織田信雄とは? わかりやすく解説

おだ‐のぶかつ【織田信雄】

読み方:おだのぶかつ

[1558〜1630]安土桃山江戸初期武将信長次男。名は「のぶお」とも。豊臣秀吉小牧・長久手戦ったが、その後和睦(わぼく)。大坂の陣では徳川家康味方し大和国宇陀郡松山5万石を与えられた。


織田信雄

読み方おだ のぶお(のぶかつ)

安土桃山江戸前期武将茶人尾張生。信長次男北畠具房養子。名は信意・具豊、幼名茶筅(箋)丸・三介、通称は本御所出家後常真と号す。信長死後、弟信孝と争い、さらに徳川家康結んで小牧・長久手の戦い起こし豊臣秀吉戦った。のち内大臣となり、大坂の陣後大和国五万石を領したまた、叔父有楽茶道学んだ寛永7年(1630)歿、72才。

織田信雄(おだ のぶかつ) 1558~1630


織田信雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 01:50 UTC 版)

織田 信雄(おだ のぶかつ/のぶお下記参照)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名大和宇陀松山藩初代藩主。織田信長の次男。伊勢北畠家の養嗣子となって北畠氏を称し、元服して具豊(ともとよ)を名乗ったのが初名で、第10代当主として信意(のぶおき[4]/のぶもと[5])、次いで信勝(のぶかつ)とも名乗り、信雄は最後の改名による。のちに織田氏に復し、晩年は入道して、法名は常真といった。通称は三介[注釈 8](北畠三介)、北畠中将、尾張内府(尾張内大臣)[4]など、伊勢国司を継いだため御本所とも敬称された[注釈 9]


