市橋長政とは? わかりやすく解説

市橋長政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 06:30 UTC 版)

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市橋長政
市橋長政像(清源寺蔵)
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正3年(1575年
死没 正保5年2月11日1648年4月3日
別名 左京(通称
戒名 凌霄院殿桂林玄春大居士
墓所 東京都荒川区西日暮里の南泉寺
官位 従五位下下総守伊豆守
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光
越後三条藩主、近江仁正寺藩
氏族 林氏、市橋氏
父母 林右衛門左衛門、市橋長利
市橋長勝
小山田茂誠
政信、政直、市橋長吉室、浄光院
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市橋 長政(いちはし ながまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名越後国三条藩2代藩主、後に近江国仁正寺藩初代藩主。仁正寺藩市橋家2代。

略歴

林右衛門左衛門の三男。織田信長に仕えた武将・市橋長勝の甥で養嗣子である。

慶長9年(1604年)から徳川氏に仕えた。大坂の陣で武功を挙げたことから、下総国香取郡、海上郡内に1,000石を与えられた。元和2年(1616年)、養父長勝の越後国転封により、同国内に3,000石を加増される。元和6年(1620年)5月15日、叔父長勝が嗣子なくして死去したため長政が跡を継いだが、このとき養子ということで、所領を4万1,300石から2万石に減らされた。そして同年のうちに三条から仁正寺に移封されている。元和8年1月2日、娘婿の長吉に近江国内で2,000石を分け与える。元和9年8月6日、従五位下伊豆守に叙任する。

大坂城石垣普請や多賀神社造営など、幕府の奉行職を歴任した。正保5年(1648年)2月11日、74歳で死去し、跡を長男の政信が継いだ。

系譜

父母

正室

子女






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