久世広明とは? わかりやすく解説

久世広明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 01:45 UTC 版)

 
久世広明
時代 江戸時代中期
生誕 享保16年12月23日1732年1月20日
死没 天明5年1月25日1785年3月5日
改名 熊太郎、広明
墓所 東京都豊島区本妙寺
官位 従四位下大和守
幕府 江戸幕府寺社奉行大坂城代京都所司代老中
主君 徳川家重家治
下総関宿藩
氏族 久世氏
父母 父:久世広武、母:松平忠根の娘
養父久世暉之
兄弟 広明土井利剛、巨勢利永正室、河野通成
正室岡部長著の娘
広誉、広備、長谷川勝孚、土井利豊、広才、鈴木重逵、松平広徳、広侶、久世広楽正室、満喜子、久世広孝正室ら
テンプレートを表示

久世 広明(くぜ ひろあきら)は、江戸時代中期の大名寺社奉行大坂城代京都所司代老中下総国関宿藩主。官位従四位下大和守。関宿藩久世家4代。

略歴

大身旗本・久世広武(久世重之の五男広籌を初代とする旗本久世家)の長男として誕生。幼名は熊太郎。実父広武は土井利良の三男として生まれて、広籌の養子に迎えられた。

寛保3年(1743年)7月9日、本家である関宿藩主久世暉之の養嗣子となった。7月28日、8代将軍徳川吉宗御目見した。寛延元年(1748年)8月22日、暉之が隠居し家督を継ぐ。寺社奉行、京都所司代などを歴任後、天明元年(1781年)に老中となり、天明5年(1785年)に死去するまで在任した。墓所は、東京都豊島区巣鴨5丁目の本妙寺

年表

系譜

父母

  • 久世広武(実父)
  • 松平忠根[1]の娘(実母)
  • 久世暉之(養父)

正室

子女

  • 久世広誉(長男)生母は正室
  • 久世広備(六男)
  • 長谷川勝孚(七男)
  • 土井利豊(八男)
  • 久世広才(九男)
  • 鈴木重逵(十一男)
  • 松平広徳(十二男)
  • 久世広侶(十三男)
  • 久世広楽正室
  • 久世満喜子 - 伊達村芳正室
  • 久世広孝正室


脚注

  1. ^ 土井利義の養子




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「久世広明」の関連用語

久世広明のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



久世広明のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの久世広明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS