むなかたしこう 【棟方志功】
棟方志功
棟方志功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 22:52 UTC 版)
棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。従三位。最晩年には約半年間、棟方志昂と改名した。
注釈
- ^ 二番目の漢字は繝の異体字。糸偏に間と書く(Unicode U+26158)。
- ^ 肖像写真は土門拳、序文は水谷良一。水谷は当時の内閣統計局労働課長で、民藝運動の支援者としても知られた。
- ^ 谷崎とは古物商でのちに料理屋の「十二段家」(じゅうにだんや)を引き継いだ西垣光温(にしがき みつはる)の紹介で知遇を得た。
- ^ これは縦約三十五センチ、横十センチほどの扁額で、文字に緑青を用いたものだったが、のちに盗難に遭う[12]。
- ^ 高橋は当時の東横百貨店副社長。
- ^ 棟方志功の画文集。序文は保田與重郎、写真は濱谷浩と土門拳。
- ^ まち しゅんそう(1922-1995)書道家。飯島春敬(いいじま しゅんけい)に師事し、童謡や詩画とのコラボレーションなど、書道への新しい試みを行なった。門下に西垣内江春がいる。春草の著名な仕事には福岡県飯塚市の銘菓『ひよ子』の筆文字ロゴや、小説家の松本清張が「週刊新潮」に連載した『けものみち』の題字がある。
- ^ 斯界の人物に各々の自宅で茶会を開いてもらい、その模様を月刊誌「淡交」に連載発表する企画。会の趣向はすべて亭主に任され、茶道の伝統に捉われない意欲的な試みも披露されている。亭主は菊岡久利、棟方志功、岡本太郎、渋沢秀雄、六代目坂東蓑助、町春草[注 7]、北大路魯山人の七名に加え、毎回オブザーバーとして淡交社の社員である臼井史朗が参加した。棟方と千哉子夫人の茶名はそれぞれ宗航、宗知と号した[15][16]。
- ^ はまや すんせつ。写真家濱谷浩の夫人、濱谷朝(はまや あさ)のこと。著作家、茶人としても知られた。
- ^ 当日の主客・連客は西村伊作、ワルワーラ・ブブノワ、檀一雄、草野心平、宮尾しげを、水沢澄夫夫妻、濱谷寸雪[注 9]の八名。
- ^ 五輪比翼塚を指す。
- ^ 一月は松と鷹、二月は梅に鶯、三月は桜に雲霞・かげろう、四月はリラとあやめ、五月は鯉と朝顔、六月は躑躅、七月は菩提樹と孔雀、八月は葦と蓮華、九月は萩と菊、十月は楓と兎、十一月は侘助と鴛鴦、十二月は雪と五輪塔[注 11][17]。
- ^ 江戸川乱歩が自選した十一篇の短篇小説に棟方が板画をつけたもの。収録作品は二銭銅貨/二廃人/D坂の殺人事件/心理試験/赤い部屋/屋根裏の散歩者/人間椅子/鏡地獄/芋虫/押絵と旅する男/石榴。
- ^ a b 現在、当該記事は二玄社刊『対談集 岡本太郎 発言!』や河出書房新社刊『文芸の本棚 魯山人・味・陶・書・花・人…業深く崇高な芸術家』所収。ほぼ同時期に谷崎潤一郎と行なった対談で、棟方は魯山人の扁額と篆刻を称揚している[12]。
- ^ a b ほっきょうい。僧侶に与えられる位階のひとつで、法橋上人位(ほっきょうしょうにんい)の略称。法眼位(ほうげんい)の次に位置する。
- ^ アメリカ合衆国の戯曲家、フランク・D・ギルロイ (en) による作品。本国では1964年に上演されるや大きな成功を収め、彼はこの作品でピューリッツァー賞とトニー賞を受賞した。
- ^ 1966年7月から1967年10月まで連載された、草柳大蔵と土門拳の取材による斯界の著名人列伝。棟方自身も1967年9月に当該記事にて紹介された[16]。
- ^ この音楽会で、棟方はベートーヴェンの弦楽四重奏曲を鑑賞した。いたく感動した棟方はこの時に坐った椅子をベートーベン・チェアーと呼んだ[23][24]。
- ^ a b 棟方が1969年に制作した『炫火頌板画柵屏風』をきっかけとして、保田の短歌五十首を板画にする計画が立てられたが、棟方の死去により中絶、その後遺族や棟方志功板画館の尽力により三十二首分の板画がまとめられて刊行された。
- ^ 廻しにはプラチナと純金、墨で無限をあらわす∞が丸で囲われ、四隅にサンスクリットで東・西・南・北が書かれている。棟方によれば、この四文字は仏教の四天王と霊獣の四神を示しているという[29]。棟方は栃若時代からの相撲好きであり、贔屓は貴ノ花と輪島だった。とくに輪島との交流は篤く、輪島は棟方が入院したときに自分の四股名入りの浴衣地を贈り、葬儀の際には納棺を行なっている[30]。