注釈

  1. ^ この掛軸は同寺蔵の織田信忠(以前は信長像とされていた)像とは対になっている。
  2. ^ 『柏崎物語』では、信意ではなく「信具」とする。ただし高柳光壽は『柏崎物語』は「柏崎三郎右衛門という浪人の物語を聞書した原本を天明期に三橋鉄作という人物が書き直したもの」で史料価値はあまりないとする。
  3. ^ 信正は庶長子のため、通例は系図にも書かれず、数に含めずに、信忠を長男として、信貞は九男となる。
  4. ^ 読みは「かに」。織田系図には平仮名で「おかに」とある。母は北畠具教の娘で夭折した。
  5. ^ 市兵衛。但馬守。庶出で、父に先立って早世した。
  6. ^ 早世。初名長茂、五郎八。庶出。
  7. ^ もとは佐々木主水政勝[2]と言い、六角義賢の第四子・佐々木高一(梅心斎)の子。高一の大坂城脱出の功により、生駒姓を賜り、嫡男が信雄の娘を娶った[3]
  8. ^ 三介は、常陸介・上総介・上野介の三つの介の官位の総称を意味する。
  9. ^ 「本所」は荘園領主や国司などの上級諸職所有者をさす言葉。具教ら歴代の国司もこうも呼ばれていた。
  10. ^ 直木孝次郎ほか編『日本史B 新訂版』には「のぶかつ」という振り仮名と「のぶお」という振り仮名との双方が記載されている[8]
  11. ^ 現在の愛知県江南市
  12. ^ 具房の養子または猶子だった場合、信雄からみて、両者ともに義父にあたるので、具房の子であると同時に具教の子であるということがありえる。また当主がすでに具房であれば、具教の養子であったとしても、具房の後を継ぐのであり、具房の猶子ということもありえる。
  13. ^ 前年に北畠具教・具房親子によって殺害された人物。
  14. ^ 茶会の席で、配膳、給仕をすること役目。
  15. ^ 家臣である城主の田丸直昌は信雄を城に招くために自らの城を開けわたしている[34]。直昌は南に移転して宮川沿いに新たに岩出城を築いた。
  16. ^ a b 両名はこの年に改名した。
  17. ^ 具教の次男。
  18. ^ 具教の三男。
  19. ^ 具教の従甥。
  20. ^ 具教の従甥で女婿。
  21. ^ 北畠具教の実弟だが、木造氏の養子となり、永禄12年5月の段階で最初に織田信長に内応していた[46]。四男・織田信良らはこの木造氏を母とする。
  22. ^ 織田信長の庶子を身籠ったお手つきの侍女「中條」を下賜された信長の家臣。信州の百姓出身だが諸国を巡礼中に信長に気に入られて、信長の隠し子の父親となり、宿老平手政秀の子埴原寿安を養嗣子にし、徳姫の傅役ともなった。
  23. ^ 東門院は文明4年に政郷(政勝)の弟・孝尊が入門して東門院院主となって以来、孝緑(政郷の子)、孝憲(晴具の子)と北畠氏の院主が多く出て、縁が深かった。
  24. ^ 三重県松阪市飯高町森に城址がある。
  25. ^ 別名で北畠具親城。三重県名張市長瀬に城址がある。
  26. ^ 『織田信雄分限帳』によれば、「御局」は、御内様(正室)の倍の千貫文の知行を得ており、特別な待遇を受けた女性であった[55]
  27. ^ 大阪府箕面市小野原。伊丹城と茨木城の中間にある。
  28. ^ 保曾汲/細汲(ほそくみ)ともいう。現在の松坂市域北部の三渡川河口右岸の地。伊勢神宮の参宮古道上にあり、古くから栄えていた。
  29. ^ 柘植清広の兄。
  30. ^ 『守矢文書』による。
  31. ^ 信孝は、所領の北伊勢の15歳から60歳までの住民を根こそぎ動員しているが、それでも兵士や人足が足らなかった。確かに動員は伊勢国からは北伊勢衆のみであった[78]が、信孝は5万石程度の所領であり、14,000名の軍勢がかき集められたことから、南伊勢からも相当数の人員が駆り出されたのではないかと考えられている。この寄せ集めの信孝の軍勢は、変報を聞いて、大部分が持ち場を捨てて逃げ去っている。
  32. ^ 信孝の異父兄である小島兵部少輔の誤りか。
  33. ^ 美濃衆の1人で吉村信実の子、信実の弟である氏吉の甥。
  34. ^ 丹羽姓だが、丹羽長秀とは血縁関係にない。
  35. ^ 信雄の家臣で、清洲会議以後は犬山城主だった。
  36. ^ 狩野岑信の弟で養子となった人物。青柳斎ともいう。
  37. ^ 威加海内は「威、海内に加わる」=「武威が天下で増す」の意味。信孝は「弌剣平天下」の朱印を使用した。父信長を真似たものであろうが、いずれも沢彦の撰であるという。
  38. ^ 秀吉の直参家臣である森友重(毛利高政)の養父である。
  39. ^ a b c 刈谷城の水野忠重は天正10年(1582年)まで織田信忠、本能寺の変以降には徳川家康ではなく織田信雄に属す(『織田信雄分限帳』)。小牧の戦いにも信雄方として従軍。天正13年(1585年)以降は秀吉直臣。
  40. ^ 星合左衛門尉の娘。亡夫が滝川雄利の家臣であったことから、秀吉に懇願して包囲を解いてもらった[125]
  41. ^ 神戸正武(林正武/神戸与五郎)の子。
  42. ^ 甚七郎、前田種利の子または前田長定の子。
  43. ^ 与平次、治利とも。種利の子、あるいは長種の弟。
  44. ^ 梶川高秀の子。もとは水野信元の家人。
  45. ^ この戦いで、森長可の首を切りとった本多八蔵は戦死した[144]
  46. ^ 徳川家臣の間宮信高や松平忠綱(新助)が戦死した[145]
  47. ^ 城址は三重県三重郡朝日町大字縄生字城山にある。
  48. ^ 城址は三重県桑名市城山台にある。
  49. ^ 戸木城開城の時期には、9月23日・10月上旬・10月下旬の3説ある[158]。いずれにしろ、刈田夜合戦の後で、秀吉と信雄の和議の前のことである。
  50. ^ 員弁郡の桑名市を流れる員弁川の下流部の名称。
  51. ^ 同じ天正12年4月上旬に、本願寺顕如の指示なく蜂起した一向一揆。織田信雄と徳川家康の扇動によって起こされたとの説もある。
  52. ^ 「兵庫壺」は道薫(荒木村重)の秘蔵の一品であったが、天正13年2月11日に道薫が津田宗及を招いて茶会をして披露したことを聞いた秀吉は宗久を介して兵庫壺を召し上げていた[192]
  53. ^ 織田信光の孫で、信成の子。母親が織田信秀の娘・小幡殿で、信雄の従弟にあたる。小幡城主であるため小幡を称して、当時(天正13年)はまだ18歳のため童名で呼ばれていた。諱は正信[196]
  54. ^ 小田原市扇町5丁目。
  55. ^ 更級郡埴科郡高井郡水内郡
  56. ^ ただし川中島四郡[注釈 55]と碧海半郡を除く[注釈 39]
  57. ^ 当代記』では、秀雄の知行は4万5,000石。隠居身分の信雄は後見役として召還されたに過ぎないのだろうと、谷口は書いている[200]
  58. ^ 御伽衆の中でも秀吉に特に近侍して日常的には話し相手となる者。
  59. ^ 常真は遍参僧の扮装をした。
  60. ^ 義演准后日記』の義演も信雄に尾張一国が返付されるという風聞を記している[269]
  61. ^ 天正10年の本能寺の変以後とも、天正13年の秋田追放後ともいう。
  62. ^ 長益の次男で、信雄の従弟にあたる。冬の陣の後に退出した。
  63. ^ 慶長十九年十月二十五日の地震の翌日であることは『駿府記』にもある[297]
  64. ^ 京都府京都市上京区の西陣五辻通日暮し西入ル御屋敷[300]
  65. ^ ヒノキ科の小高木でサワラ(ヒノキ科ヒノキ属)の園芸品種。
  66. ^ 地名「雲津」とも書き、三重県北部、香良洲町にある岬で、雲出川の河口。
  67. ^ 稲葉信通には信良の次女(光浄院)と三女(天量院)が嫁いでいるが、知通の母がどちらかは不詳。
  68. ^ 織田信良 - 娘(稲葉信通室)[注釈 67] - 稲葉知通 - 稲葉恒通 - 娘(勧修寺顕道室) - 勧修寺経逸 - 勧修寺婧子 - 仁孝天皇 - 孝明天皇

