皇大神宮とは? わかりやすく解説

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こう‐たいじんぐう〔クワウ‐〕【皇大神宮】


こうたいじんぐう 【皇大神宮】


皇大神宮

読み方:コウタイジングウ(koutaijinguu)

別名 東町皇大神宮

教団 神社本庁

所在 山形県米沢市本町

祭神 天照皇大神 ほか


皇大神宮

読み方:コウタイジングウ(koutaijinguu)

別名 烏森の神明宮

教団 神社本庁

所在 神奈川県藤沢市

祭神 天照皇大神 ほか


皇大神宮

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

皇大神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 06:19 UTC 版)

皇大神宮
所在地  三重県
伊勢市宇治館町1
位置 北緯34度27分18.00秒 東経136度43分30.63秒 / 北緯34.4550000度 東経136.7251750度 / 34.4550000; 136.7251750 (皇大神宮)座標: 北緯34度27分18.00秒 東経136度43分30.63秒 / 北緯34.4550000度 東経136.7251750度 / 34.4550000; 136.7251750 (皇大神宮)
主祭神 天照坐皇大御神
神体 八咫鏡
社格 式内社(大)
正宮
創建 垂仁天皇26年
本殿の様式 唯一神明造
別名 内宮
札所等 神仏霊場巡拝の道特別参拝
主な神事 伊勢神宮の祭事を参照
地図
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皇大神宮(こうたいじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には内宮(ないくう)と呼ばれる。式内社(大社)。

概要

豊受大神宮(外宮)とともに伊勢信仰の中心となる神社で、日本全国の神社で授与される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。

親王の結婚に際して、新婚旅行として「神宮に謁するの儀」が執り行われるのが通例となっている。複数の神社を参拝する場合、格の高い神社から低い神社の順が一般的だが、神宮の通常の神事外宮、内宮の順で行う[1]。これを外宮先祭と呼び[1]、参拝も外宮、内宮の順で行うのが正しいといわれる[2]。ただし式年遷宮遷御は皇大神宮、豊受大神宮の順であり[3]奉幣(ほうへい)は豊受大神宮、皇大神宮の順である。

別宮として、境内に荒祭宮風日祈宮、境外に月讀宮瀧原宮伊雑宮のほか、境内・境外に27社・33座の摂社、16社・16座の末社、30社・30座の所管社を有する。

建物は豊受大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている[4]

最寄駅は近鉄鳥羽線五十鈴川駅[5]。内宮の鳥居前町であるおはらい町おかげ横丁)は伊勢市を代表する観光名所である[6]

祭神

正宮(2013年10月)
中央に見える鳥居を「板垣南御門」、鳥居の両側の玉垣を「板垣」、鳥居の奥に見える建築物を「外玉垣南御門」[7]、手前にある石段を「石階」という[8]
主祭神
  • 天照坐皇大御神 (あまてらしますすめおおみかみ、天照大御神
三種の神器の1つ・八咫鏡神体とする[注 1]
相殿神
左方に祀る[9]を神体とする[9]
右方に祀る[9]を神体とする[9]

歴史

日本書紀』によれば、天照大神は宮中に祀られていたが、崇神天皇6年、笠縫邑に移し豊鍬入姫命に祀らせた。垂仁天皇25年、倭姫命が後を継ぎ、御杖代として天照大御神を祀るための土地を求めて各地を巡った。この経路は『日本書紀』にあまり記述がないが、鎌倉時代初期成立と考えられる『倭姫命世記』には詳述されており、その途中に一時的に鎮座した場所は元伊勢と呼ばれる。垂仁天皇26年、伊勢国にたどり着いたとき、「是の神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の重浪(しきなみ)の帰する国なり。傍国の可怜し国(うましくに)なり、この国におらんと欲ふ(この国に留まりたいと思う)」という天照大御神の神託があり、倭姫命は五十鈴川上流の現在地に祠を建てて祀り、磯宮と称したのが皇大神宮の始まりという。鎮座地に関して、伊勢では河川の氾濫が頻発して低湿地が広がっているため、内宮は水害に遭いにくい河岸段丘上に建てられたという説が挙げられている[10][11][12]

