小畑美稲とは? わかりやすく解説

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小畑美稲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 20:30 UTC 版)

小畑美稲

小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日文政12年9月25日) - 1912年11月12日)は、幕末から明治武士土佐藩士)、裁判官政治家元老院議官貴族院議員錦鶏間祗候正二位男爵。幼名・孫二郎または孫次郎。

経歴

土佐藩士・小畑美穂の長男として生まれる。奥宮慥斎から陽明学を学ぶ。土佐勤王党に加わり尊王攘夷運動を推進。文久3年(1863年)、土佐勤王党の獄により入獄した。

明治維新後に赦免され新政府に出仕。明治2年7月1869年)、弾正大巡察に就任。以後、弾正権少忠、司法解部、司法少判事を歴任。

明治5年8月1872年)、茨城裁判所長に就任。以後、大阪裁判所長、長崎上等裁判所判事、京都裁判所長、大阪上等裁判所長心得、名古屋控訴裁判所長、宮城控訴裁判所長などを務めた。

1884年12月、元老院議官に就任。1890年9月29日、貴族院勅選議員に任じられ[1]、死去するまで在任。同年10月20日、錦鶏間祗候となる[2]1893年4月、香川県知事に就任し、1895年11月まで務めた。1896年6月5日、男爵を叙爵された[3]1906年4月1日、勲一等瑞宝章を受章。墓所は青山霊園(1イ-20-19)。

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

出典

  1. ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
  2. ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
  3. ^ 『官報』第3880号、明治29年6月6日。
  4. ^ 『太政官日誌』 明治7年 第1-63号 コマ番号110
  5. ^ 『官報』第479号「賞勲叙任」1885年2月7日。
  6. ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
  7. ^ 『官報』第527号「賞勲叙任」1885年4月8日。
  8. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
  9. ^ 『官報』第3753号「叙任及辞令」1896年1月4日。
  10. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。

参考文献

公職
先代
中島錫胤
宮城控訴裁判所
1883年 - 1884年
次代
牟田口通照
先代
(新設)
名古屋控訴裁判所
1881年 - 1883年
次代
中島錫胤
先代
尾崎忠治
所長
大阪上等裁判所長心得
1877年 - 1881年
次代
清岡公張
大阪控訴裁判所長
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
小畑(美稲)家初代
1896年 - 1912年
次代
小畑大太郎


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