出典

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織田信雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/09 03:06 UTC 版)

信長 (漫画)」の記事における「織田信雄」の解説

信長次男独断伊賀攻め込み敗退するなど、武将としての力量は無い。しかし、自身襲撃した伊賀忍者殺気から伊賀衆信長の命をも狙うことを察する洞察力の鋭い面も持ち合わせている。

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織田信雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 00:39 UTC 版)

二流の人 (小説)」の記事における「織田信雄」の解説

織田信長息子徳川家康と共に小牧山合戦秀吉に勝つが、秀吉の涙の和談瞞着されて、家康説き和睦する尾張所領

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織田信雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 21:32 UTC 版)

清須会議 (小説)」の記事における「織田信雄」の解説

信長次男通称三介どうしようもないバカ殿。ろくに考えもせず感覚で動くいい加減な性格で、家臣からの人望皆無等しいが、当の本人は「うつけ」と呼ばれていた頃の父を真似ているだけで本当自分は頭がよいと思っている。

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織田信雄(おだ のぶかつ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:25 UTC 版)

テンカイチ 日本最強武芸者決定戦」の記事における「織田信雄(おだ のぶかつ)」の解説

弥助後援者

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織田信雄(おだ のぶかつ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「織田信雄(おだ のぶかつ)」の解説

通称三介、後に内大臣家族からは幼名茶筅とも呼ばれている。信長次男で『一統記』より登場その時養子先北畠姓を名乗っていたが後に復姓した。風貌信忠同じく父に似通っているが、父や兄と違い将器は全く引き継いでいないと思われた。性格尊大高圧的に振舞う上、情勢対す理解力乏しく父の死後見当違い行動取り続けた。「意味がわからん」が口癖

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織田信雄(おだ のぶかつ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:00 UTC 版)

ONIシリーズ」の記事における「織田信雄(おだ のぶかつ)」の解説

織田信長次男信長との戦いで敗れた北畠家見張り役として養子出されたが、18時に義父の具教を暗殺北畠一族皆殺しにし、名実共に後釜となる血も涙のない残忍な性格御前試合にて十傑選出し鞍馬山に眠る時空童子力を得よう目論む

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