- ^ a b 『称舞多運行連々繪巻』とも表記される肉筆画で、1973年(昭和48年)のねぶたが終了した頃から構想を練り始め、翌年1月2日から三週間かけて描き上げられた[31]。これは二巻組の絵巻仕立てになっており、大きさは縦幅が34.3センチ、長さが二巻合わせて1,721センチである。絵巻物としては珍しく左から右へ描かれており、棟方による自賛や自画像、多数の落款を含む原色燦やかな作品となっている。
- ^ a b もともとは安川電機製作所のカレンダーとして企画されたが、棟方家と棟方板画館(鎌倉市)の厚意により棟方の歿後である1976年に出版された。
- ^ 1974年7月4日に改名し、同年12月12日に元の名前に戻している[32]。
- ^ この春に制作の依頼を受けた棟方が、7月7日に制作した板画『大観自在頌の柵』(たいかんじざいしょうのさく)をもとに龍村美術織物が緞帳を製作し、翌年の5月1日に設置されたが、棟方は療養中でこけら落としに立ち会えなかった[33][34]。
- ^ 墓石の大きさはゴッホの墓よりやや大きく、石材はゴッホのものと同じノルウェー産のラルビカイトが使われている[36]。
- ^ 実際は静眠碑の碑の部分に王偏に卑とする漢字が使われているが、これは棟方が独自に考案したものである[37]。
- ^ 入院中の棟方はさかんに達磨の倭画を描いた。棟方はそのなかで翌年3月7日に描いた、『呵々大笑図』(かかおおわらいず)を臨終まで自らの枕頭に掲げていた。草野心平によると、この達磨は棟方の自画像であり、棟方の生涯は火達磨が転げながら燃え尽きるような凄烈なものだったと書いている[40]。
- ^ 瞞着川(だましがわ)の名称は、この川の河童伝説を聞いた棟方が名付けたもので、現在川沿いには十三柵の作品パネルが設置された緑道がある[41]。
- ^ 七番目の漢字は海の異体字で、毎の下に水と書く(Unicode 23D34)。
- ^ 公的な記録によると、1960年の秋にはほぼ失明したとしている[47]。
- ^ 棟方によると、よく切れない刃物のほうが心のこもった作品ができるとし、刃が折れやすいため怪我もしにくいという[50]。
- ^ その縁で、ねぶた師の竹浪比呂央は2003年の青森ねぶたで棟方志功の生誕百周年を記念し、棟方の倭画『赫不動・青不動』(あかふどう・あおふどう)を題材とした大型ねぶたを制作し[55]、書割で棟方志功の顔をイメージした、眼鏡をかけた金魚ねぶたも制作した[32]。
- ^ 「真昼の柵」、「夕宵の柵」、「深夜の柵」、「黎明の柵」からなり、画面にはニーチェの『ツァラトゥストラ』からの文章が刻まれている。
- ^ ドイツ・シャルプラッテン(Eterna)1959年ステレオ録音。声楽家はインゲボルク・ヴェングロール(ソプラノ)、ウルズラ・ツォレンコップ(en、アルト)、ハンス=ヨアヒム・ロッチュ(テノール)、テオ・アダム(バリトン)、ライプツィヒ放送合唱団 (de)。
- ^ 相違点として、普賢の顔は以前は少し下向きだったが、改刻後は右上を向いていることが挙げられる。また、改刻前は全体の輪郭線の太さや勢いは十大弟子と同様だが、改刻後は衣の模様が大まかになり、顔がやや女性的になるなど全体的に柔和な印象となる。
- ^ 同美術館は、改刻前の二菩薩像も二曲一隻の形で所蔵している[65]。
- ^ 平櫛田中旧蔵品で、平櫛の文化勲章受章を記念して棟方が贈ったもの[67]。
- ^ この緞帳は棟方の倭画『御鷹揚ゲノ妃々達』を原画として制作された。布地は西陣爪掻本綴織製で、紡織は川島織物が手がけた。大きさは縦幅八メートル、横幅十六メートルあり、二百七十二色の糸が使われている。緞帳は原画と色合いが異なっている部分があるが、棟方自身が緞帳の配色と色指定を行なっている[45]。
- ^ 「坤」が1963年、「乾」が1969年に制作された。同じ版木の両面に彫られており[68]、大きさはそれぞれ縦幅が175.4センチ、横幅が1,284センチあり、二柵を合わせると全幅二十七メートルに及ぶ。
- ^ うみやまのさく、1958年作。『海の柵』と『山の柵』からなる八曲一双の板画屏風。「乾坤なる父母上に捧げる」という副題がついている[69]。
出典
- ^ 土方明司「川上澄生「初夏の風」 - 詩魂の画家十選1」『日経新聞』2015年2月16日付朝刊。
- ^ 棟方志功生誕120年の企画展始まる 青森市の県立美術館
- ^ 『板極道』(中公文庫)p.25
- ^ ふるさとの写真を読む (8) 青森市 《なみおか今・昔》2023年9月27日閲覧。