明治時代までは、僧侶の姿で正宮に接近することは許されず、川の向こうに設けられた僧尼拝所から拝むこととされ、西行も僧尼拝所で神宮を拝み、感動の涙を流したという[13]荒木田氏が祠官を世襲していたが、明治以降は世襲制が廃止された。1945年(昭和20年)7月29日宇治山田空襲により宇治山田市は甚大な被害を蒙った[14]。内宮にも40機ほどの編隊でアメリカ軍機が神域に迫り、次第に照準が正確になってきたが、内宮の神域に差し掛かったところで焼夷弾は五十鈴川対岸の山に吸い込まれるように流れていった[15]。この「奇跡」により内宮に被害はなく、神職は「ご神威」に涙したという[15]。第二次世界大戦後は元皇族の女性が代々の祭主をつとめている。

吉田初三郎筆『伊勢名所図絵』(1919年、部分)

境内

宇治橋(2010年4月)
内宮境内の地図
内宮御垣内の地図

宇治橋の内側には正宮(しょうぐう)のほか別宮の荒祭宮風日祈宮、所管社の滝祭神(たきまつりのかみ)・酒の神様を祀る御酒殿神(みさかどののかみ)[16]御稲御倉(みしねのみくら)・神嘗祭の時に神々の食事の御料を納めた[16]由貴御倉(ゆきのみくら)[注 2]・宮域の守護神を祀る四至神(みやのめぐりのかみ)[16]がある。宇治橋の東に所管社の大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)と子安神社(こやすじんじゃ)、丘の上には神宮の祭祀をはじめとするすべての事務を取り扱う神宮司庁(じんぐうしちょう)庁舎がある。

社地の面積は外宮の10倍ほどあり、外宮と異なり右側通行である[17]。境内には神饌を調理する忌火屋殿(いみびやでん)、正宮に供える神饌を調理する儀式を行う御贄調舎(みにえちょうしゃ)、撤下された神宝を保管する外幣殿(げへいでん)、摂末社の遥祀などを行なう五丈殿(ごじょうでん)がある。ほかに祭主・神職が潔斎をする斎館(さいかん)と天皇が宿泊する行在所(あんざいしょ)、皇族から奉納された神馬を飼育する内御厩(うちのみうまや)・外御厩(そとのみうまや)がある。

神楽殿(かぐらでん)では私祈祷の神楽が行なわれ、希望者は奉納ののちに饗膳所(きょうぜんしょ)で直会を行える。神楽殿の神札授与所(おふだじゅよしょ)では神楽の受付のほかにお札お守り神宮暦御朱印の授与などを行なっている。参拝者の休憩所の参集殿(さんしゅうでん)では湯茶が用意されているほか参宮記念品の授与も行っている。

正宮は石段[注 3]を上がった高台に鎮座するが、写真撮影は石段の下までしか許可されていない[18]。石段の下には祭事にアワビを調理する御贄調舎(みにえちょうしゃ)がある[19]。石段を上ると板垣が巡らされ、中央に鳥居のある板垣南御門(いたがきみなみごもん)をくぐって中に入る[18]。板垣南御門の外、石階東側に、南向きに屋乃波比伎神(やのはひきのかみ)が石畳の上に祀られ、神庭を守護している[8][20]

板垣の内側を御垣内(みかきうち)と言い[7]、その面積は6,807m2である[21]。天照大御神が祀られる御正殿はさらに外玉垣(とのたまがき)、内玉垣、瑞垣(みずがき)に囲まれており、一般参拝者は白いでできた御幌(みとばり)のかけられた外玉垣南御門で参拝する[7][19]。参拝の作法は「二拝二拍手一拝」である[19]

