見性院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/06 06:17 UTC 版)
見性院(けんしょういん)は院号。人物に与えられた院号と寺院の名称としての院号とがある。
人物
- 見性院 (穴山梅雪正室) (1545年 – 1622年) - 武田信玄の次女で、穴山信君(梅雪)の正室。本名不詳。
- 見性院 (山内一豊室) (1557年 – 1617年) - 山内一豊の正室。名は千代、まつ、などの説がある。
寺院
- 万吉山見性院 (熊谷市) – 天正年間(1573年 – 1592年)に、峰山和尚により開山された曹洞宗の寺院。埼玉県熊谷市万吉にある。山号は万吉山(萬吉山)[1]。
- 愚菴見性院 - 京都府京都市上京区堀川町にある浄土宗の寺院。
- 見性院 - 開基津田秀則が妙心寺73世水庵宗掬を開山として慶長3年(1598年)に建立した京都妙心寺の塔頭。桂春院を参照。
脚注
関連項目
見性院
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詳細は「見性院 (山内一豊室)」を参照 一豊の妻である見性院(千代、まつ)は夫を「内助の功」で助けた賢妻とされており、嫁入りの持参金(貧しいながらも貯めたへそくりとの説もある)で名馬(鏡栗毛)を買った。この逸話は特に第二次世界大戦以前の日本において教科書に採り上げられ、女性のあるべき姿として学校教育に用いられた。真偽のほどは定かではないが、千代紙の由来になった人物としても知られている。 山内一豊と千代 婚礼の地の碑岐阜公園(岐阜市) 「今古誠画 浮世画類考之内 天正三年之頃(山内一豊)」 大判二枚続 小林清親画 明治18年(1885年) 一豊に名馬を買わせるため持参金を渡す妻 山内一豊と妻の像(岐阜県郡上市八幡町柳町一の平)
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