饗土橋姫神社とは? わかりやすく解説

饗土橋姫神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 02:09 UTC 版)

饗土橋姫神社
所在地 三重県伊勢市宇治今在家町
位置 北緯34度27分35.5秒 東経136度43分16.7秒 / 北緯34.459861度 東経136.721306度 / 34.459861; 136.721306 (饗土橋姫神社)座標: 北緯34度27分35.5秒 東経136度43分16.7秒 / 北緯34.459861度 東経136.721306度 / 34.459861; 136.721306 (饗土橋姫神社)
主祭神 宇治橋鎮守神
社格 皇大神宮所管社
創建 文明9年(1477年)以前
本殿の様式 神明造
主な神事 神嘗祭、宇治橋渡始式
地図
饗土橋姫神社
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饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の所管社。宇治橋守護神であり、宇治橋と対面する位置に鎮座する[1][2]

宇治橋の架け替えに先立って社殿が建て替えられる[3]ため、神宮式年遷宮において、伊勢神宮の所管する125社の中では最も早く建て替えられる神社である。

概要

三重県伊勢市宇治今在家町、内宮の神域入り口に架かる宇治橋から約200mのところに鎮座する[4]。饗土橋姫神社から20m先には内宮摂末社津長神社・新川神社・石井神社、50m先には内宮摂末社の大水神社・川相神社・熊淵神社があり、7社が集まっている[5]。また神宮文庫の前身である旧林崎文庫もある[6]。更に当社の左側に隣接する参道の奥には尾崎行雄を祭神とする合格神社がある。

社名の「饗土」とは、疫病神悪霊などの悪しきものが入るのを防ぐために饗応の祭りを行う土地を意味する[3]。社地は御幸道路建設のため、移転している[7]1969年(昭和44年)の造り替え以降、社地は移動していない[8]

社殿は神明造であるが、神明造になったのは明治時代以降であり、それ以前は春日造であった[9]。津長神社は、内宮の摂社27社のうち第14位である[10]

祭神

祭神は宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)[1][2]。宇治橋の守護神である[1][2]

歴史

宇治橋の起源が不明である[11]のと同様、宇治橋を守護する饗土橋姫神社の創建も不明である[12]文明9年(1477年)の宇治橋架け替えの際に饗土橋姫神社の建て替えが行われていることから、少なくともこれ以前には存在したものと考えられる[13]。神宮司庁発行みずがき第211号 宇治橋特集号、神宮宮掌音羽悟氏の「饗土橋姫神社について」によれば、現在の形状に似た大橋は、『河崎氏年代記』が記す将軍足利義教が寄進のうえ参宮した永享六年(1435)とされる。荒木田守良は『神宮典略』で、山城国(京都府)宇治橋の橋姫明神(祭神瀬織津姫)に倣って、寛正7年(1467)三月の将軍足利義教参宮に併せ、饗土の地に橋姫神社が創建されたと解説している。京都の宇治のように橋の上に祀られることはなく、丑の刻参りやおどろおどろしい女性の怨念話、妖怪話とは全く縁がない。かつての鎮座地は、よく記念撮影をするところ、つまり宇治橋のすぐ手前、鳥居の立つ地点から松の植え込みのある辺りであった。以前は、松ではなく二株の桜の木であった。 江戸時代には宇治の自治組織である「宇治会合所」の管理下にあった[14]文政13年(1830年)、宇治橋とともに焼失した[8]明治5年6月(グレゴリオ暦:1872年7月)、教部省は『延喜式神名帳』および『延暦儀式帳』に記載のない神社を一律に神宮所管から外し、度会県および三重県管轄に移行したため、饗土橋姫神社も神宮所管から離れることとなった[15]。宇治橋と宇治橋の前にある鳥居も同時に度会県へ移行した[13]1879年(明治12年)からは、地元の宇治今在家町の住民が産土神として祀り、7月21日には祭礼を奉仕した[14]

1881年(明治14年)に宇治橋と鳥居は神宮に戻ったが、饗土橋姫神社はそのまま県の管轄下にあった[13]。その後、1889年(明治22年)の第56回神宮式年遷宮に合わせて宇治橋が国費で造り替えられることに合わせ、宇治橋渡始式を行う上で、饗土橋姫神社が県管轄では不都合であるとして、同年に内宮所管社に復帰した[14]。神宮復帰にあたり、地元住民に配慮して7月21日の祭礼の継続を神宮は了承した[14]

