松平頼多とは? わかりやすく解説

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松平頼多

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/08 22:07 UTC 版)

 
松平 頼多
時代 江戸時代中期
生誕 享保7年12月15日1723年1月21日
死没 明和3年11月20日1766年12月21日
戒名 慧高院殿通誉快安智洞大居士
墓所 茨城県常陸太田市瑞龍山
官位 従五位下大炊頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
常陸宍戸藩
氏族 水戸徳川家支流宍戸松平家
父母 父:松平頼慶、母:実相院
正室:美津
源之助、頼洽美奈、喜多
養子:頼救
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松平 頼多(まつだいら よりな[1])は、江戸時代中期の大名常陸国宍戸藩4代藩主。官位従五位下大炊頭

略歴

3代藩主・松平頼慶の長男。母は浦上正勝の娘実相院。

寛保2年(1742年)、父の死去により跡を継ぐ。明和3年(1766年)11月20日に45歳で死去。長男源之助と次男頼洽が早世していたため、婿養子・頼救が跡を継いだ。法号は慧高院殿通誉快安智洞大居士。墓所は茨城県常陸太田市瑞龍山

系譜

脚注

  1. ^ 小谷清治 1990, p. 289.

参考文献




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