外玉垣の内側、内玉垣の外側には、八重榊(やえさかき)で装飾された中重鳥居(なかえのとりい)と、その東側に奉幣の際に幣帛(へいはく)の点検を行う四丈殿がある[21]。瑞垣の内側は内院と呼ばれる最も清浄な神域であり、その中央部に御正殿が建つ[22]。御正殿は、「唯一神明造」という神明造の中でも伊勢神宮にのみ許された造形で作られている。御正殿の背後には、幣帛などを奉納する東宝殿(とうほうでん)と神宝を奉納する西宝殿(さいほうでん)がある[22]。御垣内の北西端にある石畳には、正宮を守護する興玉神(おきたまのかみ)と宮比神(みやびのかみ)が祀られている[23]

摂末社

内宮別宮

別宮(べつぐう)は「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる[24]。計10宮。

節内の全座標を示した地図 - OSM
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内宮摂社

摂社(せっしゃ)は、『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある[25]。計27社。

内宮末社

末社(まっしゃ)は、『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)。計16社。

内宮所管社

所管社(しょかんしゃ)は、正宮・別宮・摂社・末社以外の神社。計30社。

境内の動物

神鶏

神鶏

境内では、神の使いとしてニワトリが放し飼いにされている。神の使いとされるのは、天照大御神が、岩戸から出る際に鳴いたとされ、太陽の昇る事を告げる鳥とされているためである。

【社頭暁】神路山 かみにつかふる にはとりの 暁つくる こゑのどかなり — 博義王妃朝子、1921年(大正10年)の歌会始にて[26]

三重県など8県の愛鶏家が結成する神宮奉納鶏保存会が内宮に神鶏を奉納している[27]2011年(平成23年)6月5日の奉納では小国鶏のつがい2組(4羽)とチャボオナガドリなど25羽が奉納され、境内に放鳥された[1]。神鶏は木の上に止まり眠る[28]

式年遷宮の諸祭では、つがい22組44羽のニワトリが神使いをする[29]。遷宮祭では、容姿・鳴き声ともに優れ、健康であるが祭典中はおとなしく気品良く振る舞い、可能な限り尾の長い純粋な日本のニワトリであることが条件とされる[29]。各祭典でつがい1組のニワトリが「生調」(いきみつき)として竹の丸かごに入れて供えられ、祭典が終わると神苑に放鳥される[30]

神馬

神馬「空勇号」

内宮では皇室から奉納された2頭の神馬を飼育している[31]。御厩(みうまや)にいることもあるが、天候や神馬の体調によりいない場合もある[32]。地元では「お馬さま」と敬称で呼ばれ、写真を撮影されても動じることはない[33]が、ストロボ撮影は禁止されている。

毎月1日・11日・21日には正宮へ参拝する「神馬牽参」(しんめけんざん)が行われる[31]。午前8時前後、神職に伴われ神馬が正宮へ進み、石段の前で正宮にお辞儀をする[34]。神馬牽参の際、神馬は菊の御紋が入った馬衣(うまぎぬ)を身に付ける[31]

外宮でも内宮同様に2頭の神馬が飼育され、同日に神馬牽参を行う[31]

現地情報

内宮付近の空中写真。1983年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地
交通アクセス

鉄道

脚注

注釈

  1. ^ 一般に当宮に八咫鏡があるとされるが、他にも諸説がある(「八咫鏡」参照)。
  2. ^ 現在は御倉の守護神が祀られている。
  3. ^ 石階(せっかい)という[8]群馬県産の三波石でできている[18]

