丹羽氏明とは? わかりやすく解説

丹羽氏明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 10:04 UTC 版)

 
丹羽 氏明
時代 江戸時代前期
生誕 寛文7年(1667年
死没 貞享3年3月2日1686年3月25日[1][2]
または同年3月3日(同年3月26日[3]
別名 勘助、氏房(初名)
戒名 性覚院徳雲道海大居士
墓所 岐阜県恵那市岩村町大名墓地
官位 従五位下、長門守
美濃岩村藩
氏族 一色丹羽氏
父母 父:丹羽氏純、母:香樹院
兄弟 女、氏明、數馬、土井元政正室
養子:丹羽氏音
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大名墓地(岐阜県恵那市岩村町)の丹羽氏明の墓

丹羽 氏明(にわ うじあき)は、江戸時代前期の大名美濃国岩村藩4代藩主。氏次系丹羽家五代。

略歴

寛文7年(1667年)、丹羽氏純の嫡男として岩村城で生まれた。幼名は勘助。

延宝2年(1674年)11月、父の氏純が没し、家督を相続した。

天和2年(1682年)12月、従五位下に叙せられ、長門守に任じられた。

貞享3年(1686年)3月2日(または3月3日)、妻子が無いまま疱瘡で病没した。享年20。法号は性覚院徳雲道海大居士。

分家で旗本丹羽氏音が、岩村藩主を嗣いだ。

当時岐阜県恵那市岩村町に存在した丹羽氏の菩提寺の妙仙寺に葬られたが、現在は寺は存在せず大名墓地に墓が残されている。

参考文献

  • 『岩村町史』十五 岩村藩主時代 2 丹羽氏、岩村町史刊行委員会、1961年、p186~p192
  • 『恵那郡史』第七篇 第二十八章 諸藩分治 其一 丹羽氏五代、恵那郡教育会、1926年、p213~p218
  • 『恵那市史 通史編 第2巻』第二章 諸領主の成立と系譜 第三節 岩村藩 二 丹羽家、恵那市史編纂委員会、1989年、p121~p125
  • 『寛政重修諸家譜 第2 新訂』第八十五 足利支流―一色 二篇・丹羽 二篇、続群書類従完成会、1964年、p168~p175

脚注

  1. ^ 丹羽氏明」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社https://kotobank.jp/word/%E4%B8%B9%E7%BE%BD%E6%B0%8F%E6%98%8Eコトバンクより2025年4月30日閲覧 
  2. ^ 『三百藩藩主人名事典 第2巻』新人物往来社、1986年、p.374。
  3. ^ 『岩村町史』p.190。




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