石塚祐輔とは? わかりやすく解説

石塚祐輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 07:52 UTC 版)

石塚 祐輔(いしつか ゆうすけ、1987年6月19日 - 、土浦三中→茨城県立土浦第三高等学校筑波大学)は、茨城県のスプリンター。ミズノ所属。

人物

中学時代は野球部に身を置いていたが、俊足をかわれて陸上の大会に参加していた。中3時の2002年にジュニアオリンピックの400mRの茨城県代表として3走を務め、チームの準優勝に貢献。中学時の100m自己ベストは11秒43、個人の実績は関東中学3位。

2003年、高校入学後は陸上部に所属。5月時点では高校の県大会でも入賞どまりであったが、7月に100mで10秒台、200mで21秒台に到達したのを皮切りに急成長。秋までにはそれぞれ10秒60(高1歴代6位)、21秒42(参考)、同年10月の国体で大会新(21秒39)で準優勝を果たすまでになった。このときの優勝者だった金丸祐三とは、以降に置いて大きな影響を及ぼし合うことになる。 以降、2004年のインターハイ2位、同年国体での6位入賞などの経験を重ね、2005年、インターハイ100mで自身初の全国制覇を果たす。同大会の200mでは金丸祐三と二強の一角を成すも劣勢を予想されていた。しかし、最終的には、金丸との高校生史上初の20秒台決戦を制し、100分の1秒差で優勝(20秒79、大会新記録)を果たした。茨城県勢としては都築政則、海老沢雅人に次ぐ3人目の快挙を成し遂げた。 同年の国体では3位であった。その後は地元の筑波大学に進学。  2006年、シーズン序盤は大学の実習中に足を捻挫して出遅れたが、7月の日本ジュニア選手権200メートル走で優勝して復活。世界ジュニア選手権代表入り。本戦では準決勝進出。また、この大会で彼は1600メートルリレー走の2走を務めたが、決勝で他選手と接触、バトンを落としてしまい涙を呑んだ。  2007年からはロングスプリントに本格参戦。日本選手権400mで第2位、世界陸上代表にも選ばれた。その世界陸上では予選で2走を務めた。  2008年日本選手権では3位入賞。2位までが北京五輪代表に選ばれたが、彼の代表入りはならなかった。

主要大会成績

  • 2003年
    • 国民体育大会

  少年B200m 第2位(21秒39、大会新記録)

  100m 第2位(10秒60)   200m 準決勝 3着(21秒64)

  少年A100m 第6位(10秒73)

  100m 第1位(10秒71)   200m 第1位(20秒79、大会新記録)、

  少年A100m 第3位(10秒51)

  200メートル走 第1位(21秒06)

  200m 準決勝 5着(21秒41)   1600mR(2走)第8位(3分16秒61)

  1600mR(2走)予選2組4着(3分02秒76)

  1600mR 出場

  成年400m 第1位(46秒01)

自己ベスト

  • 100m 10秒42 2005年
  • 200m 20秒79 2005年
  • 400m 45秒87 2013年

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