出典

  1. ^ a b c 式内社研究会 編(1990):150ページ
  2. ^ 伊勢文化舎(2009):98ページ
  3. ^ 式内社研究会 編(1990):150ページ
  4. ^ 『一般人は入れない立入禁止地帯』, 歴史ミステリー研究会, 彩図社, 2011年
  5. ^ 交通アクセス|伊勢神宮”. 伊勢神宮. 2023年9月6日閲覧。
  6. ^ 伊勢志摩への旅行・観光なら伊勢神宮内宮前おかげ横丁”. 伊勢志摩への旅行・観光なら伊勢神宮内宮前おかげ横丁. 2023年9月6日閲覧。
  7. ^ a b c 出版事業本部 国内情報部 第三編集部 編(2014):28ページ
  8. ^ a b c 学研パブリッシング(2013):56ページ
  9. ^ a b c d 三橋(2013):128ページ
  10. ^ 伊勢神宮のテレビ情報”. TVでた蔵 (2016年6月). 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  11. ^ テレビドガッチ (2016年6月3日). “最強パワースポット「伊勢神宮」の真実にタモリ一行大興奮”. マイナビニュース. 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  12. ^ 「ブラタモリ」4、11日放送は伊勢神宮へ!タモリ式年遷宮後初訪問”. スポーツニッポン (2016年6月4日). 2016年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月9日閲覧。
  13. ^ 講談社(2011):48ページ
  14. ^ 伊勢市 編(1968):444 - 445ページ
  15. ^ a b 矢野(2006):184ページ
  16. ^ a b c 伊勢文化舎(2009)、100ページ
  17. ^ 矢野(2006):46 - 47ページ
  18. ^ a b c みらい出版(2013):52ページ
  19. ^ a b c みらい出版(2013):53ページ
  20. ^ 伊勢文化舎 編(2008):114ページ
  21. ^ a b 三橋(2013):16ページ
  22. ^ a b 学研パブリッシング(2013):56ページ
  23. ^ 伊勢文化舎 編(2008):113ページ
  24. ^ 伊勢市観光協会"伊勢市観光協会/別宮"(2012年1月8日閲覧。)
  25. ^ 櫻井勝之進 『伊勢神宮』
  26. ^ 星野小次郎編『明治・大正・昭和勅題歌集』(万里閣、1935年)281頁。
  27. ^ 大槻宮子「伊勢神宮内宮 小国鶏など奉納 8県の愛鶏家」2011年6月6日付中日新聞朝刊、志摩牟婁 広域三重16ページ
  28. ^ 主婦の友社 編(2011):30ページ
  29. ^ a b 矢野(2006):29ページ
  30. ^ 矢野(2006):29 - 30ページ
  31. ^ a b c d JTBパブリッシング(2011):140ページ
  32. ^ 出版事業本部 国内情報部 第三編集部 編(2014):17ページ
  33. ^ 主婦の友社 編(2011):24, 81, 87ページ
  34. ^ 主婦の友社 編(2011):87ページ

参考文献

関連項目

外部リンク


皇大神宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/23 01:09 UTC 版)

