廣道 純

芸名 | 廣道 純 |
芸名フリガナ | ひろみち じゅん |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1973/12/21 |
星座 | いて座 |
干支 | 丑年 |
出身地 | 大阪府 |
URL | http://www.jhiromichi.com/ |
ブログURL | http://ameblo.jp/jhiromichi/ |
プロフィール | 高校1年の時、バイクに乗って事故を起こし、脊髄損傷により車椅子生活となる。退院後、即車椅子レースの世界へ。94年、当時の車いすマラソン世界記録保持者ジム・クナープの元へ弟子入りを志願。彼の元でホームステイし、レース前のメンタルトレーニングや勝ち方、練習方法など多くのことを学び、アスリートとしての素質を開花させる。94年ボストンマラソンを皮切りに世界各国のレースに出場。96年大分国際車いすマラソンでは、日本人初の総合2位を果たし、名実ともに世界のトップアスリートとなる。00年シドニーパラリンピック800mで銀メダル、 04年3月には日本人初のプロ車いすアスリートとして独立。その年に行われたアテネパラリンピック800mで銅メダルを獲得。08年北京パラリンピックは大会前までの世界記録を上回る記録で8位入賞。プロのアスリートになってからは、年間25~30回のレースに出場しながら、記録や自身の可能性に積極的にチャレンジ。テレビ・ラジオ出演、講演なども意欲的にこなしている。また、選手育成や車いすレース普及のため、大会運営にも積極的に取り組み、健常者マラソンと車いすレースの融合できる大会を目指し活動している。 |
代表作品1 | 著書『どうせ、生きるなら~車いすアスリートの明るい闘い』 |
代表作品2 | フジテレビ『めざましテレビ』 |
代表作品3 | TBS『みのもんたの朝ズバ!』 |
職種 | スポーツ |
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廣道純
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 05:54 UTC 版)
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男子 陸上 | ||
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夏季パラリンピック | ||
銀 | 2000 | 男子 800m |
銅 | 2004 | 男子 800m |
廣道 純(ひろみち じゅん、1973年12月21日[1] - )は、大阪府堺市出身のプロ車いすアスリート。
シドニーパラリンピックの800mで銀メダル、アテネパラリンピックの800mで銅メダルを獲得した。
また、2つの部門で日本記録を保持している。
- 400m:50秒21 (2010年大分陸上)
- 800m:1分36秒85(2010年 スイスチャンピオンシップ)
略歴
高校1年の時、不良行為の果てにバイクに乗って事故を起こし、脊髄損傷により車椅子生活となる。病院のリハビリ担当者から車いすスポーツのことを聞いたのがきっかけで退院後、即車椅子レースの世界へ。1994年、当時の車いすマラソン世界記録保持者ジム・クナープの元へ弟子入りを志願。彼の元でホームステイし、レース前のメンタルトレーニングや勝ち方、練習方法など多くのことを学び、アスリートとしての素質を開花させる。
1994年ボストンマラソンを皮切りに世界各国のレースに出場。1996年大分国際車いすマラソンでは、日本人初の総合2位を果たす。2000年シドニーパラリンピック800mで銀メダル、 04年3月には日本人初のプロ車いすアスリートとして独立。 その年に行われたアテネパラリンピック800mで銅メダルを獲得。2008年北京パラリンピックは大会前までの世界記録を上回る記録で8位入賞。ロンドンパラリンピック800mでは6位入賞と、4大会連続入賞を達成。43歳で迎えるリオデジャネイロパラリンピックでは、3度目の表彰台を目指す。
プロのアスリートになってからは、年間25~30回のレースに出場する傍ら、テレビ・ラジオ出演、講演などもおこなっている。また、選手育成や車いすレース普及の為、大会運営にも取り組み、健常者マラソンと車いすレースの融合できる大会を目指して活動中。
著書
- どうせ、生きるなら(実業之日本社、2004年、ISBN 9784408395579)
出演番組
- 廣道純のNever GiveUP!!(OBSラジオ) - パーソナリティ
脚注
関連項目
外部リンク
- 廣道純公式サイト
- 廣道純の「これが車椅子陸上」
- 「これ以上、頑張れない」って 平気な顔で言うな(インタビュー記事)
- スポクリ(クリック募金で廣道純を応援)
- 株式会社RIGHTS.(マネジメント事務所)
- 廣道純のNever GiveUP!!
固有名詞の分類
- 廣道純のページへのリンク