積水化学・資生堂所属時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 04:12 UTC 版)
「吉田香織」の記事における「積水化学・資生堂所属時代」の解説
2000年埼玉県立川越女子高等学校卒業後、小出義雄の誘いで積水化学に入社。当時はぴょんぴょん跳ねて走るフォームから「牛若丸」という愛称で呼ばれていた。また、国際千葉駅伝や横浜国際女子駅伝などでは、日本代表の一員として出場した。 その後、小出や高橋尚子が積水化学を退社したことなどもあり、2003年、資生堂に移籍。2005年、チームメイトの嶋原清子が北海道マラソンに出場した際同行。そこで見た応援のすばらしさに念願の初マラソンを北海道と心に決めた。 翌2006年8月27日に行われた北海道マラソンは、吉田にとっての初マラソンであるとともに、2007年世界選手権代表選考を兼ねていた。気温30度を超す猛暑の中で中盤辺りから独走し、いきなりマラソン初優勝を果たし、同時に新人賞も受賞した。しかし、タイムがこの大会での内定条件となっていた2時間26分をオーバーしていたため内定は得られず、その後の選考レースで他の競技者が好タイムを収めたので、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}新聞紙上などでは選外との予想がなされた[要出典]。 吉田は2007年2月、世界選手権マラソン日本代表決定直前に行われた熊日30キロロードレースでアピールを試みて出場し、最後までその座を取るために執念をみせたが、やはり世界選手権開催時に近い気象条件においてタイムで他の選手より見劣りすると判断され、代表入りはならなかった(ちなみに熊日30キロロードレースは吉田が高校の時に国体に参加そして両親が仕事の関係で熊本に住んでいるなど、かなり縁が強い街であるとローカル紙の報道にあった[要出典])。
※この「積水化学・資生堂所属時代」の解説は、「吉田香織」の解説の一部です。
「積水化学・資生堂所属時代」を含む「吉田香織」の記事については、「吉田香織」の概要を参照ください。
- 積水化学・資生堂所属時代のページへのリンク