たが‐たいしゃ【多賀大社】
たがたいしゃ 【多賀大社】
多賀大社
多賀大社 (通称)お多賀さん たがたいしゃ 鎮座地 滋賀県犬上郡多賀町多賀604 御祭神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神 境内社 日向神社・子安神社・神明両宮 蛭子神社・天神社・金咲稲荷神社 熊野神社・熊野新宮・三宮神社 聖神社 ・竈神社・年神神社 天満神社・愛宕神社・秋葉神社 | |||||
古事記に「伊邪那岐大神は淡海(近江)の多賀に坐ます」と多賀に鎮座したと伝えられるのが起源です。社伝によると神代の昔、伊邪那岐大神はお社の東方4kmの杉坂山に老翁の姿となってお現れになり、麓の栗栖の宮にしばらくお休みの後、多賀の地にお鎮まりになったと伝えられています。奈良時代や平安時代にかけては公家の崇敬が特に篤く、鎌倉より戦国江戸時代には、武家の寄進や祈願が文献に数多く記されています。また、奈良時代の頃より神仏習合の勢いは、その後全国に広がり、天台宗仏教文化の影響が殊のほか強く、明応3年(1494年)に創建された不動院とその配下の観音院・般若院・成就院の活動により従来の総鎮守にとどまらず、全国的に信者を有する大社へと発展していきました。中・近世には、伊勢・熊野と並び庶民の参詣が盛んで、 「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる お伊勢七度 熊野へ三度 お多賀さまへは月詣り」 などと民間で歌われたほどでした。ご祭神が皇祖天照大御神のご両親にまします事や、崇敬者が全国的に及ぶ規模から、大正3年(1914)1月官幣大社に列格されました。 昭和23年(1947)に多賀大社を現社名に改称されています。 | |||||
多賀大社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 08:29 UTC 版)
多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社。式内社で、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
注釈
- ^ 多賀大社の祭神は南北朝時代の頃までは伊弉諾尊ではなかったことが判明しており『古事記』の記述と多賀大社を結びつけることはできない。『古事記』では「近江」は「近淡海」とするのが常で、同じ『古事記』でも真福寺本以外の多くの写本が「故其伊耶那岐大神者坐淡路之多賀也。」になっており、その他の諸々の理由からも、学界でも「淡海」でなく「淡路」を支持する説が有力である(武田祐吉、直木孝次郎等)。なお、『日本書紀』では一貫して「淡路」と記され、「近江」に該当する名はない。
- ^ 不動院、および、配下三院(観音院・般若院・成就院)に属する使僧をいう。「同宿輩」とも呼ばれ、全国規模で布教した。多賀社の坊人は隆盛期には100人余に達した。
出典
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