松平頼平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2019年10月)
( |
松平 頼平(まつだいら よりひら、安政5年8月15日(1858年9月21日) - 1929年(昭和4年)12月16日)は、日本の華族(子爵)。常陸宍戸藩主松平頼位の三男で、旧陸奥守山藩主家当主松平喜徳の養子となった。幼名は鏸麻呂、初名は頼鏸。子に頼栄、秋雄、道(内藤政光夫人)、樋口行雄、森田静雄。
1884年(明治17年)6月、華族を対象とした陸軍予備士官学校に入学する。1885年(明治18年)9月、松平喜徳の養子となった。1891年(明治24年)6月、養父喜徳の死去により、家督を相続する。1894年(明治27年)3月28日に頼平と改名した[1]。宮内省御用掛を務めた。1929年、72歳で没した。時代考証や刀剣鑑定に対して深い知識を持っていた。没後は次男の秋雄が家督を継いだ。
栄典
脚注
参考文献
![]() |
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
|
- 日本人名大辞典(講談社刊)
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代: 松平喜徳 |
子爵 (守山)松平家第2代 1891年 - 1929年 |
次代: 松平秋雄 |
- 松平頼平のページへのリンク