みしま‐ゆきお〔‐ゆきを〕【三島由紀夫】
三島 由紀夫 (みしま ゆきお)
1925〜1970 (大正14年〜昭和45年) |
【小説家】 世界中に著作が翻訳されている戦後文学の代表的作家。市ヶ谷自衛隊で割腹自殺。 |
昭和期の小説家・劇作家。東京都出身。東大卒。学習院時代、16歳で「文芸文化」に「花ざかりの森」を発表するなど、早熟な才能を著わし、東大在学中には文壇に入った。卒業後勤めた大蔵省を9ヶ月で退職し、本格的な作家生活を開始。1949年(昭和24)「仮面の告白」で注目を集め、「禁色」「金閣寺」「サド侯爵夫人」など華麗で絢爛たる三島文学を築いた。「楯の会」を組織するなど軍国主義的な行動も示し、70年「豊穣の海」を書き上げたその日に、自衛隊市ヶ谷駐屯地に赴き決起を訴えた後、割腹自殺。 |
年(和暦) | ||
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 | 3才 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 | 7才 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 | 11才 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 | 16才 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 | 20才 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 | 21才 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 | 26才 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 | 28才 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 | 31才 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 | 35才 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 | 35才 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック | 39才 |
●1968年 (昭和43年) | ■GNP世界第2位に | 43才 |
●1970年 (昭和45年) | ■大阪で万国博覧会 | 45才 |
三島由紀夫
三島由紀夫(みしま ゆきお)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 09:23 UTC 版)
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三島由紀夫
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1959年(昭和34年)、雑誌『婦人公論』1月号の別冊付録として掲載され、同年6月25日に中央公論社より単行本刊行された。 三島の『文章読本』の特徴は、「素人文学隆盛」の風潮で誰でも作家になれる形式の安易な文章入門書が跋扈していることに反対し、本物の作家にしか書けない「観賞的文章」を解説することで、レクトゥール(普通読者。小説を娯楽で読む者)であった人を、作家としての必要条件であるリズール(精読者。小説の世界を実在のものとして生きて深く味わう者)へと導くことを主眼においている。 具体的な解説項目は第二章から第八章に分かれ、日本語の特質や、散文と韻文の違い、短編小説と長編小説の文体、評論や戯曲の文章、翻訳の文章の特色などが紹介され、それぞれを鑑賞する際の注意などが具体的に書かれ、最後に「質疑応答」が付されている。特に三島らしい点は、文章の「格調と気品」を重んじているところである。 約60名の日本人作家と約50名の外国人作家の文章について解説し、珍しいところでは山下清の文章にまでコメントは及ぶ。文中にて特に多く言及された作家としては、森鷗外(21ページ)、谷崎潤一郎(19ページ)、志賀直哉(11ページ)、プルースト(11ページ)、コクトー(7ページ)、ドストエフスキー(6ページ)、ゲーテ(6ページ)、ラディゲ(5ページ)などが挙げられる。(括弧内は現れるページの総数)
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