ゆうしょう‐き〔イウシヨウ‐〕【優勝旗】
優勝旗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/17 04:59 UTC 版)
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優勝旗(ゆうしょうき)とは、あらゆる競技の大会で優勝した者や団体に、その名誉を表彰し、授ける旗である。チャンピオンフラッグとも呼ばれる。
概要
優勝旗は次回の大会まで、優勝した者や団体の代表が保持することになり、次回の大会が開催されると返還することになる。高校野球における春の選抜高等学校野球大会の優勝旗「紫紺旗」、夏の全国高等学校野球選手権大会の優勝旗「大深紅旗」(深紅の優勝旗)、高校ラグビーにおける冬の全国高等学校ラグビーフットボール大会の優勝旗「飛球の旗」など、大会によっては優勝旗に固有名詞がついているものもある。また、大会終了後に不祥事などが発覚した場合、その優勝を名実ともに取り消すという意味で、次回の大会を待たずして優勝旗を返還する場合もある。この他、次回の大会が中止された場合、次回の大会が開催される予定だった期間以降に返還セレモニーのみ行われる場合がある。
日本の大相撲においても、本場所の幕内力士最高優勝者に対して大優勝旗が手渡される。
前年優勝の団体が予選落ちした場合は、返還を担当する代表者のみが当年の大会開会式に臨む事になる。返還を担当する代表者はそのチームの選手(主に主将)が多いが、前年優勝の団体が翌年の大会前に解散した場合は、その団体が所属していた組織の係員などが担当することもある。
優勝旗が紛失や盗難、破損などにより返還が困難になった場合、主催者は優勝旗を新調することになるが、旗が出来上がる(または見つかる)までに大会が行われた場合は優勝旗なしとなり、完成(または発見)後に主催団体の関係者が訪問して贈呈する他、前に旗を保持していた競技者が製作費を負担する場合もある(事例としてこちらを参照)。また返還が可能な状態であっても、老朽化などの理由から、優勝旗を新調する場合もある。
主な優勝旗
- 深紅の大優勝旗 - 全国高等学校野球選手権大会
- 紫紺の大優勝旗 - 選抜高等学校野球大会
- 黒獅子旗 - 都市対抗野球大会
- ダイヤモンド旗 - 社会人野球日本選手権大会
- 大日輪旗 - JABA東京スポニチ大会
- 飛球の旗 - 全国高等学校ラグビーフットボール大会
- 黒鷲旗 - 高等学校相撲金沢大会・黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会
- 金鷲旗 - 金鷲旗高校柔道大会
- 玉竜旗 - 玉竜旗高校剣道大会
関連項目
優勝旗
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「全国高等学校野球選手権大会に関するエピソード」の記事における「優勝旗」の解説
優勝旗は「大深紅旗」と称されている。初代と二代目、三代目があり、初代の優勝旗は1915年(第1回大会)に「全国大会の覇者に送られるわけだから日本一の旗を送ろうではないか」ということから、京都の髙島屋が京都で有名な伝統工芸の西陣織の職人に依頼して創ったもので、制作費は約1,500円(現在の貨幣価値に直すと約1,000万円といわれている)。しかし後に傷みが酷くなり、補修の痕が目につくようになったため、1958年の40回記念大会から新調された二代目が使われるようになった。2018年の第100回記念大会からは三代目の優勝旗が使われている。初代、二代目優勝旗は現在高野連本部である中沢佐伯野球記念館にて保存され、大会会期中は甲子園歴史館にて展示される。初代、二代目と同様、現在の優勝旗も西陣織の職人に依頼して創ったものだといわれている。初代と二代目との相違点は以下の三点。 上部の大会名称・・・初代が「全国優勝野球大会」(なぜか中等学校が抜けていた)に対し、現在は「全国高等学校野球選手権大会」。 主催新聞社名・・・初代が「大阪朝日新聞社」に対し、現在は「朝日新聞社」(1940年に題号が朝日新聞に統一された)。 糸・・・初代が赤い糸を使ったしっかりしたものなのに対し、二代目は赤い糸を使ってはいるが綴れ織。 優勝旗の竿も初代と現在のものがある。初代の竿は1934年(第20回大会)で優勝した呉港中(広島)が故郷に凱旋した際部員が旗を振り上げようとした際、何かが原因で折れてしまったらしい。慌てた関係者が旗竿を地元呉の旗竿業者に作り直してもらい、翌1935年(第21回大会)に全員で返却した。従って、現在の竿は1935年から使用されているものである。 優勝旗にはラテン語で「VICTORIBUS PALMAE」(勝者に栄光あれ)と刺繍されている。 1946年(第28回大会)に優勝した浪華商(大阪)は優勝パレードが占領軍憲兵によって中止させられた。深紅の優勝旗を赤旗と捉えられ、労働デモと誤認されたことが原因とされる。 1954年(第36回大会)優勝校の中京商(愛知)が保管していた優勝旗が、11月に盗難に遭う事態が起こった。その事件発生から85日後、無事に発見された。犯人は見つかっていない。 初代の優勝旗での最後の優勝校は広島商(1957年/広島)。二代目の優勝旗を最初に手にしたのは柳井(1958年/山口)であり、最後に手にしたのは花咲徳栄高(2017年/埼玉)である。 現在使用されている三代目の優勝旗を最初に手にしたのは大阪桐蔭(2018年/北大阪)である。 夏の全国大会には準優勝旗は存在しない(春の選抜高校野球大会には準優勝旗が存在する)。木内幸男が夏にも準優勝旗があると勘違いしていたのは有名。ちなみに、優勝・準優勝校には記念盾が贈られる(永久授与)。 地方大会にも優勝旗がある。ただし、地方大会の優勝旗も大深紅旗となったのは1960年代後半以降で全部揃ったのは1978年(第60回大会)の事である。 2004年(第86回大会)で駒大苫小牧が優勝し、初めて優勝旗が津軽海峡を渡った。
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