- ^ 棟方志功略歴 棟方志功記念館HP(2023年9月18日閲覧。)
- ^ a b 青森地方・家庭裁判所
- ^ a b c d e f g h 東文研アーカイヴ 棟方志功東京文化財研究所(2023年9月10日閲覧。)
- ^ a b c d NHK特別番組『板画まんだら 棟方志功の世界』1970年放送
- ^ 『板極道』(中公文庫)p.39
- ^ a b c d 大和し美し 棟方志功と大和町旧中野町公式チャンネル(Youtube)2015年10月1日公開
- ^ a b c d e 講演『棟方志功の杉並時代とブックデザイン』杉並区公式チャンネル (Youtube) 2021年12月15日公開。
- ^ a b 初出「板画の道」(1957年5月、中央公論 文藝特集)『谷崎潤一郎対談集【文藝編】』中央公論新社、p.555.
- ^ 岡本かの子著『観音経を語る』所収。
- ^ 『板極道』(中公文庫)p.147.
- ^ 『昭和30年おもしろ実験茶会』臼井史朗編 淡交社、1992年 pp.33-58.
- ^ a b c d 『太陽』1967年10月号「日本名匠伝」pp.77-85.
- ^ 『別冊太陽 棟方志功 日本のこころ7』平凡社、1974年 p.41.
- ^ a b c ニューヨークとピカソ掛谷清子「美術情報2017-2020」
- ^ 『別冊太陽 棟方志功 - 仏も鬼も人も花も愛おしい 日本のこころ310』平凡社、2023年 p.65.
- ^ 各施設案内 -本山施設東本願寺HP
- ^ 毎日ニュース 『新版・東海道五十三次』(1963年5月劇場公開)Youtube
- ^ a b “歴史-倉敷国際ホテルと棟方志功- 倉敷国際ホテル【公式】”. www.kurashiki-kokusai-hotel.co.jp. 2018年6月21日閲覧。
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.24.
- ^ a b 棟方志功展 府中市美術館 2023年9月18日閲覧。
- ^ “名誉市民”. 青森市. 2022年7月26日閲覧。
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.108.
- ^ 河井寛次郎記念館HP
- ^ 『別冊太陽 棟方志功 - 仏も鬼も人も花も愛おしい 日本のこころ310』平凡社、2023年 p.47.
- ^ 『別冊太陽 棟方志功 日本のこころ7』平凡社、1974年 pp.89.
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.83.
- ^ 『別冊太陽 棟方志功 日本のこころ7』平凡社、1974年 p.92.
- ^ a b c 8月2日はやっぱりねぶた!【解説】倭画《禰舞多運行連々絵巻》棟方志功記念館 2021年8月2日公開(Youtube)
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)pp.14-15.
- ^ 八戸市公会堂 フォトギャラリー
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)pp.48-52, 102-103.
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.132.
- ^ a b (“棟方志功のお墓”. 青森タクシー. 2015年2月18日閲覧。)
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.69, p.98.
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.29.
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.7.
- ^ a b 旅々なんと 瞞着川南砺市観光協会(2023年9月10日閲覧。)
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)pp.33-40..
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)28頁
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)p.132.
