松平頼寿
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松平 頼寿(まつだいら よりなが、旧字体:松󠄁平󠄁 賴壽、明治7年(1874年)12月10日 - 昭和19年(1944年)9月13日[1])は、明治から昭和にかけての華族(伯爵)。旧高松藩主松平頼聰の八男。母は正妻千代子(井伊直弼次女)。妻は徳川昭武(旧水戸藩主)の娘昭子。第10・11代貴族院議長、第8・10代大東文化学院総長などを歴任した。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』29-30頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、17頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
- ^ 『官報』第7899号「叙任及辞令」1909年10月21日。
- ^ 『官報』第5304号「叙任及辞令」1944年09月16日。
- ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『官報』第5304号「叙任及辞令」1944年9月16日。
- ^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。
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