松平乗保とは? わかりやすく解説

松平乗保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/06 07:47 UTC 版)

 
松平乗保
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 寛延元年(1748年[1]
死没 文政9年6月26日1826年7月30日
改名 慥五郎(幼名)→乗保
戒名 尚通院殿純定篤敬大居士
墓所 東京都台東区上野公園寛永寺春性院
官位 従五位下河内守能登守従四位下侍従
幕府 江戸幕府奏者番若年寄大坂城代、西丸老中
主君 徳川家治家斉
美濃岩村藩
氏族 朽木氏大給松平家
父母 父:朽木玄綱、母:華嶽院(浅田氏、側室)・
養父:松平乗薀
兄弟 朽木舖綱、乗純、牧野成音、乗保
浄鏡院、内藤長好正室、柴田勝満正室、松平忠孝正室、朽木道綱正室ら
養兄弟:朽木綱貞乗国乗遠
林述斎寿姫
正室:松平康福
側室:池田氏
乗友乗美[2]、乗時
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松平 乗保(まつだいら のりやす)は、江戸時代中期から後期にかけての大名老中美濃国岩村藩主。乗政流大給松平家5代。官位従四位下侍従

略歴

寛延元年(1748年[1]丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として生まれた。

岩村藩主・松平乗薀の長男の乗国、次男の乗遠がいずれも早世し、三男の熊蔵(後の林述斎)は幼くかつ病弱であったため、また朽木玄綱が初代藩主・乗紀の息子であったことから、明和7年12月(1771年)、乗薀の養子に迎えられた。

明和8年(1771年)3月、将軍徳川家治御目見した。12月には従五位下・河内守に叙任された。

安永2年(1773年)4月、松平康福の娘と婚姻した。

天明元年(1781年)4月、乗薀の隠居により家督を相続し、岩村藩主となった。

天明2年(1782年大坂加番に任じられた。

天明3年(1783年)能登守に改めた。

天明4年(1784年)5月、奏者番に就任した。

天明6年(1786年)11月、日光山御名代を勤めた。

寛政10年(1798年)7月24日、西丸若年寄に就任した。

文化元年(1804年)8月、本丸若年寄に就任した。

文化3年(1806年)10月、大坂城代に就任し、位階が従四位下に昇格した。

文化7年(1810年)6月、西丸老中に就任し、大坂城から江戸城に移り、侍従となった。

文政9年(1826年)に在職のまま死去した。享年78。

長男の乗友が早世していたため、次男の乗美が家督を相続した。

参考文献

  • 『岩村町史』「十五 岩村藩主時代 3 松平氏」 p193~p227 岩村町史刊行委員会 1961年
  • 『恵那郡史』「第七篇 第二十八章 諸藩分治 其一 岩村藩 松平氏七代」 p218~p230 恵那郡教育会 大正15年(1926年)

脚注

  1. ^ a b 寛延2年12月11日(1750年)生まれともされる。
  2. ^ 生母は池田氏




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