中村貫一とは? わかりやすく解説

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中村貫一

俳人明治19年(1886)長野県生。号は白民一茶研究により作句志し京鹿子同人となる。「一茶主宰著者に『一茶俤集』がある。

中村貫一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/27 13:27 UTC 版)

中村 貫一(なかむら かんいち、1843年12月9日(天保14年10月18日)- 1880年明治13年)7月9日[1])は、幕末土佐藩士明治期の内務官僚。名・好正[1]

経歴

土佐国高知城下中島町で土佐藩士・中村美正の息子として生まれる[1]。土佐藩の大監察を務めた[2]

明治4年7月14日1871年8月29日)の廃藩置県後、高知県権参事に就任[2][3]。同年10月、第一次香川県が設置され、明治5年10月17日1872年11月17日)、同県参事となり同年11月28日(12月28日)まで在任[4]

1873年(明治6年)に後藤象二郎らの蓬莱社に加わるが翌年に退社[1][2]1874年(明治7年)立志社の商局長となる[1][3]1877年(明治10年)西南戦争の際、イギリスからの銃器購入を企て、同年5月1日に大阪で捕縛され、1878年(明治11年)8月20日、禁獄三年の刑を受け、青森監獄収監中に病死した[1][3]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『幕末維新大人名事典』下巻、209頁。
  2. ^ a b c 「国事犯中村貫一口供」
  3. ^ a b c 『明治過去帳』137頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』98頁。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』下巻、新人物往来社、2010年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 太政官「国事犯中村貫一口供」明治11年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-010-00・公02357100




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