やまうち‐かずとよ【山内一豊】
読み方:やまうちかずとよ
[1546〜1605]安土桃山時代の武将。尾張の人。織田信長・豊臣秀吉に仕えたが、関ヶ原の戦いで徳川家康につき、土佐20万石に封ぜられた。信長の馬揃えの際、妻が貯えの金で名馬を買わせたという内助の功の逸話がある。やまのうちかずとよ。
やまのうち‐かずとよ【山内一豊】
読み方:やまのうちかずとよ
山内一豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 07:29 UTC 版)
山内 一豊(やまうち かずとよ/かつとよ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。土佐山内氏、土佐藩初代藩主。家紋は三つ柏紋。
注釈
- ^ a b 山本 2005, p. 34.
- ^ 山本 2005, p. 288.
- ^ a b 桑田 1971, p.108
- ^ 山本 2005, p. 56.
- ^ a b 宮本義己「天下人から見た山内一豊」(『別冊歴史読本』30巻20号、2005年)
- ^ 山本 2005, p. 239.
- ^ 山本 2005, p. 240.
- ^ 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」『駒沢史学』49号、1996年。
- ^ 山本 2005, p. 197.
- ^ 山本 2005, p. 198.
- ^ 山本 2005, pp. 290–291.
- ^ 小和田哲男; 榛村純一 編『山内一豊と千代夫人にみる戦国武将夫妻のパートナーシップ』清文社、2000年5月10日。ISBN 978-4433272500。
- ^ 「千代」または「まつ」、若宮友興の娘、または遠藤盛数の娘とも。
- ^ 法秀院とする説もある。尾張の土豪・梶原氏の娘か。
- ^ 「千代」または「おまつ(まつ)」の名で有名だが、実名かどうかは定かでない。若宮友興の娘とも遠藤盛数の娘ともいわれる。
- ^ 2006年(平成18年)の大河ドラマ『功名が辻』では、「かつとよ」「かずとよ」いずれの読みとするか製作サイドでも最後まで問題となったが、山内家より「親しまれている名前で呼んでやってください」とのメッセージもあり、ドラマでは「やまうちかずとよ」と読むことになった。
- ^ 1919年(大正8年)、岩倉の神明生田神社の遷座式で棟札が発見され、それが一豊がその地で誕生した有力な資料となり、山内家が史家沼田頼輔に調査を行わせた結果、同神社のある地を一豊誕生の地と認めて碑を建てた(神明生田神社の岩倉市教育委員会による説明板による)。
- ^ 黒田城跡の一宮市立黒田小学校にも、生誕の石碑がある
- ^ この時期の一豊に関する史料がなく、仕官した時期の確定は難しい。
- ^ 『一豊公御武功附御伝記』によるものだが、勘右衛門の死は元亀元年という説も。
- ^ 例、本山氏・谷氏・吉田氏・武市氏・宮地氏・森氏など。
- ^ 野中玄蕃・市川大炊・柏原長宅(半右衛門)・乾宣光(七郎左衛門)・乾和三(猪助)
- ^ 築城奉行は、関ヶ原の戦いの後に浪人となった百々綱家を7000石で招聘して任じ、慶長8年(1603年)に完成した。
- ^ 遺骨があるのは日輪山真如寺の墓所、妙心寺大通院には位牌のみ。
山内一豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
織田家家臣。「馬揃え」の儀式に向けて立派な馬を用意しようとするが、千代が盗んだ信長の愛馬(だということを知らずに)で行進した。単行本9巻刊行現在、1巻以降出番が無い。
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山内一豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:41 UTC 版)
遠江国掛川の大名。元は織田家の平侍で、とりたてて才覚があったわけではないが地道に戦働きをして立身を重ね、秀吉の政権下で小身ながらも大名となる。秀吉はその実直で篤実な働きぶりを評価し、東海道筋に信頼の置ける大名を配置する戦略の一環として一豊に掛川城を与え、関東の家康への対抗勢力として抜擢した。しかし秀吉の死後、豊臣家の前途を見限って家康に随従して家運を開くことを考えるようになる。
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山内一豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:55 UTC 版)
千代と並ぶこの物語の主人公。元々山内家は岩倉織田氏の家老職にあったが、信長の岩倉城攻めで父を失い牢人の末、敵である信長に仕え秀吉に目を掛けられる。篤実で大言壮語ができない性分で、千代や家臣に助けられ、近江長浜城主から掛川の城主、そして土佐の国主となる。
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