ごとう‐しょうじろう〔‐シヤウジラウ〕【後藤象二郎】
後藤象二郎 ごとう しょうじろう
高知生まれ。政治家、民権家。高知藩士。山内豊信に登用され、藩政の実権を握る。坂本竜馬の公議政体論に賛同し、徳川慶喜に大政奉還を説いた。維新後は新政府内で要職につくが、明治6年(1873)征韓論問題で参議を辞任。板垣退助らと民撰議院設立建白書を提出。自由党の結成に加わり、20年(1887)に大同団結運動を展開。22年(1889)黒田内閣の逓信相となる。その後第1次山県、第1次松方各内閣に留任。第2次伊藤内閣では農商務相に就任した。
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後藤象二郎
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 13:34 UTC 版)
土佐藩士。吉田東洋の縁者。竜馬の船中八策を受け入れ、山内容堂に大政奉還を進言する。
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