若宮友興とは? わかりやすく解説

若宮友興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/01 02:48 UTC 版)

若宮 友興(わかみや ともおき、生年不明 - 永禄9年(1566年)頃?)は、戦国時代武将浅井氏の家臣。通称は喜助

詳細の明らかな武将ではない。妻は明智氏家臣・石川小四郎の娘とされる。

永禄9年(1566年)、友興と同一人物と考えられている若宮左馬助が討死し、その娘・まつに対して安堵状が出されている。通説では、この「まつ」が山内一豊の室・見性院(千代)の幼名とされてきたが、近年の研究で「まつ」は山内氏家臣・五藤為重に嫁いだ事が判明し、見性院も美濃斎藤氏家臣の遠藤盛数の娘とする説が有力である。

なお、友興は永禄3年(1560年)8月野良田の戦いで戦死したともいわれ、司馬遼太郎の小説『功名が辻』はこの説に準じている。

関連作品





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「若宮友興」の関連用語

若宮友興のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



若宮友興のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの若宮友興 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS