後藤福基
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/08 15:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動後藤 福基(ごとう とみもと、生没年不詳)は、江戸時代初期の土佐藩士(母衣・禄500石)、通称は左京。家紋は「丸に一つ菱」。後藤久基の子。後藤象二郎の10代前の先祖[1]にあたる。
来歴
後藤家の祖は、藤原北家利仁流の美作後藤氏である。後藤家は南北朝時代から戦国時代にかけての200年間、美作国の三星城を居城としたが、天正7年(1579年)5月に落城した。
慶長6年(1601年)、土佐藩主山内一豊が土佐から上洛する途中の大坂で、嫡子後藤助右衛門と共に召抱えられた。福基は禄500石を与えられて御使母衣(従六位相当)に列した。某年月日死去。
嫡子の助左衛門が一家として取り立てられていたため、福基の跡は次男の之基が継いだ。
家族
- 後藤助右衛門
- 後藤十兵衛之基
補注
- ^ 『御侍中先祖書系圖牒』 後藤福基、後藤助右衛門 各頁参照。
参考文献
|
|
|
- 後藤福基のページへのリンク