金森穣とは? わかりやすく解説

金森穣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/02 03:47 UTC 版)

金森 穣(かなもり じょう、Jo Kanamori, 1974年11月22日- )は、日本の舞踊家、演出・振付家。ダンサーコリオグラファー戦国大名金森長近流の左京家とは無関係。

経歴

神奈川県横浜市生まれ。幼少よりダンサーである父・金森勢に学ぶ。生家がダンス・スタジオであるという環境で育ち、牧阿佐美バレヱ団に入団。1992年渡欧。ルードラ・ベジャール・ローザンヌ(モーリス・ベジャールが主宰するスイスローザンヌのダンス学校)に所属し、ベジャールに師事。1994年オランダハーグネザーランド・ダンス・シアター(NDT)でダンサーとして活躍。1997年フランスの国立リヨン・オペラ座バレエ団。1999年スウェーデンヨーテボリ・バレエ団に移籍、振付を任されるなど重要な地位にあった。

帰国後、フリーランスのダンサーとして日本国内にて活動。2004年新潟市民芸術文化会館の舞踊部門芸術監督に就任。同年、日本初の劇場専属プロフェッショナル・ダンスカンパニー「Noism」を発足。現在、新潟県新潟市の新潟市民芸術文化会館を拠点に活動している。

2007年7月21日にダンサー井関佐和子(Noism1)と入籍。

2008年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

2009年夏、夫婦でunit-Cyan(ユニットシアン)という活動を開始。

2018年度毎日芸術賞を受賞。2021年、紫綬褒章受章[1][2]

2025年、第42回橘秋子賞を受賞[3]

その他

ドキュメンタリー

  • BSNスペシャル「芸術の価値 舞踊家金森穣 16年の戦い」(2021年1月20日、新潟放送[4]

脚注

出典

  1. ^ 『官報』号外第99号、令和3年4月30日
  2. ^ 令和3年春の褒章 受章者 新潟県” (PDF). 内閣府. p. 1 (2021年4月29日). 2023年5月5日閲覧。
  3. ^ 第42回橘秋子賞は金森穣、第2回牧阿佐美賞に福岡雄大”. ステージナタリー. ナターシャ (2025年4月2日). 2025年4月2日閲覧。
  4. ^ 文化庁芸術祭賞大賞 BSNスペシャル「芸術の価値 舞踊家金森穣 16年の戦い」”. 新潟放送 (2021年1月20日). 2021年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月27日閲覧。

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