佐嘉神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/05 21:56 UTC 版)
佐嘉神社 | |
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所在地 | 佐賀県佐賀市松原2-10-43 |
位置 | 北緯33度15分07秒 東経130度18分09秒 / 北緯33.25194度 東経130.30250度座標: 北緯33度15分07秒 東経130度18分09秒 / 北緯33.25194度 東経130.30250度 |
主祭神 | 贈従一位大納言鍋島直正命 従一位勲一等鍋島直大命 |
社格等 | 旧別格官幣社・別表神社 |
創建 | 昭和8年(1933年) |
例祭 | 10月12日(秋の日峯さん) |
主な神事 | 武威祭12月31日 |
地図 |
佐嘉神社(さがじんじゃ)は、佐賀県佐賀市にある神社である。旧社格は別格官幣社。
祭神
佐賀藩10代藩主鍋島直正と11代藩主鍋島直大を祀る。直正は藩政改革を行い、西洋の先進技術を積極的に取り入れ、また大隈重信・江藤新平らの人材を育成した。直大は戊辰戦争で官軍として戦い、明治2年には版籍奉還を申し出た。
歴史
直正の歿後の明治6年(1873年)、直正の遺徳を賛え、鍋島家の祖先を祀る松原神社に南殿を造営し、直正を祀った。昭和4年(1929年)、直正を祀る佐嘉神社の創建が決定した。昭和8年(1933年)に現在地に社殿を造営し、松原神社の直正の霊を遷座、別格官幣社に列した。昭和23年(1948年)、松原神社南殿に祀られていた直大の霊を佐嘉神社に合祀した。
東隣の松原神社とは別の神社であるが、昭和36年以降運営を一本化している。
境内社
- 松根社 祭神鍋島直正の側近で、直正逝去の際殉死した古川松根を祀る。
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松根社
松原神社
松原神社 | |
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所在地 | 佐賀県佐賀市松原2-10-43 |
位置 | 北緯33度15分07秒 東経130度18分10秒 / 北緯33.25194度 東経130.30278度 |
主祭神 | 贈従三位加賀守 佐賀藩祖鍋島直茂命 平右衛門尉鍋島清久命 直茂室彦鶴姫命 従四位下信濃守 初代佐賀藩主鍋島勝茂命 従五位下山城守龍造寺隆信命 従四位下肥前守龍造寺政家命 従五位下駿河守龍造寺高房命 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 明和9年(安永元年(1772年)) |
別名 | 日峯(にっぽう)さん |
例祭 | 4月11日(春の日峯さん) |
地図 |
松原神社(まつばらじんじゃ)は、佐嘉神社東隣にある神社である。
明和9年(安永元年・1772年)、佐賀藩の藩祖鍋島直茂を祀る神社として創建され、直茂の法号から日峯(にっぽう)大明神(日峯社)と称した。現在も「日峯さん」の通称で呼ばれる。この時代には、各藩で藩祖・祖先を祀る神社が創建されていた。
文化14年(1817年)に直茂の祖父・清久、直茂の正室・彦鶴姫を合祀し「松原神社」に改称。さらに明治5年、初代藩主勝茂を合祀した。
明治6年(1873年)、元からあった本殿の北と南に新たに神殿を造営し、南殿に10代藩主鍋島直正を、北殿に鍋島氏以前に佐賀を治めていた龍造寺家の隆信・政家・高房を祀った。元からあった本殿は、これ以降「中殿」と称されるようになった。大正12年(1912年)、南殿に、2年前に歿した11代藩主鍋島直大を合祀した。
昭和8年に佐嘉神社が造営され、南殿の鍋島直正の霊を遷座した。昭和23年、南殿の鍋島直大の霊も佐嘉神社に遷座し、南殿は廃止された。昭和38年、本殿を改築し、中殿・北殿をあわせ、龍造寺家3柱を祀る北座と鍋島家4柱を祀る南座からなる一殿二座とした。
境内社
- 猿田彦社 松原神社鎮座以前からの地主神で、猿田彦神・八天神・稲荷神等をあわせて祀る。別名松原稲荷神社。
- とんさん恵比須 高さ4メートルの石造恵比須像。「とんさん」は佐賀の方言で「殿様」の意。
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猿田彦社(松原稲荷神社)
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とんさん恵比須
交通
関連図書
- 二六興信所編纂 山田米吉編『勤王事蹟別格官幣社精史』102〜103頁 二六興信所 1935年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、31頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、154頁
脚注
外部リンク
- 佐嘉神社(公式サイト)
- 「佐嘉神社について知りたい。」 - レファレンス協同データベース
固有名詞の分類
- 佐嘉神社のページへのリンク