廣通寺 (岐阜県白川町)とは? わかりやすく解説

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廣通寺 (岐阜県白川町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/18 10:00 UTC 版)

廣通寺 こうつうじ
所在地 岐阜県加茂郡白川町坂ノ東4806
位置 北緯35度36分38.7秒 東経137度10分17.3秒 / 北緯35.610750度 東経137.171472度 / 35.610750; 137.171472座標: 北緯35度36分38.7秒 東経137度10分17.3秒 / 北緯35.610750度 東経137.171472度 / 35.610750; 137.171472
山号 石城山
宗旨 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩
創建年 寛永2年(1695年
開山 傳室梵的
法人番号 5200005006595
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廣通寺(こうつうじ)は、岐阜県加茂郡白川町坂ノ東にある曹洞宗の寺院。山号は石城山。

歴史

寛永2年(1625年)、土岐郡日吉村平岩の開元院の十世で、洞雲寺を開山した傳室梵的が草庵を開創したとされるが、

慶安2年(1649年)、二世の輝雲相徳が、傳室梵的を草創開山として拝請した。

その後84年間は、平僧地[1]であったが、

天保3年(1832年)、大安萬休の代に法地となり、頑翁鐡涯を法地開山とした。

天保9年(1838年)11月19日、火災によって本堂と庫裏が焼失したため、七堂伽藍を再建し現在に至っている。

脚注

  1. ^ 江戸時代に用いられていた曹洞宗寺院の格式(寺格)の一で、最下位にある小院である。堂舎や庵などの小院を指し、嗣法をしていない男僧(平僧)や、嗣法資格を持たなかった尼僧などが住し、そのような者には、庵主などがそれに当たる。

関連リンク

参考文献

  • 『白川町誌』 第五章 宗教 第三編 生活と文化 五 元坂ノ東村 ▽石城山廣通寺 p888~p889 白川町誌編纂委員会 1968年



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