宇治橋のすぐに社地があったが、1907年(明治40年)12月に国道(御幸道路)建設に当たって、社地が道路と重なるため、1909年(明治42年)3月に大水神社と津長神社の中間に新社地を設け、移転した[16]1969年(昭和44年)に造り替えた際、社地が移動して以降、鎮座地に変更はない[8]

祭祀

「宇治橋渡始式」に際して祭事が行われる[1][2]。また、新しい宇治橋を建設する際に行われる「宇治橋修造起工式」にも祭儀が捧げられる[17]

交通

宇治橋前まで
宇治橋前から
  • 宇治橋前ロータリー、内宮前駐車場を横切り、徒歩約4分(約200m)[4]

脚注

  1. ^ a b c d 伊勢文化舎 編(2008):116ページ
  2. ^ a b c d 学研パブリッシング(2013):54ページ
  3. ^ a b 伊勢文化舎 編(2009):58ページ
  4. ^ a b 伊勢文化舎 編(2008):111ページ
  5. ^ 伊勢文化舎 編(2008):111, 116ページ
  6. ^ 伊勢文化舎 編(2008):117ページ
  7. ^ 伊勢市 編(2012):第4巻551ページ
  8. ^ a b c 伊勢文化舎 編(2009):63ページ
  9. ^ 伊勢文化舎 編(2009):59ページ
  10. ^ 宇治山田市役所 編(1929):9 - 10ページ
  11. ^ 伊勢文化舎 編(2009):49ページ
  12. ^ 宇治橋修造起工式おこなわれる”. 伊勢神宮式年遷宮広報本部 (2008年7月31日). 2013年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月27日閲覧。
  13. ^ a b c 伊勢文化舎 編(2009):53ページ
  14. ^ a b c d 櫻井(1991):273ページ
  15. ^ 櫻井(1991):266, 272 - 273ページ
  16. ^ 式内社研究会 編(1990):244ページ
  17. ^ 宇治橋|参りましょう。伊勢志摩”. 東海旅客鉄道 (2008年7月26日). 2013年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月2日閲覧。
  18. ^ a b 三重県観光連盟"伊勢神宮(内宮)の観光施設・周辺情報 - 観光三重"(2013年11月2日閲覧。)

参考文献

関連項目

外部リンク


饗土橋姫神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:07 UTC 版)

橋姫」の記事における「饗土橋姫神社」の解説

かつては伊勢神宮五十鈴川にはかかっておらず、人々流れ緩やかな川を禊しながら渡っていた、あるいは渡るための石が並べられて、そこを渡る時代もあったといわれる。しかし、それでは大雨増水のために渡れなくなることもあり、やがてかけられるようになった。それが文献確認できる初出12世紀ごろである。 饗土橋姫神社の創建もほぼ宇治橋けられるようになった平安時代より後、鎌倉室町時代考えられる文献にはじめて記されるのは室町時代になってからで、もとは大橋橋姫御前社、と呼ばれていた。饗土はそのあたりの地名である。「饗土」とは、疫神悪霊を防ぐ道饗の祭をおこなう場所を意味する。ただし、京都宇治のようにの上祀られることはなく、丑の刻参りおどろおどろしい女性怨念話、妖怪話とは全く縁がない。かつての鎮座地は、よく記念撮影するところ、つまり宇治橋のすぐ手前鳥居の立つ地点から植え込みのある辺りであった以前は、ではなく桜の木であった。今では、宇治橋から約200メートル離れたはずれにあり、その存在すらあまり知られていない現在の宇治橋形状似た大橋落成したのは、『河崎氏年代記』が記す将軍足利義教寄進のうえ参宮した永享6年1435年とされる荒木田守良は『神宮典略』において、山城国京都府宇治橋橋姫明神倣い寛正7年1467年3月将軍足利義教参宮併せ、饗土の地に橋姫神社創建されたと解説している。従って、五十鈴川橋姫京都宇治と同じ瀬織津姫祀っていることになる。橋姫祀られているのは他に、滋賀県瀬田の唐橋大阪長柄橋神社現存せず)がある。有名な徳川家はこの橋姫を祖とし、その名を冠した一橋家を産み落としたとする説がある。

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