元伊勢」の記事における「皇大神宮」の解説

凡例)1)遷幸順に宮名(地名)と候補地神社)または伝承地を記す。2)「日本書紀」は『日本書紀』、「儀式帳」は『皇太神宮儀式帳』、「世記」は『倭姫命世記』における記載を表す。3)「世記」括弧内は奉斎(滞在年数国名宮名(地名候補地伝承地日本書紀儀式帳世記対象名所在地座標豊鍬入姫命巡歴大和国倭国笠縫邑 笠縫邑33年檜原神社大神神社摂社奈良県桜井市三輪 位置 巻向坐若御魂神社穴師坐兵主神社右殿) 奈良県桜井市穴師 位置 奈良県桜井市茅原周辺 位置 笠縫神社多神社境外末社奈良県磯城郡田原本町秦庄秦楽寺境内位置 摂津国 太神官社 吉志部神社 大阪府吹田市岸部北4-18-1 位置 大和国倭国笠縫邑 笠縫邑33年志貴御県坐神社付近 奈良県桜井市金屋 位置 笠山荒神奈良県桜井市位置 天神社 奈良県桜井市小夫 位置 飛鳥坐神社 奈良県高市郡明日香村大字飛鳥 位置 丹波国(但波国吉佐宮(4年真名井神社籠神社摂社京都府宮津市江尻 位置 皇大神社 京都府福知山市大江町内宮 位置原神京都府舞鶴市紺屋 位置 竹野神社 京都府京丹後市丹後町宮 位置 倭国 伊豆加志本宮8年) 「笠縫邑」と同所 三輪山 奈良県桜井市三輪 与喜天満神社 奈良県桜井市初瀬字与喜山 位置 長谷寺 奈良県桜井市初瀬 位置 奈良県桜井市初瀬鳥居跡) 位置 木乃国(紀伊国奈久佐浜宮3年濱宮 和歌山県和歌山市毛見 位置 吉備国 名方浜宮4年伊勢神社 岡山県岡山市北区番町 位置 内宮 岡山県岡山市南区浜野1丁目 位置 穴門山神社 岡山県倉敷市真備町妹 位置 穴門山神社 岡山県高梁市川上町高山市 位置 神明神社 岡山県総社市福井神明240番地 位置 今伊勢内宮外宮 広島県福山市神村町 位置 伊勢部柿本神社 和歌山県海南市日方 位置 国主神社 和歌山県有田郡有田川町長田 位置 倭国和乃御室嶺上宮(2年高宮神社大神神社摂社奈良県桜井市三輪字神峯 位置 三輪山 奈良県桜井市三輪 倭姫命巡歴大和国倭国磯城橿之本 「伊豆加志本宮」に同じか 美和御諸宮 弥和乃御室嶺上宮 高神社大神神社摂社) 宇太乃阿貴宮 宇多秋宮4年阿紀神社 奈良県宇陀市大宇陀迫間 位置 菟田筱幡 佐々波多宮 佐佐波多宮 篠畑神社 奈良県宇陀市榛原山辺三字篠畑 位置 神社 奈良県宇陀市榛原山辺三 位御杖神社 奈良県宇陀郡御杖村神末 位置 奈良県宇陀市室生大野周辺 位置 伊賀国 隠市守宮2年宇流冨志禰神社 三重県名張市平尾 位置 三輪神社(現在箕輪神社合祀) (旧社地三重県名張市箕輪中村五百刈 蛭子神社 三重県名張市鍛冶町 位置 田村大明神(現在美波多神社合祀) (旧社地三重県名張市東田原 名居神三重県名張市下比奈知 位置 伊賀穴穂宮 穴穂宮(4年神戸神社 三重県伊賀市上神戸 位置 常福寺 三重県伊賀市古郡 位置 猪田神社 三重県伊賀市下郡 位置 阿閇殖宮 敢都美恵宮(2年都美神社 三重県伊賀市柘植町 位置 敢國神社 三重県伊賀市一之宮 位置 近江国淡海国近江国 甲可日雲宮(4年垂水頓宮滋賀県甲賀市土山町頓宮 位置 大神宮社(現在三上六所神社合祀) (旧社地滋賀県甲賀市土山町鮎河周辺 位置 皇大神宮(若宮神社境内社滋賀県甲賀市土山町大河原 位置 高宮神社 滋賀県甲賀市信楽町多羅尾 位置 桧尾神社 滋賀県甲賀市甲南町池田 位置 神明社上乗寺境内社滋賀県湖南市三雲 位置 神明神社 滋賀県湖南市夏見 位置 日雲神社 滋賀県甲賀市信楽町牧 位置 日雲滋賀県甲賀市水口町神明 位置 五十鈴神社 滋賀県甲賀市水口町東林口 位置山神社 滋賀県甲賀市水口町高山 位置 川田神社 滋賀県甲賀市水口町北内貴 位置 田村神社 滋賀県甲賀市土山町北土山 位置 坂田宮 坂田宮2年坂田神明宮 