- ^ a b 弘前市HP「大ホール緞帳解説」2023年9月7日閲覧。
- ^ 町田市立国際版画美術館 - 2013年度常設展『棟方志功と西洋民衆版画』2023年9月3日閲覧
- ^ 『板画・奥の細道』講談社文庫、1976年 p.94.
- ^ a b 平成15年第8回文化学術講演会『棟方志功の真実 - 祖父棟方志功を語る』棟方版画美術館学芸員 石井頼子. 2023年9月3日閲覧
- ^ 『棟方志功作品集 手のひらのなかの神羅万象』(東京美術)p.139.
- ^ 初出「板画の道」(1957年5月、中央公論 文藝特集)『谷崎潤一郎対談集【文藝編】』中央公論新社、p.557.
- ^ 研綱銘 刃物フルカワHP(2023年9月14日閲覧。)
- ^ 初出「板画の道」(1957年5月、中央公論 文藝特集)『谷崎潤一郎対談集【文藝編】』中央公論新社、p.561.
- ^ 『板極道』(中公文庫)pp.97-100.
- ^ 『板極道』(中公文庫)p.26.
- ^ 「志功画伯に捧ぐ赫不動・青不動」《日本の火祭り青森ねぶた》よりアーカイヴ(2023年9月8日閲覧。)
- ^ 濱田益水『写真 棟方志功』講談社、1972年
- ^ 『別冊太陽 棟方志功 日本のこころ7』平凡社、1974年 pp.95-100.
- ^ 曹洞宗大本山總持寺特別展「禅と心のかたち―總持寺の至宝―」実行委員会企画・編集 『開祖瑩山紹瑾禅師七〇〇回 二祖峨山韶碩禅師六五〇回遠忌記念 禅と心のかたち―總持寺の至宝―』 NHKプロモーション、2016年4月1日、pp.36-37。
- ^ 『「富山県美術館開館記念展 Part1 生命と美の物語 LIFE —楽園をもとめて」作品展示リスト』富山県美術館発行
- ^ 『千葉市美術館 所蔵作品 100選』 千葉市美術館編集・発行、2015年4月10日、pp.62-63。
- ^ 学研 G-ART PROJECT編集 『はじまり、美の饗宴 すばらしき大原美術館コレクション』 NHKプロモーション、2016年2月16日、pp.123-125、ISBN 978-4-05-406400-3。
- ^ 萬鉄五郎記念美術館、平塚市美術館 制作・編発行 『《萬鉄五郎生誕一三〇年 棟方志功没後四〇年記念企画展覧会》 棟方志功萬鉄五郎に首ったけ』 2015年8月、pp.86-89,94。
- ^ 小勝禮子 鈴木さとみ 志田康宏編集 『「戦後70年:もうひとつの1940年代美術―戦争から、復興・再生へ 美術家たちは何を考え、何を描いたか」展』 栃木県立美術館、2015年、図24。
- ^ 独立行政法人国立美術館・所蔵作品検索 釈迦十大弟子
- ^ a b パラミタミュージアム編集・発行 『新収蔵記念 棟方志功展 ―京都山口邸の肉筆装飾画―』 2010年9月2日、図40.41。
- ^ 棟方志功作品紹介 柏市役所
- ^ 井原市立田中美術館編集・発行 『棟方志功 ―平櫛田中を「先醒」と呼んだ板画家』 2016年9月16日、第92図。
- ^ 『グッドバイ棟方志功』(講談社)pp.172-173.
- ^ 『別冊太陽 棟方志功 - 仏も鬼も人も花も愛おしい 日本のこころ310』平凡社、2023年 p.72.
- ^ 弘前銘醸株式会社HP
- ^ "棟方志功 板の生命を活かす". NHK. 2023年10月8日. 2023年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月7日閲覧。
- ^ “志功生誕120年で記念巡回展/青森県立美術館”. 東奥日報. 2022年6月29日閲覧。
- ^ “棟方志功記念館(青森)が来年度閉館”. 東奥日報. 2022年6月19日閲覧。
- ^ “小さくても偉大な美術館(津山市東一宮 M&Y記念館) | 岡山県北の生活情報 アットタウンWEBマガジン”. 2020年8月14日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “棟方志功記念館で最後の企画展始まる 来年3月の閉館前に|NHK 青森県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2024年1月8日閲覧。
棟方志功と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 棟方志功のページへのリンク