丹羽氏勝継室とは? わかりやすく解説

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丹羽氏勝継室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 19:42 UTC 版)

丹羽氏勝継室(にわうじかつけいしつ、生没年不詳)は、戦国時代女性織田信秀の娘[1]織田信長の姉妹の1人。

概略

彼女の名前、経歴、生没年に関しては、一切不明[1]。信秀には15人の娘[2]の存在が確認できるが、順序なども不明。

寛政重修諸家譜』の丹羽氏勝の記述に「継室は織田佐渡守(備後守)信秀が女」[3][4]とあり、尾張岩崎城主丹羽氏勝の継室となったとあるが、同書の信秀の子の箇所にはこの女性の存在は書かれていない。

氏勝は天正8年(1580年)8月に林秀貞らと共に信長によって追放された[1]

脚注

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  1. ^ a b c 西ヶ谷 2000, p.252
  2. ^ 諸系図にある12女と、系図に乗らぬあるいは系図によって人物が異なる3人を合わせたもの。
  3. ^ * 堀田正敦 国立国会図書館デジタルコレクション 『寛政重脩諸家譜. 第1輯』國民圖書、1922年、482頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082717/4 国立国会図書館デジタルコレクション 
  4. ^ 『考証織田信長事典』では「備後守」と修正されている。

参考文献

  • 西ヶ谷恭弘 『考証織田信長事典』東京堂出版、2000年、252頁。ISBN 4490105509 



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