滋賀県米原市宇賀野 位置 美濃国美濃久良賀宮 伊久良河宮(4年天神神社 岐阜県瑞穂市居倉 位置 名木林神社 岐阜県安八郡安八町大森 位置 宇波刀神社 岐阜県安八郡安八町森部 位置 神明神社 岐阜県瑞穂市生津内宮町 位置 豊受神社 岐阜県瑞穂市生津外宮東町 位置 尾張国 中島酒見神社 愛知県一宮市今伊勢町本神戸宮山 位置神明社真清田神社境外末社愛知県一宮市一丁目 位置 丸宮神明社(現在中嶋宮合祀愛知県一宮市萩原町中島 位置 御園神明社 愛知県清須市一場 位置 坂手神社 愛知県一宮市佐千原宮東 位置 伊勢国伊勢国 桑名野代桑名野代宮(4年野志神社 三重県桑名市多度町下野代 位置 神戸神館神社 三重県桑名市大字江場 位置 尾野神社 三重県桑名市大字東方 位置 河曲鈴鹿小山宮 奈其波志忍山宮 布気皇館太神三重県亀山市布気町野尻 位置 忍山神社 三重県亀山市野村 位置 安濃国 阿野国 (未詳) 壱志藤方阿佐加藤方片宮(4年) 加良比乃神社 三重県津市藤方森目 位置 阿射加神社 三重県松阪市小阿坂町 位置 阿射加神社 三重県松阪市大阿坂町 位置 雲出神社 三重県津市雲出本郷町 位置 飯野高宮 飯野高宮高丘宮)(4年神山神社 三重県松阪市山添町神山 位置 神戸神館神明社 三重県松阪市下村町 位置 牛庭神社 三重県松阪市下蛸路町 位置 久尓都神社(現在加世神社合祀) (旧社地三重県松阪市郷津町里中周辺 位置 滝野神明社(現在水屋神社合祀) (旧社地三重県松阪市飯高町作滝周辺 位置 花岡神社 三重県松阪市飯高町宮前 位置 多気佐々牟迤宮 佐佐牟江宮(佐佐牟江社) 竹佐々夫江神社 三重県多気郡明和町山大淀 位置 磯宮岐波流礒宮 伊蘓宮 磯神社 三重県伊勢市磯町権現前 位置 相可上神三重県多気郡多気町相可磯部位置 大河滝原之国 瀧原宮(皇大神宮別宮三重県度会郡大紀町滝原 位置 矢田宮 口矢田 三重県伊勢市楠部町字口矢田周辺 位置 宇治家田上宮 家田々上宮 神宮神田南の忌鍬山山頂(西ノ森三重県伊勢市楠部町周辺 位置 大土御祖神社(皇大神宮摂社三重県伊勢市楠部町尾崎 位置 奈尾之根宮 那自売神社(皇大神宮末社)(現在宇治山田神社<皇大神宮摂社>に同座) (旧社地三重県伊勢市宇治中之切町周辺 位置 渡遇宮 大宮 五十鈴宮五十鈴川上宮) 皇大神宮 三重県伊勢市宇治館町 ^ a b c吉備国」を「紀伊国名草郡吉備郷」と見る説もある(『大日本地名辞書』や伴信友倭姫命世記考』など)。 ^ 「一云」として記載。 ^ 河曲鈴鹿異なる郡なので、御巫清直は、『儀式帳』における記載河曲郡伝承脱漏したものであろうとする(『太神宮本記帰正鈔』)。なお群書類従本儀式帳』には「河曲次〔イ无〕鈴鹿」とある ^ a b 「藤方宮」が壱志(一志)郡と安濃郡両様書かれているのは、「方(かた)」が「潟(かた)」であり、阿佐加の地一帯がかつて潟湖をなしていたため、所属郡を明確にしえなかったためであろうとされている(櫻井治男阿射加神社」<『日本の神々-神社と聖地』第6巻、白水社、1986年所収>)。 ^ 「一書曰」として「安濃藤方宮」にも作る。 ^ 「一云」として記載。この「一云」は雄略天皇朝の豊受大神宮遷座記事が誤入されたもので、「渡遇宮」は豊受大神宮の事であるとする説もある(田中卓神宮創祀発展」(1959年)、「外宮御鎮座年代意義」(1977年)、「神宮創祀について」(1984年)(いずれも田中卓著作集4巻所収))。

※この「皇大神宮」の解説は、「元伊勢」の解説の一部です。
「皇大神宮」を含む「元伊勢」の記事については、「元伊勢」の概要を参照ください。

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