中等教育学校) 2017年 石井敬直 (筑波大学附属高等学校) 2018年 末松万宙(栄光学園高等学校)2019年 西野拓巳 (東大寺学園高等学校) 2019年
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「金メダリスト」を含む「国際化学オリンピック」の記事については、「国際化学オリンピック」の概要を参照ください。
「金メダリスト」の例文・使い方・用例・文例
- 2度のオリンピック金メダリスト,2度の世界選手権チャンピオンの荻原健司選手が競技から引退することを決めた。
- 柔道金メダリスト,道場を始める
- 吉田さんは,そのような試合に参加する最初の日本人五輪金メダリストになる。
- シドニーオリンピックのマラソン金メダリスト,高橋尚子選手(30)が9月29日のベルリン・マラソンに出場する。
- 2000年オリンピック金メダリストの高橋尚子選手が,9月29日,ベルリン・マラソンで再び優勝した。
- シドニー五輪金メダリストの田村亮(りょう)子(こ)選手が,48キロ級でタイトルを取り戻した。
- 決勝では,アジア大会金メダリストの北田佳(か)世(よ)選手を積極的な攻めで圧倒し,優勢勝ちの判定を勝ち取った。
- 野村選手は1996年のアトランタオリンピックと2000年のシドニーオリンピックの両方の男子60キロ級での金メダリストである。
- 田村選手は2000年シドニーオリンピック女子48キロ級の金メダリストである。
- 2000年シドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子選手が,11月16日,東京国際女子マラソンに出場した。
- シドニー五輪の金メダリスト,田村亮子選手(28)とオリックスブルーウェーブの外野手,谷佳(よし)知(とも)選手(30)が結婚した。
- それまでの30キロレースでの女子の日本記録は,2001年に青梅で,シドニー五輪のマラソン金メダリストの高橋尚子選手によって樹立された,1時間41分57秒だった。
- 2000年シドニー五輪の女子マラソン金メダリストである高橋尚子選手は,アテネ五輪への切符を獲得することができなかった。
- 決勝戦で彼女は,2004年フランス国際の金メダリストである北田佳(か)世(よ)選手を破った。
- 国際オリンピック委員会(IOC)は,アテネ五輪男子ハンマー投げ金メダリストのアドリアン・アヌシュ選手(ハンガリー)を,ドーピング違反で失格にすることを決定した。
- アテネ五輪金メダリストの北島康(こう)介(すけ)選手が男子100メートル平泳ぎで優勝した後,この言葉を口にしたのだ。
- Qちゃんとして知られているシドニー五輪マラソン金メダリストの高橋尚(なお)子(こ)選手が,鹿児島県徳(とく)之(の)島(しま)での2か月の合宿を終えた。
- 5月9日,マラソンのシドニー五輪金メダリストでQちゃんとして知られる高橋尚子選手が,長年の監督である小(こ)出(いで)義(よし)雄(お)氏と別々の道を行くと述べた。
- 2000年シドニー五輪と2004年アテネ五輪の両方の柔道金メダリストの谷亮(りょう)子(こ)選手が先日,妊娠3か月であると発表した。
- 荒(あら)川(かわ)静(しず)香(か)選手が女子フィギュアスケートで金メダルを獲得し,冬季五輪でのわずか2人目の日本人女子金メダリストとなった。
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